↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
青年期編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/58

当たり前

 その日の夕暮れ。

 だいぶ陽が傾き、夜が近付く頃になって、丸亀から帰って来ていた勇は紺色の浴衣を着て、手桶と石鹸に手拭いを持って自宅から出てくる。

 昼間には靴を履いていたが、素足にそのまま履ける下駄を履いていた。


「さむっ……」


 陽が傾くと、やはり少し肌寒さが残る。

 念のため襟巻きも巻いてきた。勇は肩を竦めて本町通りを歩いていると、同じように清水温泉に向かう人達数人と出会う。


「お、勇。今日は温泉に行くのか?」


 温泉帰りの近所に住む男性が、すれ違いざまに声をかけてくる。


「はい。疲れを流して来ようと思って」

「そうか。明日仕事なんだろう? しっかり癒やされてこいよ」


 男性は笑いながらそう言うと、微かに湯気の立つ手で肩を軽く叩き、鼻歌交じりに歩いて行った。


 清水温泉の暖簾を潜り、男湯側に入るとすぐ傍に番頭が座って、こちらを見てきた。


「お。勇じゃないか。いらっしゃい」

「こんばんは」


 勇は挨拶をして料金を支払うと、脱衣場で浴衣を脱ぎ始める。周りには家族連れも多く、顔見知りもいる。人の多さを見れば、いかに繁盛してるかが良く分かった。


 ――広いな……。


 浴室に入ると、自宅とは違う広々とした空間に勇は驚く。しかも壁一面に描かれた風景画が、なんとも風情があった。

 周りを軽く見渡し、例に習って体と頭を洗ったあと広々とした湯船に浸かると、季節的にだいぶ暖かくなってきたとは言え、まだ体の芯が冷えていると実感する。手足を伸ばせる開放感も相まって思わず深く息が漏れた。


「……」


 背中を壁につけたまま、湯気で白く煙る空間をぼんやり眺めていると、隣に別の男性が座り込んでくる。


「勇。どうだ? 温泉は」


 そう言いながら手拭いで顔を拭き、それを畳んで頭に乗せたのは、植木屋の源次郎だった。


「源次郎さんも来てたんですね」

「おうよ。ほんと、ここ最高だよなぁ……。腰の痛みにも効果覿面だ」


 ため息混じりに呟き、肩まで浸かる源次郎は、恍惚とした顔で幸せそうに笑みを浮かべている。その時ふと、源次郎はいたずらをする前の子供のような顔を見せ、勇の肩を叩いた。


「勇、ここな、すげぇんだぞ。あれ、見てみ」

「え?」


 源次郎が指差す先に目を向けると、女湯との間に壁の隔たりはあるものの、上部が空いているのが見える。そこから石鹸のやり取りをしたり、時には壁の向こうから手の先だけが見えたりしていた。

 勇が驚いたようにそこから視線を外し、源次郎を見る。


「……つ、筒抜けじゃないですか」

「だろぉ? これも醍醐味だよな」

「……」


 源次郎はゲラゲラと笑いながら、頭の手拭いを乗せ直す。

 源次郎が余計な情報を入れてきたことで、勇はそちらに顔を向けられず、視線を下げた。

 揺れる湯に映る自分の姿を見つめていると、目の前を父親と小さな男の子が手を繋いで通りかかった。


「父ちゃん、また一緒に来ような!」

「そうだな。次は母ちゃんも一緒に連れてこよう」

「うん! あと、スミも一緒に連れてきたい!」


 その言葉に、父親は困ったように笑う。


「スミちゃんはスミちゃんで、家族と来るだろ」

「え〜! だって僕、スミとも一緒がいい!」


 何気ない会話だったが、勇はその会話に意識を引っ張られた。


 ――ずっと一緒、か……。


 浴室から出ていく父子の背中をぼんやりと見つめた。隣で同じように父子のやりとりを見ていた源次郎が、ふと思い出したように口を開く。


「ずっと一緒って言やぁ、お前と小春お嬢さんも小さい頃はいっつも一緒にいたよなぁ」

「……」

「当たり前のようにどこで何をするのも一緒でさ。どっちかが勝手に別の場所に行っちまうのが許せなくて、その度に良く泣いてたな」


 勇はその言葉に顔を顰めた。

 一緒にいた記憶はあっても、その記憶はない。


「そんなこと、ありましたっけ?」

「あったあった。覚えてないかもしんねぇけど、割と頻繁にあったぞ。家族で出掛けるって時に気付いたら、どうして自分は一緒じゃないんだーってな。その度に勘助も弥七さんも困ってたもんよ」

「……記憶にないです」

「あっはっは! そうか、ないか! まー、何ていうか、当たり前に一緒にいたからこそ、どっちかが自分の傍から離れていくなんて、考えても無かったんだろうな」


 その言葉に、勇は違和感を覚えた。

 一緒にいるのが当たり前……。離れていくことを考えたことも無かった……?


 ――それ……なんか違う。


 なにか、今の自分と噛み合っていないような感覚を覚える。

 ふいに勇が黙り込んだのを、源次郎は不思議に思いながら立ち上がる。


「あんま長湯するなよ。湯当たり起こすからな。俺は先に出るぞ」

「……」


 珍しく返事を返さない勇に、源次郎は首を傾げながら先に上がって行った。


 ――確かに当たり前に一緒だった。だから、それが普通だって……そう、思ってた……はず。


 勇は、胸の内に湧き上がる、見えそうで見えない感覚に、何か落ち着かなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。