第6話 屋根裏の大掃除
「今日はもういい」校舎長は言った。「部屋の片付けもあるだろう」
時計を確認すると18時を過ぎていた。初日の勤務を無事に終え、ほっとする。
廊下で校舎長から簡単な説明を受けた。寮が閉まっている期間は食堂が使えないこと、代わりに近所の大衆食堂が明け方まで開いていること、大浴場はいつでも使えること。
寮が始まったら入浴は生徒の入らない深夜に限られるが、それは半月後の話だ。
「新年度の受け入れ準備を進めている時期なんで、正直いまが一番忙しい。明日からもこき使われてくれ」
淡々とした言い方だったが、脅しではなく事実として受け取り、苦笑した。先に上がることに礼を言って、庶務室を出る。
まずは地下の備品室に向かうことにした。
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寮の地下に降りると、棚にリネンが折り畳まれて積んであった。寝具を一式抱えるついでに掃除道具の棚を確認すると、塵取りや雑巾が揃っていた。バケツに道具をまとめて持ち上げ、地下室を出る。
講義棟に戻る途中で寮長に呼び止められると、ワックス掛けのポーションを受け取った。「掃除のあと部屋の中央に一滴垂らしなさい。しばらくは埃や虫が出なくなるから」
礼を言って受け取り、渡り廊下を進んでさらに階段を5階分、最後に梯子階段を上がってようやく屋根裏に戻った。さすがに大変だったが、この行き来もじきに慣れるだろう。
当然ながら、部屋は昼間と違って真っ暗だった。一つしかない明かり取りの窓から、夜の青みがかった光がわずかに入っている。天井の照明は魔力で点けるタイプらしく、校舎長に教えてもらった要領で触れると、黄色い光が部屋いっぱいに広がった。
改めて見渡すと、屋根裏は埃がひどかった。棚の上に指で線が引けるほどだ。床を踏むたびに微かに白いものが舞うので、この中で寝るのは無理がある。梁の角には蜘蛛の巣が残っていた。
明かり取りの窓を開け、リュックサックと寝具一式を屋根に出すと、袖をまくった。講義棟の屋根をつたうと寮の屋上に行くことが出来、屋上には物干し竿と手洗い場があった。寮生は各自の部屋で洗濯を干していたので、屋上の方は誰も使っていないようだ。
屋根裏には水道が引かれていないが、ここさえあれば水には困らない。バケツに水を汲み、部屋に戻った。
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まずは家具を壁から引き離した。
ベッドの枠を引いて壁との隙間を作り、棚を少し動かして後ろにアクセスできるようにする。机は軽かったので中央に寄せた。
掃除は天井から始めた。長いブラシで梁の角を払うと、灰色の埃が塊で落ちてくる。屋根の勾配に沿って端から端まで、届く範囲を全部払った。一往復終える頃には髪が白っぽくなっていた。
次に棚。段ごとに全部の棚版を取り出し、雑巾で拭いていく。一段拭いただけでも雑巾が真っ黒になった。二度拭き、三度拭きをして、ようやく木の色が出てくる。
棚には倉庫時代の荷物はなく、空の瓶がいくつかと、使い古した帳面が一冊だけ残っていた。帳面を開くと中身は白紙だったので、表紙を拭いてそのまま棚に戻しておく。
窓の桟を拭いた。屋根に出て窓の外側も磨いていく。ガラスを拭くと光の入り方が変わって、月明かりがさっきより広く部屋に差すようになった。壁を上から下へ雑巾で撫でていく。
床はバケツに水を汲んで、固く絞った雑巾で四つん這いになって拭く。端から始めて板の目に沿って進み、一枚ずつ確認しながら拭いていくと、木の色がだんだん戻ってきた。二回替えて、三回目でようやく雑巾が薄汚れた色で済むようになった。
そこまで終わって、改めて家具を適切な位置に戻した。ベッドは窓から離れた壁際、机は窓の光が入る位置、棚はベッドの頭側。寮の地下に戻ってマットレスを敷き、リネンをかけてベッドを整えると、寝床が完成した。
部屋を見渡すと見違えるほど綺麗になっていた。すでに5時間ほど経ち、日付が変わろうとしているところだ。
埃は消えて、床も棚も壁もきれいになった。照明をつけると黄色い光が木の質感に馴染んで悪くない雰囲気がある。
机の前に椅子がないが、これは教室に余っているはずなので、明日にも調達してくればよい。
空の棚に昨日買った受験対策本を並べると、伽藍としていて棚がひどく広く見えた。
重い制服を身に付けているのでそろそろ着替えが欲しかった。シャツと下着は今日のうちに洗って干しておこう。
腹が鳴った。さすがに何か食べないとつらくなってきた。
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校舎を出て路地に入ると、昼間とは別の匂いがした。油とスパイスと、薄く炭の煙が混じった匂い。
すぐそばに灯りの出ている食堂があった。
看板に「夜通し営業」と書いてあるように、深夜であっても普通に鍋を振るっている。扉を開けると、広くはないが清潔な内装で、丸いテーブルが六つあった。
壁の看板を見て、一番安そうな定食を頼んだ。
通りを眺めながら待っていると、向かいのビルに予備校の看板が出ているのが見えた。さらに隣のビルにも予備校が入っている。この辺りは予備校が集まっているらしく、路地の両側に看板がいくつも出ていた。それだけ受験生が集まる街なのだろう。
定食が来た。
厚みのある皿に、煮込んだ豆と根菜が盛られている。隣に粗挽きのパンが二切れと、澄んだスープが一杯ついていた。スプーンで豆をすくって食べると、柔らかく崩れて塩気が効いている。スープは具がほとんどないが、しっかり出汁をとっていて美味い。パンを浸して食べるとこれまた絶品だった。
一人前でも多いくらいだった。
会計をすると、財布の中の硬貨が大きい方の一枚だけになった。これでは明日の夕食が厳しい。最初の給金がいつになるか聞いていなかったので、明日確認しなければいけないことの一つに加えた。
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寮に戻って大浴場に向かった。
廊下の突き当たりの扉を開けると、暗闇の中を湯気がゆっくりと出てきた。電灯を入れると、浴場は思ったよりかなり広い。石造りの浴槽が一つ、ゆったりとした大きさで真ん中に広がり、湯が淵の近くまで満ちていた。天井が高く、壁の上の方に小窓がいくつかあって、夜の空気が少し入ってくる。
当然ながら、他に誰もいなかった。
湯に入ると、思っていた以上に熱い。足先から順に慣らして、ゆっくりと肩まで沈んだ。
この2日間のことが頭の中で勝手に再生された。
試験会場で顔を上げたとき、財布の硬貨を机に並べたとき、スライムの後をついて歩いたとき、住所が存在しないとわかったとき、予備校の屋根裏をあてがわれたとき。出来事の密度が異常だった。二日で一生分のことが起きたような心地がする。
それでもなんとかなっている。
住む場所がある。
食べることができる。
明日からの仕事がある。
湯に浮かんだまま、しばらく天井を見つめていた。
死んだ父親のことを思い出した。職人かたぎの仕事人間で、よく働きよく食べた。
風呂から出る頃には2時近くなっていた。寮の廊下には誰もおらず、予備校全体が静寂に満ちていた。
屋根裏に戻って照明を落とす。
きれいになったベッドに横たわると、リネンが冷たかった。天井の梁の形が暗がりの中に浮いていた。
一昨日は薄い布団で一睡もできず、昨日は公園のベンチ。
疲れもあって、横たわった次の瞬間にはシャットダウンするかのように意識がなくなっていた。




