第十九部 南へ向かう荷車と、半分だけ抜ける剣の話 Another Side:リューリック
灰柳へ向かう夜道は、静かだった。
リューリックは、月の出る前の薄い闇の中を歩いていた。
背には小さな荷。
内ポケットには油紙。
腰には短剣。
手には、マルタから受け取った粉袋。
粉袋。
主君から押しつけられた餞別である。
実用性はある。
しかし、形としてはかなり庶民的だ。
リューリックは、少しだけ口元を動かした。
笑った、と呼ぶほどではない。
だが、昔の彼を知る者が見れば、驚いたかもしれない。
レオン殿下は、変わってきている。
いや、戻ってきているのかもしれない。
王子としてではない。
生きている人間として。
痛いと言う。
待つと言う。
置いていかれるのが嫌だと言う。
昔の殿下なら、言わなかった。
言えなかった。
あの方は、失った日からずっと、失った者の側に自分を置いていた。
生き残った者ではなく、死に損なった者として。
だが、今は違う。
まだ不器用だ。
相変わらず愚かだ。
女性医療者に対しては、どうしようもない。
しかし、少しずつ生きている側へ戻っている。
その分、危うい。
生きたい者は、死に損なう者より傷つきやすい。
リューリックは、灰柳の方向を見た。
遠くに、分岐宿の灯りがひとつ見える。
そこからさらに南。
ブリエン東口。
グラント商会。
ラグナ埠頭。
シーロ行きの荷。
レヴォナ軽銀。
青い細線。
そして、リュに見えた略号。
リューリックは、内ポケットの油紙に手を当てた。
紙は軽い。
しかし、名としては重い。
殿下には、まだ言わない方がよいことがある。
だが、隠しすぎれば、また一人で走る。
どこまで守り、どこから渡すか。
家令の仕事は、荷の重さを測ることだけではない。
主君に持たせる重さを、間違えないことだ。
風が吹いた。
冬の終わりの風だった。
リューリックは歩みを速めた。
殿下が一日遅れで来る。
その一日の間に、道を開ける。
危険を消せるなら消す。
消せないなら、形を整える。
主君が到着した時、走らずに済むように。
できれば。
おそらく無理だろうが。
そこまで考えて、リューリックは小さく息を吐いた。
「殿下」
誰もいない夜道で、彼は静かに呟いた。
「どうか、一日くらいは、予定どおりに療養してください」
返事はない。
返事がないことに、彼は少しだけ安心した。
返事がある時は、だいたい問題が起きている。
灰柳の灯りが、少し近くなった。
リューリックは、粉袋を背負い直し、南へ続く道を見た。
道は分かれている。
だが、まだ切れてはいない。
今は、それで十分だった。
──Another Side 了




