第二部 診療所のニーナと、消える子供たちの話 ⑥ 〜二枚目の札〜
その夜、月は、薄かった。
街道は、村から東に半里ほど離れたところで、丘を一つ越える。
俺たちは、その丘の手前の藪で、待った。
リューリックが、藪の中で、剣の柄を、握っていた。
俺も、革鎧の中で、肩の包帯を、確認した。
包帯は、まだ、新しい。
「殿下」
「うん」
「肩はもちますか」
「もたせる」
「私が、できる限り抑えます」
「分かってる」
「ですが、相手は」
「分かってる」
「殿下、また裂けますよ」
「裂ければ、また縫ってもらう」
「ニーナさんに、ですか」
「……うるさい」
リューリックは、それ以上は、言わなかった。
風が、藪を、わずかに、揺らした。
春の夜の風は、土の匂いを、運んでくる。
夜の畑は、昼の畑と、違う匂いをする。
昼は乾いて、夜は湿る。
その境目に、子供を運ぶ商人が、通る。
俺は、それが、嫌だった。
◇
夜半過ぎ、車輪の音がした。
荷馬車だった。
四輪。
布で覆っている。
御者台に、一人。
俺たちが調べた旅商人だった。
荷馬車が、丘の上に上がってきた。
俺は、藪の中で、ふと、鼻を動かした。
匂いがする。
布の下から、かすかな薬草の匂い。
治療に使う匂いじゃない。
眠らせるための匂いだ。
俺は、前回見た青銅の札より先に、その匂いで、嫌になった。
こいつらは、子供を「貨物」として運ぶことに、慣れている。
慣れすぎている。
俺は、リューリックに、合図した。
リューリックが、うなずいた。
藪を、出た。
商人は、馬車を、止めた。
すぐに気付いた、というより、最初から、街道の影を警戒していた目つきだった。
「客じゃないみたいですね」
低い声で、商人が、言った。
声に、訛りがなかった。
訛りのない商人は、たいてい、商人じゃない。
「夜中に荷馬車を止める人は、追剥か、命知らずか、商売の邪魔をする方かのいずれかです」
「あんたも、夜中に荷馬車を走らせる、ろくな商人じゃないだろ」
「商売は、夜にしかできない品もあります」
「布の中、見せろ」
「お断りすると?」
「斬る」
「物騒ですね」
商人は、笑った。
笑い方が、上品だった。
笑いながら、御者台の下から、刃物を、抜いた。
短刀。両刃。
──これだけは、前回と、同じだった。
いや、刃の長さが、わずかに、短い。
使い慣れた手の届く長さに、合わせて削ってある。
あの「目の札」の組織は、たぶん、メンバーごとに、武器を、合わせている。
ということは、組織として、それなりに、整っている。
──嫌な情報が、また、ひとつ、増えた。
リューリックが、藪から、出た。
商人は、リューリックを見て、一瞬、表情を変えた。
「……二人だったか」
「気付くのが遅いな」
リューリックの剣が、踏み込んだ。
◇
一合で、終わらなかった。
二合目でも、まだ崩れない。
三合目で、ようやく、分かった。
こいつは、前回の補給商人より、上だ。
リューリックが圧していたが、俺が脇から挟もうとした瞬間、商人が、一気に、こちらに、寄せた。
──やべえ。
俺の肩が、もう、裂けていた。
斬られたのは、左の二の腕だった。
浅いが、痛い。
「殿下!」
「動ける!」
俺は、左腕一本で、剣を振った。
振りは、甘かった。
だが、商人の意識を、一瞬、こちらに、向けさせた。
その一瞬で、リューリックが、商人の右腕を、斬り落とした。
商人は、刃物を、落とした。
崩れた。
膝を、ついた。
リューリックが、剣の柄で、商人の首筋を、叩いた。
商人は、地面に、倒れた。
──気絶。
俺は、肩で、息をしていた。
肩の傷、また、裂けてる。
左の二の腕、刺された傷、深くはない。
膝に、泥が、ついた。
鎧の革紐が、汗で、湿っている。
「……殿下、ご無事で」
「無事じゃない」
「歩けるなら無事です」
「お前の基準は、本当に、雑だ」
「家令の家系の副業の本義として、生き死にの基準は、歩けるか歩けないかだけでございます」
「リヴェンでも、同じこと、言ってたな」
「本義は、変わりません」
「お前の本義、本当に、頑丈だな」
「頑丈でございます」
リューリックは、ふっと、笑った。
荷馬車の布を、剥いだ。
◇
中には、子供が、四人、いた。
縛られていた。
そのうちの、一番小さい子が、リルだった。
頭の包帯は、剥がれかけていた。
リルは、俺を、見上げた。
俺は、見覚えがあったから、口を、開けた。
リルも、口を、開けた。
何か、言いたそうだった。
だが、何も、言わなかった。
リルが、俺の腕の中に、ぽとんと、落ちた。
──軽い。
子供の体は、思ったよりずっと、軽い。
軽すぎて、こいつらを「貨物」として運ぼうとした連中が、本当に、許せなくなった。
俺は、リルを、抱えたまま、しばらく、動けなかった。
動けない時間は、長くは取れない。
夜は、もうすぐ明ける。
商人を縛り、子供を診療所に運び、グウェンを暴く。
全部、夜明けまでに、やる。
俺の中の、計算が、また、回り始めた。
今度の計算は、いつもの「俺の生存戦略」じゃなくて、「四人の子供の生存戦略」だった。
ちょっと、慣れない計算だった。
慣れないが、悪くない計算だった。
◇
荷馬車の御者台。
商人の懐から、リューリックが、いくつかの物を、取り出した。
刃物。
子供を縛るための細い革紐、何本か。
眠らせる薬の入った小瓶、いくつか。
それと、暗号の紙。
帝国の認識票は、なかった。
代わりに、もう、ひとつ。
「殿下」
「うん」
「二度目です」
「ああ」
差し出されたのは、青銅の札だった。
目の図案。
円の中に、目が、一つ。
前回と、まったく同じ意匠だった。
「……」
「偶然では、ございませんね」
「ああ」
「……二度目までは、まだ偶然で押し通せるか?」
「殿下の希望的算定でございます」
「だよな」
俺は、札を、懐に入れた。
──二枚目。
懐の中で、二枚の札が、軽く、触れた。
軽く触れたが、音は、しなかった。
二枚以上になると、音は、たぶん、薄くなる。
数が増えると、何かは、薄くなるものだ。
ただし、重さは、薄くならない。
◇
夜明け前、村に戻った。
リルと、他の三人の子供は、診療所に、運ばれた。
ニーナは、診療所の戸を開けた瞬間、リルを見て、しゃがみ込んだ。
リルを、抱きしめた。
何も、言わなかった。
ニーナの目から、涙が、ぽつ、ぽつ、と、落ちた。
俺は、それを、見ていた。
ニーナの泣き顔は、初めて、見た。
ニーナは、走る娘だ。
走る娘は、走るのが止まった瞬間、たいてい、泣く。
走ることで、感情の、たぶん、八割は、外に出していたからだ。
走るのを止めると、外に出る場所がない。
涙は、その八割のうちの、たぶん、半分だった。
残り半分は、たぶん、後で、診療所の裏の井戸端で、流される。
俺は、それを、見ない方が、いいだろう。
見ないことに、した。




