第三十一部 北の入り江で、戻る道を選ぶ話 ① 坂下りと、白い壁
北へ向かう道は、下りだった。
修道院から北入り江へ続く石道は、白い壁の裏を抜け、葡萄棚の影をくぐり、海へ向かって細く落ちていく。
上るよりは楽なはずだ。
理屈の上では。
だが、俺の足には、下りの方が信用できなかった。
一歩踏み出すたびに、膝が勝手に先へ行きたがる。
脇腹は遅れて文句を言う。
肩は、まだ他人事のように固い。
つまり、体の中で会議がまとまっていない。
俺の名は、レオン。
便宜上は、ロド・カナリ。
二十八歳。元王子。現傭兵。職業、負傷予定者。
趣味、惚れること。
専門、死にかけて誰かに縫い直されること。
現在の肩書きは、立つ証人。
ただし、坂道では支えつき。
世の中は、平地だけでできていない。
たいへん不公平である。
◇
リヴィアは、俺の右側を歩いていた。
近い。
肩を貸されているのだから当然だ。
当然だが、昨日までの七日間のせいで、近さの意味が少しだけ変わってしまっている。
水場。
濡れた白布。
腰帯。
太もも。
壁。
忘れろと言われた。
実行、と答えた。
だが、実行できていない。
これは俺が悪い。
かなり悪い。
「ロド・カナリ」
「何だ」
「足元を見てください」
「見ている」
「いえ、少し違うものを見ていました」
「足元だ」
「足元ではありません」
「俺の顔は、何を言った」
「昨日のことを思い出していました」
「顔め」
俺は自分の顔を信用できなくなっている。
表情というものは、敵に回すと厄介だ。
テオが後ろから言った。
「ロド、君はそろそろ顔と交渉した方がいい」
「どうやって」
「まず条件を出す」
「何を」
「せめて秘密は半分ずつ漏らすように、と」
「もう漏れる前提か」
「現実的だろう?」
「商人は嫌いだ」
「僕も時々、商人が嫌いになる」
マリノは薬箱を持って、少し後ろを歩いている。
「息が上がっています」
「坂が悪い」
「坂は地形です」
「地形が悪い」
「地形は治療できません」
「医者として怠慢だな」
「医学の範囲外です」
くだらない会話だった。
だが、そのくだらなさが、ありがたかった。
北へ向かっている。
レイラが消えた方角へ。
偽の白い鳥の船が沈みかけている入り江へ。
敵が俺宛てに木札を残した場所へ。
考えれば、足が止まりそうになる。
だから、俺たちはくだらない言葉を置きながら進んだ。
くだらない言葉も、時々、杖になる。
──第三十一部 了




