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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
青年期編

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同じ考え

 翌日。

 この日、休みをもらっていた勇は疲れがまだ少しだけ残る体を起こして、少しぶりに家を出る支度をしていた。数日前、友人の清から手紙をもらっていたのだ。


『近日、大阪に立つ。その前に一度、会って話をしたい』


 と書かれている以上、行かないわけにはいかない。


「じゃあ、行ってきます」


 書生姿にハンチング帽をかぶり、草履や下駄ではなく最近手に入れた洋物の靴を履き、まだ少し肌寒さが残るために襟巻きを巻いて勇は駅へと向かった。


 町を行き交う人々は変わらず多い。二年前に建てられ始めていた大衆温泉も、「清水温泉」と言う名で去年開店し、日々大盛況しているようだ。

 朝から晩まで、ひっきりなしに客が出入りしている様を見れば頷ける。人によっては一日二回も入りに来るほど、人気だった。


 その清水温泉の前で、勇は一度足を止めて何気なく見上げる。


 ――まだ、来たことないな。


 ここが出来て、いつも仕事帰りに入って帰ろうと思うものの、疲れが勝って立ち寄る余裕もなく家に帰ってばかりだった。勘助も同様に、まだ来れていないと嘆いていたが、今日なら自分は余裕がある。残った疲れをここで流して、明日の仕事に備えるのも悪くない。


 ――よし、今日はここに入りに来るか。


 自宅の風呂でもいいが、このところ疲れたからと頼りっぱなしの母の忙しさを、一つでも減らしたいという思いもあった。


 ――清、結局この温泉に入らないまま大阪に行くのか。


 残念だな、と心の中で呟きながら、勇は再び足を動かして駅への道を急いだ。





 その頃、小春もまた家を出る。

 明るい黄色のワンピースに、肩からはショールを羽織り、髪は緩やかに流してハーフアップで留めていた。


「行って参ります」


 踵のある靴を履いて外に出た小春は、一度空を見る。

 良く晴れ渡った、心地の良い一日だ。

 今日は女学校の頃の友人と会う約束があり、丸亀まで出ることになっている。

 コツコツと靴音を立てて本町通を駅に向かって歩いていると、ふと清水温泉から出てきた男性とすれ違う。

 石鹸の良い香りに誘われて、何気なく小春は振り返る。男性は石鹸の入った手桶を持ち、首から下げた手拭いで髪を拭いながら帰っていく。

 そんな男性を見送った視線を、清水温泉の看板に移した。


 ――そう言えば、まだ来たことなかったっけ。


 ここを利用する客たちは皆声を揃えて「良かった」と言う。使用人の千代も「あそこは素晴らしいですよ!」と興奮冷めやらぬ様子で話していたのを思い出した。


 ――今日は私も、来てみようかな。


 少しは気も紛れるかもしれない。何より、皆が絶賛するなら来ないという選択肢はないだろう。

 小春は帰ってきてからの楽しみが出来て、少し嬉しそうに足取り軽く駅へと向かった。

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