第二十五部 死んだ水夫の合図と、灰橋倉の家令の話 ⑦ 山側の薬
その少し後。
マリノが薬箱の前で顔を上げた。
「分かりました」
「何が」
リヴィアが訊く。
「眠り薬の基材です。船倉の樽にあったものも、水桶に入れられたものも、同じです。海辺の薬草ではありません」
「陸の薬か」
「ええ。乾燥の癖が違います。湿気を嫌って、かなり強く炙っている」
俺は少しだけ反応した。
「マレーナの薬草袋を見ていいか」
マリノが言った。
「俺のか?」
「あなたの革袋にあるのでしょう。比較したい」
「見える範囲でなら」
「秘密は見ません」
「全員それを言うな」
「信用されるためです」
「逆に怖い」
俺は革袋からマレーナの薬草袋を出した。
乾いた匂い。
苦いような、少し甘いような、あの薬師の手の匂い。
マリノはごく少量だけ指に取り、匂いを比べた。
「違いますね」
「そりゃそうだろ」
「ただ、炙り方が似ている。山側の乾燥法です。海辺ではありません」
テオが顔を上げた。
「山側?」
「ブリエンからさらに北、あるいはレヴォナ周辺の乾燥場に似ています」
リヴィアの目が鋭くなる。
「レヴォナ」
サンドルが向かった場所。
名前写しの線。
軽銀。
眠り薬の基材。
全部が、また陸へ伸びる。
海の上にいるのに、陸が追ってくる。
「ロド」
テオが言った。
「サンドルは、正しい道へ行ったのかもしれない」
「ああ」
俺は革袋を握った。
空の硝子管。
死者名簿。
青銅の札。
マレーナの薬草袋。
全部が、少しずつつながっていく。
嬉しくはない。
だが、見えてきた。
見えてきてしまった。
そういう感じだった。
「リヴィア」
「何ですか」
「シーロに着くまでに、黒帆を振り切れるか」
「振り切ります」
「断言か」
「船団の船ですから」
「なら、俺は何をすればいい」
「寝てください」
「そればかりだな」
「役に立ちます」
「どういう意味で」
「あなたが寝ている間に、周囲が動きます。あなたは起きると、余計なところに気づく。だから、今は寝て、あとで余計なことを言ってください」
「ひどい作戦だ」
「有効です」
テオが頷いた。
「有効だね」
マリノも頷いた。
「体にも良いです」
「三対一か」
「船では多数決より安全が優先です」
リヴィアが言った。
「つまり、俺に拒否権は」
「ありません」
また即答だった。
俺は天井を見た。
天井は揺れている。
だが、最初ほど怖くはない。
慣れたのか。
弱ったのか。
その両方かもしれない。
「分かった。寝る」
「返事は?」
リヴィアが言った。
俺は顔をしかめた。
「実行」
彼女は少しだけ目を丸くした。
「誰の言葉ですか」
「町医者の娘の管理指示だ」
「良い言葉です」
「借りるなよ」
「記録します」
「そればかりだな」
リヴィアは少し笑った。
そして、記録箱へ向き直った。
テオは紙を畳む。
マリノは薬をしまう。
船は揺れる。
黒帆は、夜の向こうにいる。
サンドルは、陸の道にいる。
ニーナは、リンデンにいる。
俺は、海の上で寝台にいる。
全員、別の場所にいる。
だが、同じ名前の流れを見ている。
そう思ったら、少しだけ眠れそうな気がした。
もちろん、そういう時に限って、船は大きく揺れる。
俺は桶を見た。
左にある。
近い。
頼もしい。
頼もしい桶というのも、どうかと思う。
俺は目を閉じた。
からん、と革袋の中で硝子管が鳴った。
戻ってくる。
六番。
その音は、海の上でも、ちゃんと陸の音がした。
──第二十五部 了




