第二十五部 死んだ水夫の合図と、灰橋倉の家令の話 ④ 夜番の三人
内通者の尋問は、俺の寝台の近くでは行われなかった。
当然だ。
俺は起き上がるだけで止められる男である。
尋問場所に置いたら、桶以上の役には立たない。
だが、テオは聞き取った内容を逐一持ってきた。
商人は紙を運ぶ。
情報も運ぶ。
顔色も運ぶ。
「男の名前は、ミケロ」
「本名か?」
「たぶん違う」
「だろうな」
「サレーネ船団に水夫として入ったのは、半年ほど前。紹介状あり。紹介者はシーロ南岸の荷受け人」
テオは帳面をめくった。
「その荷受け人が、例の薬草樽の手続きにも関わっている」
「早いな」
「早い方が高く売れる」
「情報を売るな」
「今は売っていない。貸している」
「利子を取りそうだ」
「もちろん」
俺は左の桶を見た。
吐くためではない。
投げたくなっただけだ。
テオは笑って続けた。
「ミケロは、黒帆の詳しい正体を知らない。少なくとも、そう言っている。黒帆は回収役。指示は紙で来る。紙には青い細線。命令文は短い」
「紙の向こうの人」
「彼はそう呼んだ」
「人なのか、組織なのか」
「不明」
「目は?」
「それも不明。ただ、黒帆は手、目ではない、という言い方からして、見る側と動く側が分かれている」
テオはそこで、少しだけ声を落とした。
「円の中の目と同じかどうかは、まだ言えない」
「分かってる」
「でも、君は同じ可能性を考えている」
「顔に出たか」
「いや、今回は出ていない」
「ならなぜ」
「僕も考えているからだよ」
商人は嫌だ。
同じところを見る時がある。
そして、見ていることを隠さない。
「リヴィアは」
「かなり怒っている」
「怒鳴ってるのか」
「怒鳴っていない」
「一番怖いやつだな」
「その通り」
テオは、少しだけリヴィアのいる方を見た。
「彼女は今、船団の死亡記録と乗船名簿を照合している。怒りながら、手は正確だ」
「強いな」
「強いね」
「お前、リヴィアをどう見てる」
テオは、俺を見た。
なぜか少し楽しそうだった。
「商人として?」
「男としてでもいい」
「ロド、船酔いで踏み込むね」
「寝台の上だと口が動く」
「そうだったね」
テオは少し考えた。
「リヴィア殿は、船を背負っている人だ。船団の看板、死者の記録、生きている水夫の食い扶持、港との信用。そういうものを、当たり前の顔で持っている」
「重そうだな」
「重いだろうね」
「お前は、そういう女が好きか」
テオは一瞬だけ黙った。
そして、ゆっくり笑った。
「君は、そういう女に惚れやすいね」
「俺の話に戻すな」
「商人は危険な取引を避ける」
「逃げたな」
「高くつくからね」
扉の外から、リヴィアの声がした。
「聞こえています」
俺とテオは同時に黙った。
リヴィアが入ってきた。
手には記録束。
顔は静か。
だが、耳が少しだけ赤い。
「何の話ですか」
「船団の責任について」
テオが即答した。
「半分くらいだな」
俺が言うと、リヴィアの目が細くなった。
「残り半分は?」
「船酔いの話だ」
「便利に使いすぎです」
「俺もそう思う」
リヴィアは記録束をテーブルに置いた。
「エリオ・バルトの死亡記録に、ひとつ不自然な点がありました」
「証言者欄か」
「それもです。もうひとつ」
彼女は古い紙を開いた。
「エリオが消えた夜、同じ夜番にいた水夫が三人います。そのうち一人は今も船団にいます。もう一人は退職。もう一人は、死亡」
「死亡?」
「ええ」
リヴィアの指が、紙の名を押さえた。
「その死亡した水夫の名も、薬草樽の名前写しにあります」
船室が、静かになった。
波の音だけが聞こえる。
「二人目か」
俺は言った。
「はい」
「偶然ではないな」
「偶然ではありません」
リヴィアは言った。
「エリオが消えた夜番の者たちの名が、誰かに集められています」
テオの目が鋭くなった。
「三人目、生きている水夫は?」
「この船にはいません。今はシーロ本島のサレーネ船団本部にいるはずです」
「名前は」
「ガスパル・ローニ」
リヴィアは、少しだけ息を吸った。
「父の古い部下です」
父。
サレーネ船団長。
つまり、この事件はリヴィア個人だけでなく、彼女の父、船団本部、三年前の事故にまで伸びる。
海が広がる。
名前も広がる。
俺は寝台の上で、できればもう少し狭い事件であってほしいと思った。
もちろん、そういう願いはだいたい叶わない。




