第10話 大陸横断編①竜車に揺られて
週明けに授業が始まるとあって、週末にかけて多くの生徒が入寮した。
寮の廊下を歩くと、どの部屋からも荷物を整理する音が聞こえてくる。食堂が再び活気づき、大浴場に人が並ぶようになった。校舎の教室にも生徒の姿があって、自習をしている者、参考書を広げている者、窓際でぼんやり外を見ている者など、それぞれが思い思いに過ごしている。
寮生の授業は昼間におこなわれるそうだ。午前中から夕方まで、5つの教室が順繰りに埋まっていき、夜になると今度は通学生の授業が始まる。昼と夜で入れ替わる二部制で、これが春から一年間続くというわけだ。
とはいえ本格的な授業開始は4月からなので、3月中は予備的な内容を押さえつつ、順次入寮していく期間となっている。週末までにはすでに半分以上が入寮し終えていた。
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週明けの月曜。今日から授業開始とあって、俺は教務室で待機していた。
電話の応対や来客の案内、書類の整理、備品の補充。講師たちが授業後に頼む細かな仕事をこなすのが主な役割だ。授業の板書は講師が各自で消すことになっており、日中に俺が講義棟の上階に上がることはほとんどない。
夜になると応対窓口も閉まり、一日の最後に清掃と後片付けをして仕事が終わる。
勤務時間は延びたが、仕事の密度は落ち着いた。裁量労働のようなもので、空いた時間は教務室で自由に過ごせるのもよかった。小学校の教科書を読み進めて、時折校舎長や授業前後の講師たちと会話をする。
講師たちの中には顔を見たことのない者も複数いた。ゼインという40代の男性講師は、アルカナ魔導皇立大学で助手をしながらここで夜間の授業を持っているらしく、その準備のために訪れていた。寮生と違い、通学生の夜間授業はさらに一週間遅れて始まることになっている。
「じゃあ、新年度一発目いきますか」
シェファが書類を脇に抱えて廊下へ出ていった。そのあとに続いて、他の講師たちも教室へ向かう。
3月の第2月曜日。
午前9時の始業のチャイムと同時に、教務室は静かになった。
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水曜日の昼過ぎ、教務室の電話が鳴った。
受話器を取ると、女性の声が聞こえた。焦ったような不安げな調子だ。
「息子が明後日そちらに入寮する予定だったのですが、乗っていた列車が途中の駅で停車することになりまして」
話を聞くと、彼女の息子は3日前の夜に家を出て大陸横断鉄道に乗っていたが、通過予定の駅舎で設備トラブルが発生しており、それ以上先へは行けなくなったという。その停車駅には明日の夜にも到達する予定だが、明後日の入寮には間に合わない。
そのまま駅で立ち往生するかも知れず、一人では危険なので何とかならないかという問い合わせだった。
名簿を確認した。該当する生徒の住所欄を見て、少し目を疑った。
『第四学区、セルデア連合国、首都メリナス』
第四学区というとかなりの遠方だ。
「少々お待ちください」
受話器を押さえて、隣の席にいた校舎長に状況を説明した。電話を代わると、校舎長は対応を協議する旨を母親に伝え、折り返すと言い電話を切った。
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校舎長の号令によって、授業外で手の空いていた講師が教務室に集められた。
問題は複数あった。
まず、列車が停まる予定のグレイトンという街は、ベルドナ国の国境付近で、ルーデン市からは1,500キロほどの距離がある。日本で言えば大阪から札幌くらいの遠方だ。第一の移動手段は鉄道だが、その鉄道が動いていない。
国境の辺りは治安が不安定な地域だという。
グレイトンそのものは中規模の街だが、周辺に荒野が広がっており、移動には危険が伴う。
件の当事者は有力者の子息だった。
あの地域に一人で放置するのは得策ではないとベテラン講師が言った。
「列車の再開には最低でも一週間はかかるらしい」駅舎に問い合わせていた校舎長が、受話器を置いて言った。「迎えに行く方がいい」
「箒で飛んでいきますか」
俺が半分冗談で言うと、タリアが呆れたような顔をした。
「着く頃には列車が再開してるわよ」
どうやら、空飛ぶ箒はこの世界では自転車のような立ち位置らしかった。
「どうするかね」とベテラン講師が腕を組むと、「竜車しかないでしょうね」と寮母が言った。それを聞いて、一同が憐れむように俺を見た。
『竜車』というのは、陸行竜に引かせる大型の荷車だそうだ。
原理としては馬車と同じだが、竜車はバスほどの大きさの荷台を引くことができる。ただし座席などはなく、ただの荷台に乗り合う形で移動することになる。例えるならば、夜行バスの中型トラック版だろうか。
道中は丸一日かかる上に、首都近郊を抜けると未整備の区間が延々と続くため、なかなか過酷な旅になるという。
当然、俺が行くことになった。
ーーー
対応が決まって準備をしている間に、校舎長から母親に電話をかけ直した。
「予備校から人を送ります。明日の昼過ぎには息子さんと合流しますのでご安心ください」
電話の向こうで、母親が安堵の息を吐く音が聞こえた。
「ありがとうございます……。安心しました。いま、主人と一緒にラルシア国の国際会議に参加しておりまして、すぐには動けなかったのです。費用はお支払いしますので」
国際会議。
名簿を確認すると、父親の職業欄には「アルカナ銀行連合・上席顧問」とあった。
「お父様が銀行員なんですね」
「そうなの?」
タリアが書類を覗き込んで目を丸くした。
「あんたこれ、世界銀行よ」
ーーー
夕方の便で出発が決まり、寮長が大急ぎで荷物の準備を手伝ってくれた。
かつて各地を旅していたという寮長は、竜車の乗り方や持っていくべきものを細かく教えてくれる。厚手の外套、携帯食料、水筒、予備の布。
荷物は少なめにして身軽にしておくこと、貴重品は肌身離さず持つこと、移動中の夜は寝ないこと。
「グレイトンに着いたら、まずは宿を確保するんだ。列車の復旧を待つか、帰りも竜車に乗って戻ってくるかはその時の状況次第だが、坊ちゃんに竜車はきついだろう」
出発の中央ターミナルまでは寮長夫妻がついてきてくれた。
石造りの大きな建物で、正面に複数の出入り口が並んでいる。それぞれの出入り口に行き先が掲げられており、グレイトン行きは一番端の門だった。
「あの辺りは治安が悪いから気をつけるんだ」と寮長が言った。
「着いたらすぐ宿を取って、坊ちゃんと合流したら宿から動くな。列車が動き出すまで待つのが安全だ」
「わかりました」
門をくぐると、陸行竜が繋がれているのが見えた。
体長10メートルほどの竜だ。象よりもう一回りは大きく、四本の太い脚で立ち、背中から尾にかけて硬い鱗が並んでいる。頭部が馬よりやや大きく、目が横についていた。息を吐くたびに鼻から白い蒸気が出て、陸行竜の馬力を感じさせる。
その後ろに、四角い荷台が繋がれていた。
荷台の周囲は布で覆われており、側面の布にいくつか小窓がある。中を覗くと、すでに十数人が座り込んでいた。荷物を抱えた商人らしき者、旅装束の若い男女、大きな袋を背負った獣人。
「いまは寒い時期でよかった。夏なんか蒸し風呂地獄だから」と寮長が言った。
覚悟を決めて乗り込むと、荷台の中は思ったより狭かった。
床に座り、背中を壁にもたれさせる。荷物を膝の上に置いた。隣に座った老人が軽く会釈してきたので、こちらも会釈を返した。
布の小窓は留め具を外せば開く仕組みになっていて、顔を出して外を見ることができた。寮長夫妻が見送り用の柵の向こうからこちらに手を振っている。
陸行竜が動き始めた。
最初はゆっくりとした歩調だったが、徐々に速度を上げ、想定以上に荷台が揺れ始める。思ったより振動が大きく、体が上下に跳ねた。
しばらくして街を抜けた。
窓の外には荒野が広がっていた。
灰色がかった草原が、地平線まで続いている。ところどころに低木が生えており、風に揺れて葉が落ちる。遠くに山の稜線が見えた。空が広く、雲が流れていた。
この世界に来て、初めてルーデン市を出た。
知らない景色が延々と続いていく。
これだけを見ると、遠い異国の地に来ただけのように思える。木々も日本では見慣れないが、地球のどこかにはありそうで、完全に異質な気はしない。ここが異世界であることを忘れそうだ。
空の高いところを、黒い舟のような乗り物が飛んでいた。
あれは何だろう。
魔力で浮いているのか、それとも別の仕組みなのか。速度はゆっくりで、雲の間を滑るように進んでいく。
───ああ、綺麗だ。
すべてが穏やかで、静かで、淡々と時間が流れていく。見たこともない広大な空と、だだっ広い陸。まばらに見える家々。連綿と続く人の営み。
もう二度と来ることはないかもしれない。
もとの世界に帰る日がいつかわからない。それまであの街を出ないかもしれない。
この景色を目に焼き付けるように、飽きずにずっと外を眺めていた。
風が冷たかった。
小窓から顔を出しているので、風を直接頬で受けて痛い。でも閉じる気にはならなかった。
荷台の中で誰かが笑い声を上げた。商人らしき男が仲間と話をしている。獣人の女性は荷物を整理し直していて、隣の老人が目を閉じて揺れに身を任せていた。
陸行竜の重く鈍い足音が規則正しく響いていた。
灰色の草原が少しずつ後ろに流れて、山の稜線がゆっくりと近づいてくる。
俺はずっと、外を見ていた。
この美しい世界に息を飲みながら。




