時は無情に
「橋倉。お前、最近どうしたんだ?」
「どうって……何がですか?」
今日機関車にのる乗客名簿の確認していた勇のところへ、彼の直属の上司にあたる本条實が、怪訝そうに訊ねてきた。
彼の意図する言葉の意味が読み切れず、勇は不思議そうな顔で見上げる。
「何ってお前……そこまで根を詰めて業務をやるような奴じゃなかっただろ」
「……」
自分で分かってないのか? と言う實に、勇は口をつぐんだ。
ここのところ、朝早くから駅に入り夜遅くまで片付けなどの業務をこなして、毎日ヘトヘトになるまで仕事をしている。
大きな自覚はない。ただ、気を紛らわせたいがためにスケジュールを詰め込んでいたのは確かだった。
「……何かあるなら、相談に乗るぞ?」
「……ありがとうございます。でも、大丈夫です」
「あまり無茶はしてくれるなよ。体あっての仕事だ」
「はい。すみません、ありがとうございます」
そう言うと實は自分の持ち場に帰っていく。
鬼教官と言われるほどの上司に心配をかけてしまうほど、がむしゃらに働き詰めにしたのは、ほんの少しでも時間ができると考えてしまうからだ。
あの時の小春の表情を。彼女が残した言葉を。あの夜に触れた、微かに震える手の感触を……。
思い出す度、「間違っていたのかもしれない」と思ってしまう瞬間が……怖かった。
「……」
勇はぐっと口を引き結び、手元にある旅客者名簿へと視線を落とした。
手に握り締めた鉛筆が、名簿に僅かに沈み込む。そして、遠くで鳴くひぐらしの声がやけに物悲しく耳に届いた……。
あの夏祭り以来、二人は会っていない。
やがて夏が終わりに近づき、吹く風が冷たくなってくる。木々は葉を落として赤や茶、黄へと染まり始めた。
秋が深まるそんなある日。多度津駅にいつも通り機関車が到着する。
灰色の煙をあげながら汽笛を鳴らし、ゆっくりとホームに到着した機関車の客車から、ぞろぞろと人が降りていく。その中に一人の青年がいた。
彼はホームに降り立つと、かぶっていた帽子を取り胸の前に置いて深く息を吐く。
「……久し振りだな。全然変わってない」
感慨深くそう呟いたのは、正一だった。
ようやく海外から戻って来た正一は、小春に手紙で告げてあったように、帰国してそのままの足で多度津へとやってきた。
「……」
二年前と何も変わっていない風景。街行く人たちの姿。
そんな風景を見つめる正一の表情は、どこか硬い。二年前のプロポーズの返事を聞くために来ていると言うのももちろんだが、それ以前に正一には不安な部分もあった。
――この二年……。小春さんたちは、どんな生活を送っていたのだろう。
不安に思わない時はなかった。それでも、正一は一つの覚悟を決めている。
――彼女が何を選ぼうとも、決してその選択を責めたりしない。
吹く風の冷たさに、正一は一瞬目を細める。
――この二年で、充分覚悟は決めてきた。
遠くを見つめていた正一の背後で、発車の合図の汽笛が鳴る。その音に押されるように、正一は持っていた帽子をかぶり直し、小春のいる米屋へ向けて足を踏み出した。




