第三十九部 燃やしたかった記録と、本人より先に人を集める名前の話 ③ 燃やせと言われた理由と、燃え残った紙
「今日、燃やせと言われた理由は」
カミラが訊いた。
「ヴァルター軍監の保全命令が届いたからです」
ユストは答えた。
「朝、机の中に紙が入っていました。青い細線の記録、仮札の控え、通過記録、連絡用の紙を昼までに燃やせと。燃やさなければ、最初に通した人たちの名簿を北方軍保安監督室へ送ると書かれていました」
「本当に送られると思った?」
「分かりません。ですが、あの人たちは、どこに誰がいるか知っている」
「だから燃やした」
「はい」
「あなたが燃やせば、助けた人たちの名前も消える」
「守れると思いました」
「違う」
カミラは、強く言った。
声を荒らげたわけではない。
それでも、部屋の空気が一度止まる。
「燃やせば、相手だけが原本を持つ。あなたが通した人間の名前も、使われた死者の名前も、運ばれた荷物も、全部あいつらだけのものになる。守るために燃やしたつもりでも、実際には相手へ渡している」
ユストは何も言えなかった。
「紙は、人を消す」
カミラは続けた。
「だが、残し方を間違えなければ、人を守ることもできる。一か所へ置くな。誰か一人だけへ預けるな。写しを作り、別の道へ流せ。燃やす側が追いつけない数まで増やせ」
ヘルマン副書記官は、カミラを見た。
「あなたは、本当に鉱山の記録係ですか」
低い声だった。
カミラは、すぐには答えなかった。
窓の外では、灰鐘が一度鳴り、少し遅れて荷車の車輪が石を踏む音が聞こえた。関所の日常は、まだ続いている。
「今は、そういうことにしておけ」
カミラが言った。
ヘルマン副書記官は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「分かりました。では、ミラ・パウルさん。記録係として、助言をいただきたい」
「原本を三つに分けろ。燃えた物も捨てるな。読める部分だけ写し、読めない部分も読めなかったと残せ。ユストの証言は、本人が書ける状態なら本人にも書かせる。別に、立会人を二人付けろ」
「ヴァルター軍監へは」
「別々の伝令で送れ。同じ道、同じ馬、同じ時刻へまとめるな」
「灰鐘関所の中にも残しますか」
「残す。ただし、保管場所は分けろ」
ヘルマン副書記官は頷いた。
「帝国の名で燃やされた紙を、帝国の手で残す」
ヴァルター軍監が、ASで口にした言葉と同じだった。
同じ帝国の中に、燃やそうとする手もある。
残そうとする手もある。
帝国は一枚ではない。
◇
尋問が終わったあと、ヘルマン副書記官は、燃え残った紙の一部を机へ広げた。
濡れた外套の下から救い出した紙束である。端は黒く焦げ、文字の一部は読めなくなっている。それでも、完全には消えていない。
カミラは、紙を一枚ずつ慎重に分けた。
「無理に剥がすな」
若い書記官へ言う。
「乾く前に触れば、残っている文字まで落ちる。薄い板へ載せて、風を当てすぎるな」
紙束の中には、仮札の控え、通行記録の写し、荷物の受領書が混ざっていた。
黒松脂。
油布。
空の紙箱。
薬箱。
そして。
小さな木箱。
「これだ」
カミラが言った。
紙の端は焦げている。
それでも、行き先は読めた。
旧北路第三宿駅。
受領担当。
ロド・カナリ。
俺の名前。
便宜上、着ていた名前。
必要な時だけ使うつもりだった名前。
それが、俺より先に西へ歩き、小さな木箱を運び、第三宿駅で何かを受け取ろうとしている。
「中身は」
俺が訊くと、ユストは首を振った。
「知りません。箱は開けるなと言われました」
「大きさは」
「両手で持てる程度です。重くはなかった」
「音は」
「ありません」
印章。
札。
封蝋。
紙を作るための道具。
可能性はいくつもある。
だが、今は断定しない。
早く答えを作った人間から間違える。
カミラの言葉を思い出す。
焦げた受領書の下から、もう一枚の紙が出てきた。
上半分は燃えている。
下に残った文字も、ところどころ黒く欠けていた。
それでも、いくつかの言葉は読める。
第三宿駅。
臨時救恤。
薬。
麦。
宿泊。
旧五国出身者。
照合。
カミラの指が止まった。
「救恤?」
俺が言う。
「薬と食料を配る名目で、人を集めるつもりか」
「まだ断定はできない」
カミラは答えた。
「ただし、第三宿駅で、何かを始める準備がある」
薬。
麦。
寝床。
戦争と冬を越し、生活を立て直せていない人間なら、必要になる。
旧五国出身者。
故郷を失い、帝国の中へ散った人間なら、昔のつながりを頼りたくなる。
そこへ。
ロド・カナリという実在する傭兵の名前を置く。
さらに。
まだ見えていない何かを使う。
人を集めるために。
「俺の名前は、荷物を運ぶだけでは足りなくなったらしい」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
怒りがないわけではない。
むしろ、腹の奥には重いものがある。
だが、焦って走れば、また相手の順番へ乗る。
「本人より先に」
俺は言った。
「人まで呼び始めている」
カミラは、焦げた紙を見たまま頷いた。
「第三宿駅へ行く」
「ああ」
「ただし、今日はここで休め」
「急ぐんじゃないのか」
「写しができるまで待つ。煙を吸った。肩も痛めた。急いで途中で倒れれば、また私が運ぶ荷物が増える」
「俺を荷物へ数えるな」
「昨日、同じことを言ったな」
「非常に失礼だ」
「事実だ」
カミラは顔を上げた。
真面目な目をしている。
それでも、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。
「護衛料へ、運搬手当も足す」
「払えるのか」
「出世払いだ」
「国家へ請求する?」
「あんたが諦めていない国へ」
今度は、カミラが少しだけ黙った。
昨日、俺が言った言葉を返されるとは思っていなかったのだろう。
耳のあたりへ、ごく薄く熱が差す。
「生意気だな」
「同行者として成長した」
「視線は成長していない」
「そこは、美徳として守っている」
「最低だな」
否定はできない。
──第三十九部 了




