第3話 スライムでもわかる、受験のしくみ
部屋に戻って荷物を下ろした俺が最初にしたことは、財布の中身を机の上に並べて数えることだった。
硬貨が6枚。大きさが2種類あって、大きい方が4枚、小さい方が2枚。
紙幣が4枚で、柄の違うものがそれぞれ2枚ずつある。宿の支払いでくずれる前は、これより大きい額の紙幣が1枚入っていたことになる。
合計でいくらなのかはわからない。宿代として女将に払った紙幣から逆算すると、大きい硬貨3枚ほどが宿泊費に相当するように思えた。
これで今夜と明日をどう乗り切るかを考えると、まず食事と、できればこの世界について知り得る教科書が欲しかった。
20時近くなっていたので、コートを着て足早に部屋を出た。
ーーー
宿からそう遠くない表通りに出ると、石畳の上に黄色い明かりが落ちており、どこかで煮込み料理のような匂いがした。
看板に灯りを入れている店もあれば、すでに扉を閉めている店もある。受験生らしい若い姿がちらほら歩いていた。みんな少し疲れた顔をしている。
そこから一本入った細い通りに、窓から明かりがあふれている店があった。ガラスの向こうに本の背表紙が並んでいる。古本屋だ。
扉を開けると、紙と木と埃が混ざったような匂いがして、思わず小さく咳き込んだ。狭い店内には本が天井近くまで積まれており、その奥に丸い眼鏡をかけた小柄な人物が座っていた。
ドワーフ……というのだろうか。背は低く、肩幅が広く、白くなった顎鬚が胸の辺りまで伸びている。手の甲に太い血管が浮いていた。
「受験生かね」
入店してきた俺を見るや、店主に声をかけられた。
「あ、はい、……一応」
店主は眼鏡の奥の目を細めた。
「なにかお探しで」
「あ、えーと、受験の仕組みがわかるような本があれば……」
店主は少し間を置いて立ち上がると、奥の棚を指さして軽く手首を返した。本が1冊棚からするりと宙に浮いて、俺の手元にやってくる。
『スライムでもわかる!G-MATS対策 受験大全(改訂第九版)』
「どこ目指してるの?」
志望大学という意味だろうか。
答えに詰まった。正直に言えば、目指す大学どころか、試験を終えたらどうなるかもわからないのだ。
「まだわからないです」
「そうか」店主は眼鏡を直して、それ以上は聞いてこなかった。
財布を出してもたもたしていると、店主が硬貨を一枚つまんで言った。
「第八学区域の通貨か。えらく遠いところから来たんだな。まけとくよ」
なるほど、地域によって発行された通貨が違うのか。手渡された釣り銭を見ると、これまた変な生き物が彫刻されている。
礼を言って店を出ると、宿代と合わせて財布の中身はほぼ半分になっていた。
ーーー
帰り道に屋台を見つけた。
金属製の台の上に炭火が入っており、串に刺した肉が並んでいる。焦げた脂の匂いが腹に刺さった。そういや、朝から何も食べていなかったのを思い出した。
指で二本示すと、店の人が何かソースのようなものをかけて渡してくれる。かじると肉は想像より柔らかく、表面に塗られた黒い調味料が甘辛い。何の肉かは聞かなかったが、相当美味かった。
立ったまま食べ終えて硬貨を一枚払うと、釣り銭が戻ってきた。通貨はかなり小さな単位まであるようだ。
ーーー
宿に戻ると帳場で女将に声をかけられた。大浴場が閉まる前に入れとのこと。
案内された先は石造りの浴室で、湯が深く張られていた。数人の受験生がすでに入っており、みんな黙って疲れた顔をしている。俺も黙って肩まで浸かると、身体が芯まで温まっていくのを感じた。
しばらく浸かっていると、浴場の隅に半透明の塊が入ってきた。例のスライムだ。スライムは湯の端の方へ進んでいくと、そのまま止まって惚けているようだった。
溶けているのか入浴しているのかわからなかったが、異世界ではよくある光景のようだ。
特に話しかけることもなかったので、頃合いを見て先に風呂から上がった。
ーーー
部屋に戻って、買った本の中身をパラパラと見てみる。
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『スライムでもわかる!G-MATS対策 受験大全(改訂第九版)』 第一章より
①G-MATSとは何か
全種族共通魔導適性選抜(Grand Magical Aptitude Testing System、通称G-MATS)は、アルカナ大陸全土で年に一度実施される大学入試の一次試験です。
実施主体は大陸学術評議会(ACA)。
種族・地域を問わず、すべての受験生が同一の試験を受けることになります。
試験は2日間。
1日目に大陸史・種族史、汎用語、算術魔導学の3科目、2日目に魔導理論と魔導実技筆記の2科目が実施されます。
各科目200点満点、合計1000点満点です。
なお試験に魔力の実際の行使は一切求められません。G-MATSはあくまで筆記の試験です。
②大学のランクについて
進学先の大学はΩ・Α・Β・Γ・Δの五段階に格付けされています。
Δランクは入試なしで入れる学校が多く、実技や専門技能に特化した学校が含まれます。
Γランクは最多数。普通に暮らしていくには十分な知識と資格が得られます。
Αランクは中堅大学群です。G-MATS偏差値は60以上が目安となっています。国家資格の上位取得ルートに乗ることができ、就職の選択肢が大きく広がります。
Ωランクは、大陸全土に三校のみ。
これらは「頂点校」と呼ばれています。
・アルカナ魔導皇立大学(通称:皇魔大)
設立400年。大陸中央の学術都市「アカデミア・ウルス」に鎮座する大陸最古にして最高峰の大学です。学術的権威であり、大陸魔導審議会において強い学閥を持ちます。
魔導官僚、大陸法務官、聖域管理官といった高位魔導人材を多く輩出しており、名実ともに頂点校のトップを率いています。
・大陸冒険者連合附設魔導大学(通称:冒魔大)
皇魔大と人気を二分する実技系の最高峰であり、文武両道の名門校です。創立392年の伝統校でもあり、卒業生が現在のSランク冒険者の約6割を占めています。民間最大組織である大陸冒険者連合が設置母体となって運営されています。
導式匠師、座標調律師、聖域踏破官、各専門医等の専門課程があり、皇国魔導資格を目指すことができます。卒業生の過半数は戦術執行官の幹部候補として大陸冒険者連合に加入します。
・北方自由魔導大学(北自大)
設立100年と後発ながら、近年急激に評価を上げているΩランク校です。種族別クォーター制を廃止した唯一の頂点校で、全種族が一つの枠で実力勝負します。二次試験は論述と小論文が中心であり、魔力の高さより思考の筋道が問われます。若い世代の支持が厚い一方、伝統的なエルフ貴族層からは批判も多い学校です。
ーーー
本を軽く流し見た時点で、窓の外はすっかり静かになっていた。
受験票を確認した。この世界の時刻の数え方がまだよくわかっていなかったが、宿の廊下に時刻表が貼ってあったのを思い出して見に行くと、試験開始は日本でいえばおそらく9時頃に相当するようだった。
行くかどうか一瞬考えたが、昨日の監督の言葉がよみがえってくる。
「棄権の場合も最終科目の終了後に手続きが必要です」
逃げるにも手続きがいる。
それに、今日の別室で受けた汎用語と算術魔導学は、思ったよりわかった。
明日の魔導理論は物理と対応するかもしれないと本に書いてあった。魔導実技筆記は論述で補えるとも。
行くか。
理由は単純で、手続きが面倒だからというのと、少し知りたくなったからだ。この世界の試験が、どんな問題を出すのか。
この世界でたった一つ、俺のために用意された居場所があの席なのだ。
本を閉じて電灯を消した。
天井を見上げていると、廊下の向こうから音が聞こえてきた。
唸るような、低い音。獣が喉を鳴らすような、しかし一定のリズムを持った音。いびきだと気づくまで少し時間がかかった。相当な肺活量があると思われた。
過去最大のいびきを聞きながら、静かに目を閉じた。




