第二十四部 濡れた外套と、寝台の上の囮の話 ③ 腰帯
作戦は、たいへん不本意に決まった。
本物の名前写しは、テオが別の油布に包み、マリノの薬箱の底へ移す。
薬箱は人が嫌がるほど薬の匂いが強い。
内通者が真っ先に触る場所ではない。
偽物の紙束は、俺の革袋の近くに置く。
革袋には、死者名簿も青銅の札もある。
だから、本物らしく見える。
俺は寝台で眠っているふりをする。
テオは隣室で帳面を開き、わざと船倉の紙をここに置いたという会話を漏らす。
マリノは少し離れた場所で倒れた水夫を診る。
リヴィアは寝台の下。
どうしてもそこだけ納得がいかない。
「別の場所にしないか」
「ここが一番近いです」
リヴィアは濡れた外套を脱ぎ、動きやすい白い上着姿になっていた。
袖をきっちり結び直している。
甲板で濡れたせいで、上着はところどころ肌に張りついていた。
見てはいけない。
俺は天井を見た。
天井は揺れていた。
揺れているので、視線を固定しにくい。
実に不便だ。
「ロド・カナリ」
「何だ」
「なぜ天井を見ているのですか」
「五番を守っている」
「何を見ないためですか」
「言わせるな」
テオが口元を押さえた。
「笑うな」
「笑っていない」
「商人の顔で嘘をつくな」
「半分だけだよ」
リヴィアは自分の服を見下ろし、ようやく意味を理解したらしい。
一瞬だけ、耳の先が赤くなった。
だが、すぐに顔を戻した。
「海では濡れるのは普通です」
「陸では普通ではない」
「ここは海です」
「俺は陸の人間だ」
「では、慣れてください」
「無茶を言うな」
その時、船が大きく傾いた。
黒帆を避けるためか、風を受け直したのか。
リヴィアの足が滑った。
彼女はすぐ体勢を立て直そうとしたが、濡れた床板がわずかに裏切った。
俺の寝台の横へ倒れ込む。
反射的に、俺は右手を伸ばした。
肩が痛む。
それでも、彼女の腰帯を掴んだ。
掴んでしまった。
近い。
近すぎる。
リヴィアの髪が俺の頬に触れた。
潮と濡れた木と、少しだけ薬草の匂い。
彼女の手が、俺の胸の横に着く。
顔が、ほんの少し近い。
船は揺れている。
俺の心臓も、なぜか余計に揺れている。
「……すまん」
俺は言った。
「いや、支えた。たぶん支えた。今のは支えた」
「腰帯を掴む必要はありましたか」
「他に掴めるところが」
「ありました」
「どこだ」
「言わせないでください」
まずい。
リヴィアの声が低い。
怒っている。
いや、怒っているだけではない。
耳が赤い。
テオが、実に嫌な間で言った。
「五番は?」
「不可抗力だ!」
「不可抗力でも、記録は残ります」
リヴィアが言った。
「記録するな!」
「します」
「エルゼみたいなことを言うな!」
「どなたですか」
「そこは今いい!」
リヴィアは体を離そうとした。
その瞬間、もう一度船が揺れた。
今度は俺の方が寝台からずり落ちかけた。
リヴィアが反射的に俺の肩を押さえる。
押さえ方は正しい。
傷を避けている。
だが、近い。
さらに近い。
「動かないで」
「俺は動いてない。船が動いてる」
「屁理屈を言う元気はありますね」
「ある。少し」
「なら黙れますね」
「難しい」
テオが肩を震わせていた。
「テオ」
「何だい」
「笑ったら、船賃を払わない」
「それは困るね」
「困れ」
「でも、今のはかなり高く売れる場面だった」
「売るな」
リヴィアはようやく体を離した。
耳はまだ少し赤い。
しかし、目はもう戻っている。
切り替えが速い。
「作戦続行です」
「この状態でか」
「この状態だからです。内通者が来る前に、私が隠れます」
「寝台の下に?」
「寝台の下に」
「本当に?」
「本当に」
リヴィアは寝台の下へ潜った。
海の姫が、俺の寝台の下にいる。
この状況をリューリックに見られたら、どうなるだろう。
たぶん、静かに額を押さえる。
ニーナに見られたらどうなるだろう。
薬箱が飛ぶ。
確実に飛ぶ。
俺は小さく息を吐いた。
「痛い」
リヴィアの声が、寝台の下からした。
「どこがですか」
「心が」
「それは私の台詞です」
テオが、とうとう声を殺して笑った。




