第三十一部 北の入り江で、戻る道を選ぶ話 ④ 北の水路を見て
船に戻る前に、俺はもう一度だけ北の水路を見た。
レイラが消えた方角。
小舟の跡は、もう潮で薄れていた。
追えば、間に合わない。
追わなければ、もっと遠くなる。
どちらも正しい。
だから、苦しい。
俺は革袋の中から、白い羽根を取り出した。
本物の白い鳥の羽根。
レイラが残した、軽すぎる証拠。
偽の白い鳥は焼けた船に残り、本物の羽根は俺の手に残った。
敵は紙を残した。
レイラは羽根を残した。
なら、俺が見るべきなのは、敵の紙だけではない。
本物を見分ける目が、まだ自分に残っているかどうかだ。
レイラは、それを俺に試したのかもしれない。
兄上、まだ分かりますか。
本物と偽物を。
紙にされた名前と、生きている人を。
俺は白い羽根を革袋へ戻した。
軽い。
だが、重い。
また一つ、軽いものが増えた。
だから、あとで必ず重くなる。
空の硝子管も鳴った。
からん。
戻ってくる。
六番。
戻る。
戻るとは、来た道を引き返すことだけではない。
たぶん。
本物を見失わずに、いつかそこへ帰ることだ。
俺は北に背を向けた。
完全には向けられなかった。
半分だけだった。
だが、今の俺には、それで十分だった。
「ロド・カナリ」
リヴィアが言った。
「何だ」
「歩けますか」
「歩ける」
「本当に?」
「支えがあれば」
「よろしい」
テオが笑った。
「半分の本当が上手くなったね」
「お前の商売ほどじゃない」
「それは褒め言葉として受け取るよ」
「違う」
マリノが言った。
「坂を上ります。帰りの方が負担は大きいです」
「坂は敵だ」
「地形です」
「地形は敵だ」
「記録しておきます」
「するな」
俺たちは、北入り江を後にした。
灰色の海。
偽の白い鳥。
円の中の目。
南へ戻れ。
兄の名は、南で紙になる。
なら、俺は南へ行く。
紙になる前に。
紙の向こうの目を、こちらから見返すために。
そして、まだ本物を見分けられる目を失っていないと、妹に答えるために。
──第三十一部 了




