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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
青年期編

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 二人は港へと向かった。

 ウミネコの鳴き声と船の汽笛が響き、磯の香りが色濃く漂う。サクサクと砂浜を踏む音が、黙ったまま歩いている二人の耳にやたらと大きく聞こえてくる。


「……ここも、変わりませんね」


 それまで黙っていたが、ふと、正一が海を見ながらそう言うと小春は小さく笑う。


「そう、ですね」


 呟くように答えた小春に、正一の足が止まる。

 それに気付いた小春も足を止めて彼を振り返ると、一気に二人の間に緊張感が走った。


「……小春さん」

「……」


 小春はぎこちなく僅かに視線を下げる。

 今から何を言われるのか、自ずと分かっていた。ぎゅっと手を握りしめ、小さく息を呑む。


 正一自身も緊張していないわけではない。むしろ不安の方が勝っていた。それでも……と、ポケットから小さな小箱を取り出して、そっと蓋を開くと、中には綺麗な宝石のあしらわれたシンプルな作りの指輪が光っていた。

 正一はその指輪を見つめて、静かな口調で口を開く。


「……海外では、将来を誓う相手に、指輪を贈る習慣が一般的なんだそうです」

「……」


 小春も、見かけたことはある。西洋文化が入ってきてしばらく、それになぞらえた動きが見られているのを知っていた。今にして思えば、良子もこの指輪をつけていたことを思い出す。だが実際、自分がその指輪を目の前にすると、鼓動が大きく跳ねた。

 それは不安なのか、期待なのか、それとも素直な喜びからくるものなのかが、良く分からない。ただ、 陽射しを受けて輝く指輪は、とても綺麗だった。


「これは、海外で作ってもらったんです」

「……」


 正一の表情は硬い。

 この二年、何度も不安に揺らいでは覚悟を決め直し、自分を立て直してきたことがいまだ鮮明に思い出される。もう、ここまで来たら腹を決めるしかない。


 ――もし、駄目なら……潔く身を引こう。


 今一度、自分の胸にそう誓いを立て、真っすぐに小春を見た。


「二年前の返事を……聞かせてはくれませんか?」

「……」


 寄せては返す波の音が向かい合ったまま立っている二人を包み込んでいた。

 小春は、目の前の指輪から一瞬視線をそらし、きゅっと口を引き結ぶ。しかし、おもむろにその視線は正一を見上げた。

 真っすぐに見つめてくる彼の眼差しを受け、小春は躊躇いながら視線を再び下げて指輪に戻る。


「……」


 小春の手がゆっくりと持ち上がるが、その手は一度軽く握り込められる。しかし、ややあってから指輪の箱にそっと触れ、視線を上げて正一の顔を見つめ返した。


「……はい」

「……」


 小さく微笑む小春の表情に、正一は驚いたような顔を浮かべる。

 

 ――嬉しいはずなのに、素直に喜べない。


「小春さん……。あなたは……」

「……」


 驚いたままの正一に小春は不思議そうに見つめ返す。しかし、正一はそれ以上何も言わずにぐっと口をつぐみ、瞳を伏せた。そして大きく息を吸い込むとゆっくり瞼を開き、真剣な表情で箱に触れている小春の手を包み込んだ。


「……僕は、いつかあなたが胸を張れる日が来るように、傍で見守っていきます」


 正一はそう言うと、指輪を箱から取り出して小春の手を取って薬指にはめる。

 小春はその指輪を見つめ、口元に笑みを湛えたままそっと視線を下げた。

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