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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
青年期編

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38/58

それぞれの想い

 丸亀城を訪ねていた勇は、天守のある山頂より一段下の、二の丸井戸のある場所に来ていた。

 大手二の門を入り、急勾配の見返り坂を登った先にある広間にはたくさんの桜の木が植えられているが、もうほとんどが葉桜となっている。

 二の丸井戸の先にある石垣の傍に立つと、瀬戸内の海と丸亀港、そして丸亀の街並みが一望できた。

 

 勇は目を閉じて胸いっぱいに春の空気を吸い込み、深く息を吐くと同時に目を開いた。


 ――高い場所から一望する街並みは、どこも気持ちがいいな。


 こうして遅い花見を兼ね、高台で春風に当たりながらぼんやりと見つめながら、勇は清の言葉を思い出す。


『静子と一緒に大阪に向かう』


 誰かと一緒に。

 清は、学生時代から付き合っていた静子と結婚をしてこれからの人生を共に歩む。

 順風満帆だ。幸せそのものだろう。いずれは子供が出来て、温かな家庭を築いていくに違いない。


 そう思うと、勇には重たい石が圧し掛かったような気分になる。


 ――小春も、その内……。


 正一との縁談は、何の隔たりもなく順調に進んでいるに違いない。だからそう遠くない未来、彼女も生まれ育ったあの町を離れ、嫁いでいくのだろう。それが、道理というもの……。

 

 ズキリ、と胸が痛み、無意識に胸元に手を当てる。


 ――これって、何なんだろうな……。


 朧げに輪郭は見え始めている。しかし、それに名前を付けようと思うと、酷く胸がざわつき考えられなくなる。思考が止まり、何も考えたくなくなってしまう。


 ふいに、勇は懐に仕舞い込んでいた栗饅頭に触れ、おもむろにそれを取り出して包みを開く。

 一瞬、ふんわりと香る甘い香りが鼻先をくすぐった。


「……」


 一つを手に取り、まじまじと見つめて口に運びかけて手が止まった。


 ――前は、一人で食べようなんて思わなかったんだけどな。


 浅いため息を吐き、残った一つを再び懐に仕舞い込み、手にしていた物はそのまま口に放り込んだ。

 甘い。だが、今の勇には「美味しい」と思える味ではなかった。



                   ***



 帰りの機関車を、丸亀駅のホームで待っていた小春は、壁に背を預けたままぼんやりと一点を見つめて立っていた。ホームの地面の上を、飛んできた桜の花びらが頼りなく風に転がされていく様子を見ながら、小春はおもむろに自分の手を見つめる。

 先ほど感じた、小さな命の胎動。それがあまりに生々しくて驚いてしまったが、あれが現実だ。


「……」


 小さく息を吐いた瞬間、遠くに汽笛の音が聞こえて顔を上げた。

 機関車が到着し、他の乗客と一緒に客車に乗り込んだ小春は、空いていた窓側の席に腰を下ろす。

 何気なく窓の外を見やり、ゆっくりと走り出した風景を見つめ、焦燥感に似た感覚の気持ちを落ち着かせようと思った。


『次は、小春さんの番かしらね』


 落ち着かせようと思っている矢先に、蘇るのは良子の言葉だった。

 彼女の言っていることは間違いじゃない。正しくあるべき姿で、そうなるべくしてなる未来だ。


『戻ったら、一番にあなたに会いに行きます。その時に、二年前の返事を聞かせていただきたい』


 正一の手紙の一文も、頭を過る。

 時間がない。決めなければならない。正しい道を選び、正しい未来を手に入れる……でも、躊躇ってしまう。

 小春は栗饅頭を仕舞い込んだ鞄に、そっと手を触れた。

 窓の外を流れる景色を見つめたまま、鞄に触れていた手が軽く握り締められる。


 ――ちゃんと考えなきゃいけないのに……。


 そう思えば思うほど、頭の中を過るのは勇と過ごした日々だった。

 幼い頃のこと、盆栽のこと、触れたいと願っていた手に、一瞬だけ触れたこと……。


 真剣に考えなければならないと思うほど、どうしてかそれ以上先に進めない。


「……」


 小春は、そっと目を閉じ顔を伏せた。

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