第11話 大陸横断編②ぬかるみと横転
しばらく外を眺めていたが、さすがに揺れが激しくなってきたあたりで小窓を閉めた。先ほどまでは世間話を交わしていた乗客たちも、今やすっかり静かになっている。
皆それぞれに荷物を抱え込むようにして、押し黙って耐えていた。
そう、まさに「耐える」だ。
車輪が路上の岩を踏み越え、車体が大きく跳ね上がるのを耐える。荷台はその度にもみくちゃにされ、人間と荷物がまとめてミキサーにかけられているような有様だった。
懸命に自分の荷物を守り、転げないようにと踏ん張ってはいるが、山を抜ける頃にはすっかりくたびれていた。
牽引している陸行竜は、長距離を移動し続けることには長けているが、一度走り始めると最後まで止まらない。この行程も丸一日休憩なしのノンストップだった。
外の景色が飛ぶように後ろへ流れていく。すでにかなりの速度が出ていた。
半日以上この暴れ馬に揺られ続けていると、そろそろ蓄積された疲労を感じだす頃だ。
寮長から、道中は絶対に寝るなと言われていた。ほかの旅客たちは案外横になって休んでいる者も多かったが、俺はじっと目を見開いて待つ。車内に消灯の概念はなく、揺れるランプの薄暗い光がいつまでも灯っている。
ふと息苦しさを感じて再び小窓を開けると、冷たい夜風とともに満天の星空が飛び込んできた。
まるで砕いたダイヤモンドをぶちまけたような、壮大で圧倒的な星空。
狭く、埃っぽく、汗臭い車内とは対照的なその美しさに、俺は疲労も忘れてしばらく見入っていた。
───ここに来てよかった。
なんていうのは単純だろうか。
ーーー
さらに半日が経過した。
出発からちょうど丸一日、あと3時間ほどで目的地に着く。
外の景色に雪が積もりはじめ、かなり北上してきたことを感じさせた。厚手の外套を持ってきて正解だった。
車内がもうじき着くという雰囲気になってきたところで、不運なことに雨が降り出した。
それもただの雨ではなく、視界を白く塗りつぶすほどの大雨だ。
土の道路は瞬く間にぬかるみ、ただでさえひどい揺れだったのが、大きなうねりを描きはじめる。
(スピード、出すぎじゃないか?)
通常の速度というのもわからないが、雨が降りだしても尚お構い無しという走り方に、本能的な危険を感じる。
そして、その予感は当たっていた。
車体が険しい岩肌の斜面に差し掛かった辺りだった。ぬかるんだ泥と濡れた岩の表面に車輪が乗り上げると、そのまま───
嫌な浮遊感。巨大な質量がコントロールを失い、横に滑っていく独特の感覚。
(え?)
思考が追いつくより早く、視界が反転した。
凄まじい轟音とともに、天地がひっくり返り、人と大量の荷物が容赦なく降ってくる。俺は咄嗟に、隣に座っていた小柄な老人を庇うようにして覆い被さった。
直後、背中に鋭く重い衝撃が走る。硬い木箱か何かが突き刺さるように落ちてきたのだ。
息が止まる。重い。潰れる。
「……っ、大丈夫ですか?!」
肺から絞り出すように必死に叫ぶと、真っ暗になった車内から、まばらに声が上がった。数人がうめくように無事を知らせる。
スリップした勢いのまま、叩きつけられるように横転したようだった。
木製の枠はひしゃげ、床と天井が逆転し、荷物と人がごちゃ混ぜの山になっている。ランタンが割れ、闇の中に雨音だけが不気味に響いていた。
全身が痛い。打撲だらけだ。巨大な洗濯機の中に放り込まれ、硬い石と一緒に容赦なく回されたようなものだった。
暗闇の中で爺さんを庇ったまましばらく耐えていると、外から騎手の焦った声が聞こえてきた。
「皆さん!無事ですか?!ゆっくり向きを戻しますので、苦しい人は言ってください!!」
早く戻してくれないと、爺さんが俺と荷物の重みで潰れてしまう。
外から陸行竜の低い唸り声が響いた。直後、車体全体が強烈に軋みながら持ち上がり、徐々に元の向きへと直される。荷物の重心が床に預けられると、庇っていた背中がようやく解放された。
ほとんどの乗客が怪我をしていた。
すぐにでも病院に行きたい状況だが、それも目的地の街が一番近いということで、着くまでは耐えるしかなかった。
車体が大きく凹んで雨漏りもしている中、車体が再びゆっくりと動き始める。何人かが指先で明かりを照らしてくれたが、着くまでは些細な振動も不安だった。苦痛の強い乗客に交代で鎮痛魔法を施しながら、なんとか急場を凌いだ。
目的地が近かったのは本当に不幸中の幸いで、もしここが荒野のど真ん中であれば、最悪の事態が容易く浮かぶ状況だった。
到着する頃には、俺の全身は数え切れないほどのアザだらけになっていた。
ーーー
ようやく目的地の街に到着した。
すでに連絡を受けた現地では救護班が組まれており、乗客たちは順に降りて案内される。
あなたも行きましょうと声をかけられたが、曖昧に濁して列を離れた。
宿を探さないといけなかった。
これで俺が宿も取らず、肝心の迎えにも行けなければ、いったい何のためにここまで来たのかわからなくなる。
俺が迎えに行くべき子息は、今夜この駅に到着する予定なのだ。まずは駅周辺で拠点を確保しなければならない。
街に出ると、噂に違わず治安の悪そうな空気が漂っていた。
路地裏には胡乱な目つきの男たちがたむろし、建物の壁はすすけ、窓には鉄格子がはめられている。
そして何より、寒い。
極寒だ。持ってきていた厚手の外套を羽織っても全く足りない。吐く息は真っ白に凍りつき、足元にはすでに浅く雪が積もっている。
事前に目星をつけていた宿に直接行って交渉すると、3軒目でなんとか部屋を確保することができた。
鍵を開け部屋に入るなり、俺は荷物を放り投げて床に倒れ込んだ。
痛い。全身が悲鳴を上げている。
事故の際、受け身が取れずにまともにぶつけた肩や背中、そして飛んできた荷物から隣の爺さんを庇って無理な姿勢をとったのが、完全に祟っていた。
文字通り傷だらけだ。
温かい風呂に入って泥と血を洗い流したかったが、もはや服を脱ぐ体力すら残っていない。
フロントには定刻前に呼びにくるよう伝えておいた。俺は冷たい床の上で、泥のように眠りに落ちた。
ーーー
「……お客様。お時間です」
ドアを叩く女性従業員の声で目が覚めた。迎えの時間だ。
起き上がろうとした瞬間、全身を貫く激痛に思わず悶絶した。
痛い。体が鉛のように重い。関節という関節が錆びついたように動かず、背中の傷がずきずきと痛む。
(……行かなくては)
気力を振り絞り、這うようにして宿を出た。凍てつく雪道を一歩一歩踏みしめるように歩いて駅へと向かう。
なんとか定刻の19時に間に合い、ホームに立った。まずは一安心だ。
冷たい風が吹き抜けるプラットホームで、列車が来るのを待つ。
……来ない。
遅れているのだろうか。定刻を30分過ぎても、遠くに列車のヘッドライトすら見えない。
日本の感覚が抜けてなかった。
考えてみれば、異世界の、ましてやこんな雪の積もる辺境の地で、列車が時間通りに来るはずがない。
俺としたことが焦りすぎた。
1時間が経過した。
来ない。
3時間が経過した。
来ない。
ついに日付が変わってしまったが、それでも列車は来なかった。
限界に近い痛みと疲労が、今日は帰ろうと囁きかけてくる。だが、それでは何のために俺が来たのか。
意地でも待とう。そう決めた矢先だった。
───来た!
遠くの闇を切り裂くように、警笛が鳴り響いた。列車だ。
事前に聞いていた号車番号を頭の中で反芻する。数えながら列車が滑り込んでくるのを見つめていると、聞いていた編成より1両少ないような気がした。
まあいい。重要なのは子息を見つけることだ。
シューッ!というけたたましい排気音とともにドアが開き、乗客が一斉に降りてきた。聞いていたよりかなりの人数が乗っていた。
人々が吐く白い息で、ホームが霞む。
俺はその間を縫うようにして目を凝らした。
あれも違う。これも違う。違う、違う……
あれ?
人がひととおり降りきり、ホームが閑散とし始めた。車掌らしき人物が車内を点検して回っている。誰もいない。
まさかと思うが、 見落としたのだろうか?
焦って駅舎に引き返すと、ベンチに一人の老人が座っていた。藁にもすがる思いで声をかける。
「すみません、 エルフの少年を見ませんでしたか? 背が高い金髪の」
「ああ、いましたよ」
いたのか!
ほっと胸を撫で下ろす。
「 気付かなかった、ありがとうございます、探しに……」
「待ちなさい」
え?
老人が静かに首を振った。
「彼は次の列車で来るよ。わけあって前の駅で降りたんでね」
は?
「君は、彼の友人かな?」
「いえ、ただ迎えに来ただけです」
「そうか。では、これを」
老人は懐から小さなガラス小瓶のポーションを取り出し、俺に手渡した。
なにこれ?
そう思って顔を上げると、目の前にいたはずの老人が忽然と姿を消していた。まるで幻だったかのように。
混乱している暇はない。とにかく、つぎの便だ。俺は再び極寒のホームへと引き返した。
ーーー
寒い。
外のベンチは吹きさらしで、寒いを通り越して痛かった。
ふと見ると、駅員が大きな音を立てて駅舎の扉を閉めようとしている。
今日はもう列車は来ないんじゃないか?
慌てて駅員に話しかけたが、訛りがきつく、何を言っているのかまったくもって聞き取れない。国境付近の駅だからか、そもそも言語が違う可能性すらあった。
駅員は眉をひそめて何やら捲し立ててきたが、俺は身振り手振りで「大丈夫」と返し、雪の吹き込むホームに戻った。
寒い。寒すぎる。
ついに雪が本降りになってきた。
風を避けるために柱の陰に身を隠し、足踏みをし続ける。手袋の中で指先を絶えず動かし、凍傷を防ぐためのポーズを取り続けた。
目をつぶったら死ぬ。
本能がそう告げていた。治安がどうこうという次元の話ではない。この寒さの中では、追い剥ぎや強盗も家から出ないだろう。寝ても人に襲われる心配はゼロだろうが、寝たら別の死因で死ぬ。
夜が深まるにつれ、地獄のような時間が始まった。
アドレナリンが切れ始めたのか、事故で負った全身の打撲が、寒さとともに芯から疼き始めたのだ。
呼吸をするたびに肋骨が軋み、足の感覚はとうに消え失せている。
なぜ俺はこんな目にあっているのか。
なぜ見ず知らずの、途中で勝手に降りるようなわがままな坊ちゃんのために、命をかけて雪中行軍をしているのか。
寒さと苦痛で無性にイライラしだした。坊っちゃんからすれば理不尽な話だが、苛立ちが徐々にどす黒い怒りへと変わっていく。
意識が途切れそうになるたびに、自分の頬を力一杯張り飛ばして目を覚まさせた。
そして——─
半分以上意識が遠のき、幻覚すら見え始めていた明け方。
地響きとともに、長い長い列車がようやくホームに滑り込んできた。
(……なんかやっぱ、車両少ないな)
ぼんやりとそんなことを思いながら、俺はのそのそと立ち上がる。
もはや手足の感覚はなく、事故で負った傷の痛みすら感じなくなっていた。限界を超えたことで脳のストッパーが外れ、アドレナリンがドバドバと分泌されているのがわかる。
寝不足、極度の疲労、全身の怪我、そして凍死の危機。とても人を迎えられるような状態ではなく、気分は最悪だった。
シューッ、とドアが開く。
乗客がまばらに降りてきた。深夜の便だったせいか、前の列車よりも明らかに人数は少ない。
重い足を引きずりながら、人を探す。
イザイア・ヴァン・ ヘルバーク
身長180cm、金髪のエルフ
霞む目で乗客を一人一人確認していく。
薄暗い明け方の雪景色の中、乗客のなかにひときわ目を引く長身の少年が降りてきた。
透き通る白い肌、黄金の糸を紡いだような金髪、雪の結晶すら霞むほどの、完璧に整った美しい顔立ち。
その顔はひどく不機嫌そうに歪んでいた。苛立ちを隠すことなく、大股で駅のホームを歩いてくる。
その出で立ちを正面から捉えた瞬間、全身の痛みが吹き飛ぶほどの衝撃を受けた。なぜなら彼は───
「迎えって、あんた?」
───G-MATSの会場で、別室にいたエルフだったのだ。




