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第二十六部 朝潮と、間違えた灯の返事の話 ⑤ シーロの港

 シーロの港は、昼前に見えた。


 白い石の防波堤。


 青い屋根。


 細い塔。


 海鳥の声。


 帆柱の林。


 港の奥には、斜面に沿って家々が並んでいる。


 王国の町とも、帝国の軍病院とも、リンデンの診療所とも違う。


 空が広い。


 水が近い。


 道が海へ向かって落ちていく。


 シーロ海洋共和国。


 南の島の国。


 リヴィアの国。


 俺は甲板の端で、支えられながらそれを見ていた。


 支えられながら、というところが非常に惜しい。


 格好よく上陸したかった。


 だが、現実の俺は船酔い患者で、左の桶からまだ完全には卒業していない。


「ロド・カナリ」


 リヴィアが言った。


「何だ」


「港に入れば、さらに揺れます」


「なぜだ」


「小舟の波が多いからです」


「港なのに危険が増えるのか」


「海ですから」


「便利な言葉だな」


「あなたの『船酔い』ほどではありません」


 テオが横で笑った。


「君の便利な言葉が競合しているね」


「嬉しくない」


 港の見張り塔から旗が上がった。


 白い鳥の旗。


 サレーネ船団の印だろう。


 リヴィアが旗を返す。


 船がゆっくり港へ入る。


 その時、小型の港内艇が一艘、こちらへ向かってきた。


 速い。


 急いでいる。


 乗っているのは、若い水夫と、灰色の上着を着た中年男。


 中年男の顔を見た瞬間、リヴィアの表情が変わった。


「本部の記録係です」


「悪い知らせか」


 俺が訊くと、リヴィアは短く答えた。


「顔がそうです」


「顔を読むな、と言いたいところだが」


「今は読みます」


 港内艇が横づけされる。


 中年の記録係が、息を切らして甲板へ上がった。


「リヴィア様」


「何がありました」


「船団長がお待ちです。それと」


 記録係は、一度言葉を切った。


 言いにくい報告の顔だった。


「ガスパル・ローニが、今朝、姿を消しました」


 リヴィアは動かなかった。


 だが、船の空気が止まった気がした。


「いつ」


「夜明け前です。古い記録庫へ入った形跡があります。死亡記録の一部が持ち出されています」


「どの記録」


「三年前、ラグナ沖。エリオ・バルト行方不明の航海記録です」


 テオが、低く息を吐いた。


「先に動かれたね」


 リヴィアは、記録係を見たまま言った。


「港を閉じてください。黒帆は白鳥礁で足止めしています。逃げた小舟が三人。南東へ」


「すでに伝令を出します」


「出すのではなく、今すぐ出してください」


「はい!」


 記録係が走る。


 リヴィアは俺たちへ向き直った。


 目は、もう迷っていない。


「テオ殿、名前写しを持って本部へ。マリノ、ミケロを港警備へ引き渡す準備。ロド・カナリ」


「何だ」


「あなたは」


「寝ろ、だろ」


「違います」


 意外だった。


 かなり意外だった。


 リヴィアは俺をまっすぐ見た。


「本部へ来てください」


「俺が?」


「はい」


「立てないぞ」


「運ばせます」


「そこは変わらないのか」


「あなたは、エリオの合図を見抜いた。黒帆の灯の男が紙を見ていたことにも気づいた。ガスパルの件でも、余計なことを言う可能性があります」


「褒められてるのか」


「必要だと言っています」


 テオが横で楽しそうに言った。


「よかったね、ロド。動かない証人から、運ばれる証人へ昇格だ」


「お前、あとで本当に船賃を値引きしろ」


「検討するよ」


 リヴィアは小さく首を振った。


「急ぎます」


 彼女は歩き出した。


 海の姫。


 船団の娘。


 死者の名を取り返す女。


 その背中は、港の白い光の中で、少しだけ遠く見えた。


 俺は水夫に支えられながら、その後を追うことになった。


 歩いてはいない。


 運ばれている。


 だが、進んでいる。


 それだけは確かだった。


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