相反する感情
勇と別れたあと小春は部屋に入り、後手に引き戸を閉めると、深い溜息と共にまるで力が抜けたようにその場にずるずると座り込む。
肌上を掠めただけの体温の高さ。それを思い出すだけで、胸が締め付けられるほど切ない。
彼が何かを言おうとした時、自分でも呆れるほど大きな期待をしてしまった。
――もしかしたらって、思っちゃった……。
小春は窓際の桜の盆栽を少し寂しそうに見つめ、膝の上に置いた手を握りしめる。
『大原さんとは、上手くやれてるのかなって……』
その言葉に、期待をしてしまった分落ち込んだ。
あからさまに顔にも態度にも出てしまった。そんな素振りを出すつもりは無かったのに……。
「期待したって、駄目なのに、ね……」
誰に言うでもない自分の言葉が胸に刺さり、小春は顔を俯けた。
――期待するの、やめなきゃいけないのに……。
握り込んだ手に手を重ね、小春は苦しそうに顔を顰めて目を閉じた。
その翌日から、勇は再び仕事に追われるようになり、二人はまた少しの間会う機会がなくなった。
そのまま五月が過ぎ、六月の梅雨を迎え、そして七月の梅雨明けに差し掛かる。
晴れ間が増え、降り注ぐ陽の光が一層強まったある昼下がり。小春は日傘を手に桜川沿いを歩いていると、掲示板の前でふと立ち止まった。
「……」
いくつか張り出されている張り紙の中に一枚、夏祭りのお知らせがあり、小春はそれを食い入るようにじっと見つめる。
――もう、そんな時期、なんだ……。
開催日は八月十七日。
「……」
それを確認した瞬間、小春は傘を握る手に僅かに力を込めた。
***
「勇。今年の縁日なんだけどよ。ちょっと人手が足りなくてな。悪いが手伝ってもらえるか?」
仕事帰り、機関車整備を終えた甚右衛門が帰宅途中の勇を見つけて、声をかけられた。
「人手が足りないって、珍しいですね」
「いやぁ〜、な。この春で、町の若いもんが半分近く外に出ちまっただろ?」
甚右衛門の言葉に、勇も一瞬言葉に詰まる。
確かに、勇と顔なじみの深い同じくらいの年頃の男女は、皆地元を離れている。地元に残って働くと決めているのは、ほんの一握りしかいないのを、勇も知っている。
「……そう、ですね」
呟くようにそう言うと、勇の胸にあった穴がより拡がったような感覚に囚われた。
「まだちんまい子供達はたくさんいるけどよ。手伝いをするにも限度があるだろ? 今力仕事を任せられる若いのって言えば、お前とあと何人かだ。頼めるか?」
「縁日、いつでしたっけ?」
「来月の十七日だよ」
「……分かりました。予定、空けておきます」
「そうか! 助かるよ! 恩に着る!」
甚右衛門は心底安心したように笑い、勇の肩を軽く叩いてその場を後にした。
勇も荷物を手に取り、職場を後にする。
――縁日か……。
歩きながらぼんやりと思うのは、小春の事だった。
――そういや、昔は良く一緒に行ったなぁ……。
勇は小さく息を吐き、苦笑いを浮かべる。
誘う気はなかった。そもそももう何年も、自分が楽しむために縁日には行っていないし、何よりもう気楽に誘えるような間柄でもない。
「……」
勇は本町通りにある掲示板の前で立ち止まり、張り出されている夏祭りの張り紙を見つめると、意図せず勇の視線は下がった。
――楽しいだろうな……たぶん。
無意識に感じた心の呟きに、勇は再び小さく苦笑した。




