近い、けど遠い
勇は職員としてまだこの場に立てない駅のホームに立ち、汽車を待つ。
時折、袴の腰帯に取り付けて下げていた懐中時計に目をやりながら、遠くの景色をぼんやりと見つめた。
――春も、そろそろ終わりか。
遠くの山々には、まだ所々白い桜の花が咲いているところも見える。だが、ほとんどが青々とした葉の色が目立っている。
春はついこの間始まったばかりだと言うのに、芽吹いた桜は咲いたそばから散っていく。その様をぼんやりと見ながら、深いため息を一つ吐いた。
――桜はいつも散るのが早いな。
緩やかに吹く風は、柔らかく勇の頬を撫でていった。
その時遠くから汽笛の音が聞こえ、聞き慣れた機関車の走ってくる音が聞こえてくる。
ホームから僅かに顔を覗かせるとハチロクが黒い煙を濛々と上げながら、走ってくる姿が見えた。
甲高いブレーキ音を立てながらゆっくりとホームに到着したハチロクの客車の扉が開き、先に乗っていた乗客が降りるのを待って、勇は中に乗り込んだ。
人が一人、ギリギリすれ違えるくらいの幅の通路を挟み四人掛けの向かい合った席が並ぶ中、勇は窓側に腰を下ろす。
――清のやつ、何の話があるんだろうな。
窓枠に肘をついて外を見つめながら、これから会う友人とのことに思いを巡らせた。
身固めし始めたり所帯を持つ友人がいる中、清は誰よりも先にそうなるだろうと思っていたが、そういった類の浮いた話がまだない。こうして改めて話があると言うことは、いよいよかもしれないな、と勇は思った。
「……」
そんなことを考えながら窓ごしに見る桜は、まるで雪が散るように、ひらひらと降ってくる。その様子を見ていた勇は、急に気に入らなくなった。理由は分からない。それでも散りゆく桜を見て頭を掠めたのは、小春だった。
――あれからほとんど会えてないけど……。
正一とは仲良くやってるんだろうか。
そう思うと、ますますなにやら面白くない。
――小春も、そろそろ……。
チクリ、と胸に刺さる。
勇はその胸を、無造作に軽く擦った。
その頃、少し遅れてホームに到着した小春は、勇の乗った客車の一つ隣の車両の近くに駆け込んでくる。
「間に合った……」
小さく息を吐き、すぐ傍の客車に乗り込もうとして何気なく隣の車両に視線を投げた。
――あれ?
ふと、窓際に勇によく似た男性が腰を掛けている姿が垣間見えた気がした。もう一度確認しようとしたが、後ろから来る他の客人に半ば押されるように小春は客車に乗り込む。
――気のせい、だよね。
小春の乗った客車は出入り口に近いこともあってか、人がすでにたくさん乗り込んでいた。皆、琴平からの帰りなのか、金毘羅山のことについて話をしている人たちが多い。別の車両に移ろうと思っても、扉まで辿り着くことが難しそうだった。
「すみません。隣構いませんか?」
「えぇ、どうぞ」
小春は通路側に一席空いていた椅子に断りを入れて着座する。
外を見ようにも、窓際には知らない人。反対側の椅子にも客人が座っているのを見れば、目のやり場がなく、小春は膝の上に置いた小さな鞄を見つめるしかない。
――外、見たいな。
おずおずと顔は下げたまま、横目で窓の方を見る。すると窓の傍には駅員が立っており、赤いランプの点いた棒を手に、乗客たちの安全を確認している姿がある。
皺ひとつない黒にほど近い紺色の制服は、女性が見ても格好いいと思えるほどだった。
――そう言えば、勇さんも、着てるんだよね。
勇が見習いとしてその制服を着ていることは知っている。だが、まだ新米で今外にいるベテランたちのように表に立つことができないことも、風の噂で知っていた。
――きっと、格好いいんだろうな……。
無意識にもそう思った小春は、僅かに瞼を伏せる。
そんなことを思った罪悪感に胸が重くなったが、駅員を見ていると、意図せず自然と顔に熱が集まってくるのを感じた。
慌てて駅員から視線をそらし、手元の鞄に視線を戻す。
熱く火照った顔に手を当てるのと同時に、出発の合図でもある汽笛が長く響き渡る。そしてゆっくりと機関車は走り出した。
小春は、もう一度窓の外へ視線を向けると、ホームに立っていた駅員は姿勢正しく敬礼をしたまま機関車を送り出す姿が見えた。
女学校に行っていた時には、いつも見ていた風景だったのに、今は特別な風景に見えてしまう自分に少し笑ってしまう。
――変なの。そんなわけないのに、駅員さんが勇さんに見えちゃうなんて……。
気恥ずかしそうに顔を伏せ、走る機関車の揺れに身を委ねた。




