接近.弐
櫓の上に登った勇が着ていた浴衣の袖を襷で縛り、仕事で鍛えられた腕を露出させる。手渡された太鼓のバチを受け取ると、隣にいた男性が横笛を構えた。
その横で子供たちは期待に満ちた目で勇の様子を見守っていた。そして櫓の下では小春と、祭りに来ていた周りの人たちも勇が太鼓の前にいることに気付いて顔を上げる。
「見て、あれ勇くんでしょ?」
「あ、本当だ」
人々もまた興味津々で勇を見ている。中には、どこからか歓喜の声を上げる女性の声も聞こえてきた。
小春はそれらを見て、胸が痛む。
――彼は、この町にいなくちゃいけない人なんだな……。
勇だけじゃない、この界隈から一人外されてしまったような、空虚な思いを感じてしまう。
その瞬間、力強い太鼓の一打が耳に届き、小春は上を見上げた。
どこでそんな練習をしてきたのだろうかと思うほど、勇の太鼓を叩く音と男性の横笛の音が辺りに響き渡り、この場にいる全員の会話を奪うほどに魅了させる。
「はぁ……素敵ねぇ。勇くん、本当カッコイイ」
小春のすぐ後ろで、女性がため息交じりにうっとりと呟く言葉が聞えてきた。
「そうよね。しかも彼、多度津駅の駅員さんでしょう? 将来も有望だし優しいし、何よりあの腕見て。絶対守ってくれそう!」
「縁談、全部断ってるって聞いたけどまだ大丈夫かしら」
「あら、抜け駆けするつもり?」
「……」
小春は後ろではしゃぐ女性たちの言葉に居たたまれない気持ちになる。
誰よりも彼のことを知っているのは自分だと言いたかった……。
しかし、もうそれが出来る場所に、いない。
勇を見上げていた視線を下げ、胸にこみ上げる感情に耐えられずに小春は静かにその場から立ち去った。
――どうしよう……どうしたらいい……?
勇に好意を寄せる女性たちの声が、小春の想いを焚きつけていた。
覚悟を決めてきたはずなのに、彼女たちの行動に大きく揺さぶられてしまう自分にただただ困惑と、寂しい思いに包まれる。
「おや。小春お嬢さん。一人かい?」
とぼとぼと肩を落として町へ戻る道を歩いていると、源次郎が小春の姿に気付いて声をかけてくる。
「源次郎おじ様……」
「寂しそうな顔して……。もしかして、大原さんと喧嘩でもしたのかい?」
源次郎の言葉に、小春の表情に更に影が差す。
――やっぱり、源次郎おじ様から見ても、正一さんと一緒にいるって思われるんだ……。
そう思うと寂しさが増してしまう。
ぎゅっと手を握りしめ、小春は俯いたままゆるゆると首を横に振った。
「……違います。正一さんは、今日本にいなくて」
「へぇ? そしたら海外に? すげぇなぁ。じゃ一人で来たのかい?」
「あ……いえ。その、勇さんと……」
「なんだ……。それじゃあ、勇が何かやらかしたのか?」
「い、いえ! そういうんじゃないんです!」
勇と聞けば「やらかした」と言う言葉が飛んでくる。この差に、小春はどうしようもない気持ちに包まれ、強く否定をした。
その言葉が、どれだけ彼を追い詰めているか、勇の選択肢を削り取っているか……そして、どれだけ小春との距離を作っているかを、周りの大人は知らない。
――どうしてそんな風にいうの……? 勇さんはそんな人じゃないって、知ってるはずなのに……。
小春が視線を下げると、傍に置いてあるバケツの中に入っているほおずきに目が向いた。
源次郎がそれに気付いて声をかけてくる。
「それ、庭でたくさんなってたから、ついでに持って来たんだ。良かったらいるかい?」
「……はい」
源次郎にそう訊ねられ、小春はほおずきの枝を一つ、拾い上げた。
「勇、なかなか大盛況だな!」
太鼓を叩き終わるのと同時に周りからは大きな拍手喝采が浴びせられ、勇はただただ困ったように笑いながら襷を解いた。
「こんなん見せられたら、女がほっとかねぇぞ」
「や、やめてくださいよ」
ニヤニヤと茶化す男性に勇が困惑していると、傍で見ていた一郎たちが羨望の眼差しで勇の周りに集まってくる。
「兄ちゃん凄い! カッコイイ!」
「もっと叩いてよ!」
「あ~……、また今度な」
勇は周りに群がる子供たちの頭を撫で、ようやく櫓を下りてくる。そしてまだ相手のいない女性たちを筆頭に町民たちが声をかけてくる中、勇はなんとかその場を離れて小春の姿を探した。
――どこ行ったんだ?
勇が小春を探しながら歩いていると、通りから少し外れた場所に立っている小春の姿を見かける。
小春の前には小さな祠があり、お参りをしているのだろう。道から逸れた薄暗くなっているその場所に、人の姿はほとんどなかった。
「小春……」
ゆっくりと近づいて勇が声をかけると、小春はゆっくりと振り返った。




