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第8話 転生者は、ざらにいる

それからの数日間は目が回るような忙しさだった。


朝から電話番をこなして、隙間に体験授業の準備と補助、ビラ配り、ときどき講師のお使い。電話受付が18時に終わると、今度は夜遅くまで寮の個室掃除。それをぐるぐるやっているうちに週末になり、あっという間に最初の入寮生がやってきた。


前日の夜にようやく全居室を掃除し終えていたので、内心ほっと胸を撫で下ろしつつ。入寮生の荷物受け取りを手伝いながら、廊下に立って各部屋の確認に走り回る。夕方になると半月ぶりに寮の食堂が再開され、校舎長の計らいで今日くらいはと18時に上がらせてもらえた。


相変わらず新規の受付電話は続いているが、初日に比べればずいぶん落ち着いてきた。来週からはいよいよ授業も始まるという話だ。


ーーー


食堂で定食を受け取って、端の席に座った。


豆の煮込みに黒パンが2切れ、おまけにスープがついている。うまい。しばらくぼんやり食べながら考え事をしていると、改めてこの世界に存在していることを実感した。


忙殺されているあいだは意識しないようにしていたが、1週間前の今ごろは東大受験の前夜だったのだ。特に緊張もなく普通に寝てしまったが、まさか翌日からこんなことになっているとは思いもしなかった。


向こうでは今どうなっているのだろう。

俺は……死んだのだろうか。それとも行方不明扱いなのか。

俺の存在が関係者の記憶から消えて、最初からいなかったことになっているのだろうか。わからないことだらけで、考えても答えは出ない。


スプーンを止めて、天井を見上げた。


そういえば、ふつう転生というものには何かしら説明があるのではないか。神のような存在に呼ばれて、そこで特別なスキルを授かったりするのではないか。


俺の場合、これといって転生らしい演出もないまま気づけば異世界で大学入試を受けていた。家も金もないのでホームレスになって、職安で住み込みの仕事を見つけて、今は魔力も特に使えないまま食堂で豆を食べている。


これは本当に転生なのだろうか。


ふと、自分に今どんなスキルがあるのか、あるいはそもそも何もないのか、確認したくなった。


ーーー


翌朝、授業準備の手伝いをしていたときに、思いきって同僚の講師であるタリアに聞いた。タリアは獣人(ネコ科)の女性で、年は20代半ばくらい。講師陣の中では年齢も近く、そこそこ話す仲だった。


「スキルってどうやって確認するんですか」


タリアが猫の手を止めてこちらを見た。


「健診してないの?」


「してないです。こっちに来たばかりで」


こっち、というのは異世界のことだったが、明言はしないでおいた。正しい意味には取られなかったようで、タリア講師は続けて聞く。


「学校でしなかった? 高等学校の入学時に全員やるやつ」


「してないです」


少し間があった。あまり納得していないのか、何か計算が合わないという表情をしている。俺は咄嗟に「事情がありまして」と言いそうになったが、さらなる疑念を招きそうなのでやめておいた。


実はこの一週間、転生者であることを誰にも言っていなかった。


理由は単純で、そもそも言っていいのかわからなかったからだ。転生という概念がこの世界に存在するのかさえ定かでなかった。


一応受験票はあるものの、住所はでたらめだったし、身分証もなにも持っていない。自分がこの世界でどんな存在か分からないまま、波風を立てずに今に至っている。


「まあ、役所の登録課に行けば測ってもらえると思うよ。午前中に行ってこれば昼には戻れると思うけど」


タリアはあまり良くない意味合いで察したようだったが、無理に誤解を解くことはやめておいた。ちょうど午前の仕事が落ち着いていたので、校舎長に断って早速行ってみることにした。


ーーー


区役所の窓口で魔力・資質登録課と告げると、奥から若手の係員が申し訳なさげにやって来た。その表情からして今日は測定できないことを察する。


「今の時期は数ヵ月先まで予約が埋まっておりまして、飛び込みでの測定は原則ご案内が難しい状況なんです……」


案の定ではあったが、測定が数ヵ月先とは予想外だった。今は特に支障もないが、履歴書でも必須項目のようだし、できれば早めに測定しておきたかったが……。

こちらの暗い表情を悟ってか、係員が取り繕うように聞いた。


「念のためうかがいますが、前回の測定はいつ頃でしょうか」


「してないんです。初めてで」


その瞬間、係員の動きがぴたりと止まった。


「初めて、ですか……? 学校で健診があったと思うのですが……」


「諸事情あって、やったことがないんです」


「……少々お待ちください」


そう言い残して、係員は足早に窓口の奥に引っ込んでいった。上司たちに集合をかけて協議しているのが見える。やがて結論が出たのか、戻ってくる頃には数枚の書類を手にしていた。


「初回の方は極力ご案内しております。こちらの問診票にご記入ください」


受け取った用紙には以下のようなことが書いてあった。


ーーー

1、測定を受けたことが  ある ・ ない


2、「ない」を選んだ方は、その理由を以下から選んでください。

□幼少期の長期海外在住

□経済的理由

□種族的事情

□医療上の理由

□書類紛失

□保護者の不手際

□転生

ーーー


()()


末尾にその文字が並んでいた。


もう一度読んだ。転生、確かにそう書いてある。


───この世界に、転生という概念が存在する。


それも、役所の書類に選択肢として載っている程度には浸透している。


ペンを持ったまま少しのあいだ固まった。


転生の欄に印をつけ、答えられる設問を一通り埋めて係員に返すと、その場ですぐに返答を得た。


「本日のご案内が可能です。測定センターへご案内いたします」


ーーー


係員に連れられて外に出ると、二つ先の通りに白い石造りの建物があった。

中に入ると、係員から引き継ぎを受けた職員が問診票を手にしてこちらを向く。


「転生者の方ですね。体調はいかがですか?」


「問題ないです」


「安心しました。本日の所要は一時間ほどとなっております」


説明された測定の流れは、健康診断とほぼ同じだった。


まずは体格と基礎身体能力測定から。

身長・体重・視力のほかに「魔力感知反応」と書かれた項目があり、小さな石を手のひらに乗せて測定する。石の中心が淡く光ると、職員が光の強さを目視し、手元のカルテに数値を書き込んでいった。具体的な値はわからないが、「日常生活はまず問題ない水準」だと説明された。


次に魔力制御測定。

細い管から魔力を一定量ずつ流すというもので、均一に出せるかどうかを見るらしかった。そもそも魔力が部屋の電気をつける以外で可視化されたのは初めてだったが、制御していない状態では電流のように発散していたのが、コツを掴むと収束して1本の線状にまとまった。職員から「制御精度はよいですね」とお墨付きをもらい、ひとまず安心した。


最後にスキル測定。

といっても魔方陣の中心にある椅子に座っただけで、1分もすればすべての測定が終わり、待合室で待機するよう告げられた。


どうやら転生者にはこのあと医師によるカウンセリングがあるようで、それを待つ間に職員が速報値の用紙を渡してくれる。

スキルの欄に「読解強化」「記憶整理」とあったが、どちらも「微」の注釈がついており、ずば抜けた能力ではないようだ。


「これらはいわゆる知性項目ですね。微とありますが十分高い方です」職員が言う。「スキル自体は特段ありませんが、実用上は問題ないと思います。人間の中で一番よくあるパターンに近いですね」


なるほど。

無双とはほど遠いが、下克上が始まる余地もない。主人公らしい出発点ではなかったが、身の丈に合った結果に満足した。


ーーー


カウンセリングとして案内された部屋には、小柄な老人が座って待っていた。

白衣を着ており、背が丸く、顔の皺が深い。机の上には書類の山があり、その上に拡大鏡が置いてあった。


()()()()()()()


その言葉を聞いた瞬間、思わず固まった。


「……日本語、ですか」


「そうです。久しぶりに使うから少しぎこちないかもしれないけどね」


老人がはにかんだように笑う。皺がさらに深くなった。


「水野といいます。こっちでは別の名前も使っているけど、あなたには水野でいいでしょう。87歳の老いぼれです」


年齢を聞いて素直に驚いた。

老いてはいるが、とても80代後半には見えない。落ち着いた口調ではあるが、すらすらと言葉が出てくるあたりがさすがは医師といったところだろうか。


「転生してこられたんですか」


「はい。60年以上前にね。当時は東北大の医学部に通っていて、留年した直後だった。まあいろいろあって」


転生から60余年という長期間が経過していることに驚愕していると、水野医師は昔を懐かしむように言った。曰く、医学生と伝えたつもりが、手違いで医師として働くことになってしまったという。


「当時はあたり一帯が流行り病に冒されていて、医者不足が深刻だった。誰も咎めないばかりか有難がられて、なし崩しで今に至ります」


老人が笑うその皺に、長い年月の重みが刻まれていた。

俺は少し迷って、気になっていたことを遠慮がちに聞いた。


「転生者って、珍しいですか」


医師はうんうんと頷きながら、淀みなくそれに答える。


「確かにかなり珍しいですね。ただし、数にしてみればざらにいます。転生者であることは、周りに言っても何も問題ありません」


水野医師は書類に視線を落として、めくりながら続けた。


「私はこちらで結婚して、孫も生まれて、ひ孫まで生まれた。この世界が本物の人生になりました。でも転生者の中には、元の世界に戻っていった者も大勢いる」


思いがけない話だった。


「戻れるんですか」


「詳しいことはわからない。ただ、行方不明でも死んだわけでもなく、本当に戻ったらしいとだけ聞いています。どうやらこちらからあちらへ帰る分には、何か()()()を持たせてもらえるようだとも。具体的には知らないけれど」


老人がこちらを見た。


「我々と同じ世界から来た人のうち、私が実際に会ったことがあるのは、君を入れてたったの6人です。そのうち2人は私より年上で、こちらで生涯を過ごして亡くなりました。別の1人はスイス人で、今もこの国の郊外で暮らしています。あとの2人は帰りました」


日本人は私と君だけ、と水野医師は付け加えた。


「君が今後どうするか分かりませんが、どう転んでもここでの努力は無駄にならない。帰るにしたって()()()がありますからね。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、ということですよ」


老人は笑いながらカルテにサインをした。深い皺の奥の目が穏やかで、久々に同郷と出会えた喜びをにじませている。


「私ばかりが喋りすぎたね。君のことを聞かせて」


今度は俺が話す番だった。


ーーー


施設を出ると正午を過ぎていた。早く戻らなければ。仕事が山のように溜まっているはずだ。


さっきの会話を反芻しながら石畳を歩く。

「転生」という概念がこの世界に存在していて、いつか帰れるかもしれないこと。今この世界でした努力は、決して無駄にはならないこと。


ここで生きていく上で、そして、いつか戻れる日が来たときのためにやるべきことは───



予備校の路地が見えてきた。

タリアが玄関の前で手を振っていた。

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