第三十九部 燃やしたかった記録と、本人より先に人を集める名前の話 Another Side:セラ
セラと、同じ名前を重ねないための紙の話
夕方の病棟では、窓から入る光が少しずつ薄くなっていた。
セラは、使い終わった布を回収し、煮沸へ回す物と、洗えばもう一度使える物を分けていた。寝台の間を歩くたびに、患者の呼吸、顔色、汗、包帯の滲みを確かめる。
特別なことではない。
毎日、同じように続ける仕事だった。
傷を負った人間は、痛みが少し引くと、自分だけは歩けると思う。
熱が下がった人間は、自分だけはもう帰れると思う。
包帯が外れかけているのに、何も言わず寝返りを打つ人間もいる。
だから、看護師は同じことを何度でも言う。
「起き上がる前に呼んでください」
「ですが、もう歩けます」
「歩けるかどうかは、先生に確認してもらってからです。今は、寝台へ戻りましょう」
目の前の負傷兵は、不満そうな顔をした。
それでも、セラが毛布を直すと、渋々横になる。
「厳しいな」
「無理をすると、治るまでの時間が延びます」
「少しくらいなら」
「少しくらいと言う方ほど、少しでは済みません」
言いながら。
ふと。
昔、短いあいだだけ看護した傭兵のことを思い出した。
大丈夫だと言う。
歩けると言う。
剣も握れると言う。
そのくせ、少し目を離すと傷を増やす。
馬鹿だった。
本当に。
忘れた方が良いのかもしれない。
それでも、忙しい日の終わりに、似たような患者を見ると思い出す。
今、どこで何をしているのか。
少しは、誰かの言うことを聞いているのか。
たぶん、聞いていない。
そう思うと。
少しだけ。
心配になる。
「セラさん」
記録係が声を掛けた。
「新しい注意書きです。病棟にも貼ってください」
渡された紙には、同じ名前の患者記録を見つけた場合、すぐに一つへまとめず、年齢、顔貌、傷、移送元、受け入れ時刻を確かめるようにと書かれていた。
最近、移送札の重複が見つかっているらしい。
理由までは分からない。
大きな陰謀を知っているわけでもない。
ただ。
同じ名前だからといって、同じ人間だと決めつければ、別の誰かが紙の上から消える。
セラは、注意書きを病棟の入口へ貼った。
それから、記録棚へ戻り、今日受け入れた患者の札をもう一度確かめる。
名前。
年齢。
傷。
どこから来たか。
誰が運んだか。
地味な仕事だった。
それでも。
誰かが戻るために必要な仕事だった。
窓の外では、夕方の鐘が鳴った。
セラは少しだけ顔を上げたあと、また次の寝台へ向かった。
どこかで。
あの馬鹿な傭兵も。
誰かに止められていればいいと思いながら。
──Another Side 了




