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第三十六部 二人分の適量と、燃やされないために増やす紙の話 Another Side:ヴァルター軍監

軍監と、二枚の命令書の話

 同じ日の夜、グランデル帝国北方軍の連絡所では、ヴァルター軍監が二枚の命令書を机の上へ並べていた。

 執務室の窓は小さく、夜の冷気が石壁の隙間から静かに入り込んでくる。炉には火が残っているが、部屋全体を暖めるには足りない。机の上には関所、宿駅、軍の補給所から届いた報告書が積まれ、その脇には冷めた茶が置かれていた。

 一枚目。

 出所不明の通行札、移送札、補給記録を発見した場合、現物を保全し、担当部署へ提出すること。独断で焼却してはならない。

 二枚目。

 偽造の疑いがある書類は、混乱の拡大を防ぐため、現地で速やかに焼却すること。

 内容は、完全に矛盾している。

 それでも、どちらの紙にも帝国の鷲が押され、北方軍の印があり、封蝋も文体も正規の形式へ沿っていた。

「焼却指示は、どこから来た」

 ヴァルターが訊くと、机の前に立っていた若い書記官は帳面を確かめた。

「北方軍保安監督室の内部便として回付されています。ただし、発信時刻の原簿が見つかりません」

「受領した宿駅は」

「少なくとも四か所。灰鐘関所にも掲示されています」

「剥がしていないのか」

「新しい保全命令は届いています。ただ、現場では、どちらを優先するべきか判断が割れています」

 ヴァルターは、二枚の紙を見た。

 偽物なら、帝国の命令形式を知る人間が作った。

 本物なら、帝国内部で誰かが紙を燃やそうとしている。

 どちらであっても、軽くはない。

 その時、廊下の向こうで足音が止まり、別の兵士が入室した。

「東側の宿駅から急報です」

「読め」

「黒松林の枝道で、薬箱と紙箱を積んだ荷車が襲撃されました。御者は生存。襲撃者一名を拘束。一名は死亡。傭兵と、黒髪の女が救助したとのことです」

「荷車は」

「左車輪が損傷。宿駅へ戻りました。御者は、拘束した男を単独の兵士へ渡さず、宿の主人と複数の旅人がいる前で引き渡したいと求めています」

 若い書記官が少しだけ眉を寄せた。

「慎重ですね」

「慎重でいい」

 ヴァルターは答えた。

「受領者の名前を残せ。時刻も。拘束した男の持ち物は、燃やすな。別々に記録し、写しを作れ」

「写しを?」

「一枚だけでは足りない」

 ヴァルターは、机の上に並ぶ二枚の命令書へ目を戻した。

「誰かが燃やしたがっている。なら、燃やす側が追いつけない数まで増やせ」

「灰鐘関所へも」

「ああ。今夜中に伝令を出せ。出所不明の札、移送記録、補給記録、受領書は、すべて保全。独断で焼却するな」

「焼却命令そのものは」

「剥がす前に写せ」

 書記官が、少し意外そうに顔を上げた。

「残すのですか」

「残す」

 ヴァルターは答えた。

「偽物なら、誰かが帝国の名を借りた証拠になる。本物なら、誰が帝国の名で燃やせと命じたかを追える」

 帝国の鷲。

 封蝋。

 紙。

 命令。

 それを押せば、兵士が動く。

 荷車が止まる。

 関所が閉じる。

 薬箱が燃える。

 だからこそ。

 誰が押したかを残さなければならない。

「帝国の名前で燃やされた紙を」

 ヴァルターは言った。

「帝国の手で残す」

 伝令兵が部屋を出る。

 しばらくすると、窓の外から馬の蹄の音が聞こえた。

 東側の宿駅から灰鐘関所へ。

 灰鐘関所から、さらに西へ続く道へ。

 まだ誰も全体を知らないまま、紙と名前だけが先に動き始めていた。



──Another Side 了


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