第二部 診療所のニーナと、消える子供たちの話 ⑦ 〜別離〜
朝。
村の長老たち五人が、診療所に集まった。
リューリックが、商人の持ち物と、荷馬車に縛られていた子供たちの状況を、淡々と、説明した。
村長は、聞きながら、顔色を、白くしていった。
他の長老たちも、目を、伏せた。
「……自警団頭は」
「グウェン氏ですな」
「彼は、これに、関与しているのか」
「証拠は、御者の荷物にあります。月に一度、グウェン氏と長時間話し込み、その夜に子供が消える、というパターンが、過去三ヶ月、確認できます」
長老たちは、しばらく、黙った。
そのうち、一番年寄りの長老が、口を、開いた。
小さな、声で。
「……三ヶ月前から、子供が消えとるのは、まあ、わしらも、薄々」
ニーナの顔が、ぱっと、上がった。
「薄々?」
「……うん」
「薄々、知ってたんですか」
「ニーナさん」
「薄々知ってて、何もしなかったんですか」
長老は、答えなかった。
代わりに、別の長老が、小さく、言った。
「……難民の子だったから、なあ」
ニーナが、椅子を、蹴って、立ち上がった。
「……ニーナ」と、村長が、口を開きかけた。
「言わなくていい」と、ニーナが、低い声で、言った。
「分かってる。難民の子は、村の子じゃない。だから消えても、村の問題じゃない。そう、考えてた。違う?」
「……」
「違う、って、誰か、言って」
長老たちは、答えなかった。
俺は、何も、言わなかった。
リューリックも、淡々と、書類を、机に、置いただけだった。
ニーナは、立ったまま、しばらく、長老たちを、睨んでいた。
睨んでいる時間が、長かった。
長い時間、誰かを睨み続けるというのは、思った以上に、体力が要る。
ニーナは、それを、息も切らさずに、続けた。
走る娘の、別の使い方だった。
それから、ニーナが、息を、ひとつ、吐いた。
「……グウェンを、呼んでください。今すぐ」
村長は、ようやく、頷いた。
「呼んでこい」
自警団の頭グウェンは、その日のうちに、村の長老会議によって、拘束された。
近隣領主の使いが、呼ばれた。司直の手に、渡される。
俺たちが手を下す必要は、なかった。
誰も、正義感だけで動いたわけでは、なかった。
荷馬車から四人の子供が戻り、商人の荷から証拠が出た。
もう、村が、黙っていられる段階では、なかった。
ニーナの睨みの方が、たぶん、刃物より、強かった。
◇
別離。
俺は、診療所の戸口に、立った。
ニーナが、リルの隣に、座っていた。
リルは、眠っていた。
「ニーナ」
「……」
「行く」
「……うん」
「ありがとう」
「……うちが、よ」
ニーナは、立ち上がった。
俺の方に、来た。
俺の手に、鎮痛剤の小瓶を、押し付けた。
それも、二つ。
「次に死にかけた時に、使え」
「ああ」
「バカ」
「……ありがとう」
「あんたの肩、また裂けたでしょ」
「ああ」
「縫っとく?」
「自分で縫う」
「下手なくせに」
「上手くなる」
「いつ」
「……いつか」
「いつかじゃ、間に合わないのよ。傷っていうのは」
「分かってる」
「分かってないでしょ」
「……分かってる」
ニーナは、もう一度、息を、ひとつ、吐いた。
それから、低い声で、
「あんた、死にかけるのが、上手いんでしょ」
「上手いかは、知らん」
「じゃあ、生き残るのも、上手くなって」
「……」
「うちまで、走って来なくていいから。どこでも、誰かのところまで、走って」
「……走るよ」
「うん」
「ニーナ」
「何」
「お前も、たまには、座れ」
「……ふん」
「たまには、リルの話を、聞いてやれ」
「……分かってる」
「分かってないだろ」
「……分かってる」
ニーナは、振り返らずに、リルの隣に、戻った。
リルは、まだ、眠っていた。
俺は、診療所を、出た。
◇
街道に出ると、リューリックが、馬を引いて、待っていた。
「殿下」
「うん」
「肩、後でちゃんと縫いますね」
「ああ」
「ニーナさんに縫ってもらった方が、上手かもしれませんが」
「お前、最後の最後で、その話、するな」
「家令の家系の副業の本義として、最後まで、申し上げます」
「お前の本義、最後の本義まで、あるのか」
「ございます」
「際限がないな」
「際限がございません」
俺は、馬に、乗った。
馬の鞍の革袋に、鎮痛剤の小瓶二つを、入れた。
懐には、青銅の札が、二枚。
「リューリック」
「はい」
「次の戦場、どこだろうな」
「殿下が決められれば、どこへでも」
「決まらないな」
「では、まず、馬を、進めましょう」
「ああ」
俺たちは、街道を、また東へ、進んだ。
懐の中で、二枚の青銅の札が、わずかに、鳴った。
ニーナの太腿の温度は、もう、鼻先には、残っていなかった。
代わりに、リルが俺の腕の中で「ぽとんと落ちた」あの軽さが、まだ、両腕の内側に、残っていた。
残っているものは、ひとつずつ、ちょっとずつ、増えていく。
……これも、たぶん、傭兵の特権でも、なんでもない。
ただの、職業病だ。
春先の風が、馬の鬣を、後ろへ、流した。
次の町は、まだ、見えなかった。
◇
──Another Side──
井戸の水は、まだ、冷たい。
春は来ている、というのに、この土地の朝は、まだ、冬の名残を、抱えている。
わたしは、桶に水を満たして、両手で、持ち上げた。
濡れた縄が、指の節を、冷やす。
二十二歳になっても、水汲みの両手の冷たさは、十年前と、ほとんど、変わらない。
慣れたものだ。
◇
北東の、海の風が強い、小さな漁村。
わたしはここに、もう四年、いる。
村人たちは、わたしを「マリア」と呼ぶ。
わたしが、四年前に、自分でつけた、名前だ。
誰も、本名を、訊かなかった。
訊かなかったのが、たぶん、この村に流れ着いた者たちへの、礼儀、というやつだった。
わたしの本名を覚えている者は、この村には、たぶん、いない。
……正確には、いない、ことに、なっている。
村の隅に、古い納屋がある。
元は、漁師の網を干していた、小屋だった。
いま、そこは、わたしの「診療所」になっている。
医者ではない、わたしの。
ただ、わたしの手当てが、ここまで逃げてきた人々の、最後の頼みになっているらしい、というだけだ。
手当てなら、できる。
お父様の侍医殿に、子供の頃、少しだけ、教えていただいたから。
とは言っても、本物の医者の前では、わたしの手当てなど、子供のおままごとに、過ぎないだろう。
ただ、本物の医者が、ここまで来ることは、ない。
だから、わたしのおままごとが、ここでは、本物に、なる。
大陸とは、そういうものらしい。
◇
今朝も、難民が、ひとり、運ばれてきた。
中年の男だった。
脚を、斬られていた。
深くはないが、化膿しかけていた。
わたしは、湯を沸かし、布を煮沸し、傷口を、洗った。
男は、ずっと、ぼんやりと、天井を、見ていた。
化膿の処置を始めた頃、男が、ぽつりと、何かを、呟いた。
「……最近、東の方の、リンデンとかいう村で、奇妙な傭兵が、子供を救ったらしい」
わたしは、布を煮るのを、続けた。
「……そう」
「肩を斬られながら、荷馬車を襲ったとか。馬鹿な傭兵だ」
わたしは、布を、桶から、取り出した。
手が、一拍だけ、止まった。
「馬鹿な」──その言葉が、奇妙に、耳に、残った。
兄が、子供の頃、家臣たちが、陰で口にしていた言葉だった。
優しい侍女たちは「殿下、それは『勇敢な』と申すのです」と、訂正していた。
が、父様も、家令も、心の中ではきっと「馬鹿な」と、思っていた。
兄は、馬鹿な王子だった。
わたしは、それが、好きだった。
次の瞬間には、もう、動いていた。
男に、傷口に当てる布を、渡した。
「……」
「ん?」
「いいえ」
「何か、言ったか」
「いいえ。何でも、ありませんわ」
「あんた、お嬢さんみたいな喋り方を、するな」
「……気のせいです」
わたしは、笑顔を、作った。
四年、毎日、作ってきた笑顔だった。
たぶん、もう、本物と区別がつかないくらい、上手に、なった。
男は、納屋の隅で、夕方には、眠った。
◇
わたしは、夕食の支度をしながら、独り言を、こぼした。
……そういえば、わたしにも、馬鹿な兄が、いたな。
誰にも聞こえないように、小さく。
言ってから、自分でも、驚いた。
兄、という言葉を、口に出したのは、四年ぶり、だった。
たぶん、違う人だ。
大陸には、馬鹿な傭兵が、無数に、いる。
わたしの兄は、もう、いない。
マクシミリアン三世の時代の、最後の遠征軍の一人として、たしか、戦地で消えたはずだ。
戻ってきた者は、いなかった。
遺体は、確認できなかった。
遺体が確認できないということは、たいてい、確認したくないほどの状態だったということだ。
だから、わたしは、四年、兄のことを、考えないように、してきた。
だが、なぜか、今夜は、思い出した。
兄のことを。
兄が、子供の頃に、わたしに語ってくれた、嘘半分の、冒険譚を。
兄は、嘘が、上手だった。
半分は本気で、半分は嘘で。
わたしは、兄の話を聞いて、いつも、半分だけ、信じた。
その半分が、いつも、本当だった。
桶の水が、月の光で、銀色に、揺れていた。
わたしは、しばらく、その揺れを、見ていた。
……兄なら。
兄なら、こんな夜、何を考えているだろうか。
たぶん、女のことを、考えている。
間違いない。
わたしは、ふっと、笑った。
誰にも、見られないところで。
◇
桶を持ち上げて、わたしは納屋に戻った。
明日も、誰かが、運ばれてくる。
わたしは、また、湯を沸かし、布を煮沸し、傷口を、洗うだろう。
兄が、もし、生きているなら、たぶん、同じことを、別の場所で、している。
会えない。
今は、まだ。
それでも、生きているなら、それで、充分だと、思うことにした。
そう思わなければ、明日の湯も、沸かせなかった。
風が、海の方から、吹いてきた。
春の海の風は、冬の海の風より、ほんの少しだけ、丸い。
その丸さの分だけ、わたしは、明日も、一歩、生きられる、と、思った。
たぶん、兄も、同じだ。
馬鹿な傭兵は、馬鹿なまま、また、別の女に、惚れているだろう。
惚れているうちは、生きている。
わたしは、それを、信じることにした。
──第二部 了




