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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
青年期編

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32/58

手紙

『拝啓、小春様。

 いかがお過ごしでいらっしゃるでしょうか。あなたと離れがたい気持ちを胸に抱き、日本を離れて早二年。もっと早く戻れるように尽力して参りましたが、手こずることばかりで年月だけが過ぎてしまいました。しかし、ようやく帰国できる目途が立ちました。今年の秋に、日本へ帰国致します』


 十九歳になった小春は、温かい春の風に当たりながら先ほど届いた正一の手紙に目を通していた。

 二年前に海外へ仕事に出てからこちら、月に一度、多くて二度の手紙を欠かすことなく送ってきた正一からの手紙は、きちんと全て目を通し丁寧に返事を返していた。


 文字の端々に滲む、正一の優しさと相変わらず少しの堅苦しさ。その文章を静かに追っている内に、小春の視線が、ある一文でぴたりと止まる。


『戻りましたら、一番にあなたに会いに行きます。その時には、二年前の返事を聞かせて頂きたい』


 小春は一度手紙から視線を外し、小さく息を吐く。


『私は、あなた様を一生お守りする覚悟をいたしました』


 あの日手紙に認められた二度目のプロポーズの返事を、いよいよしなければならない時がくる。そう思うと、緊張して手紙を持つ手に僅かな力が入った。


「……」


 心の芯では、もう分かっていた。自分は他の誰でもない、正一の手を取るのだと……。

 小春は、静かに二年間のあの日から窓際に置かれてたままの盆栽に目を向ける。その盆栽を見る度に、分かっていても分かりたくない、と思ってしまう。


 小春の胸の内は、まだ定まり切っていなかった。


「……勇さん」


 勇はあれから、仕事が忙しくなっていた。

 休みがあっても疲れているのか、あまり出歩くこともなく家にいることが多いようだった。


 ――このまま会わずに、秋を迎えちゃうのかな。


 僅かに視線を落とす。

 盆栽の桜は、二年経った今もまだ咲いていない。

 青々とした葉は芽吹いて来るのに、花の蕾はつかないまま時間だけが過ぎていた。


「……今年が、最後」


 小春はまるで自分に言い聞かせるように呟きながら、桜の木にそっと触れた。






 勇は、整備士としての勉学から駅員としての勉学に一年前から勤しんでいた。

 ずっと袖を通したかった制服を着られたことは何よりもうれしく思ったが、業務は分からないことが多く、勘助に指導してもらいながらも思うようにことが進まず、やきもきする毎日を送っている。


「まだ駅のホームに立つには早すぎる」


 そんな言葉を勘助から貰い、今は駅の改札で切符を切ることばかりだった。

 以前はあれだけ機関車の傍で、機関車に触れる仕事をしていたと言うのに、今では触れることはあっても実際に乗ることもできず、歯痒い思いを抱く。


「……疲れた」


 この日も仕事を終えて帰って来るなり、勇は自室の畳に突っ伏したようにうつ伏せに倒れ込む。そして、傍に置いてあった座布団に無造作に手を伸ばし、二つに折りたたみ、枕代わりにしてごろりと天を仰ぐ。

 その時、大きく開けた窓から入り込む穏やかな風に乗って、どこからともなく桜の花びらが一枚、勇の頬の上に落ちた。勇はそれをつまみ上げ、持ち上げてじっと見つめる。


 ――そう言えば、小春にほとんど会ってないな……。


 毎日仕事に追われ、休みも不定期な中、襲い来る疲れに抗い切れない日々。

 元々宿舎に入る話もあった。宿舎に入れば今よりもっと順調に勉強もできたのだが、家が近いからという理由で断っていた。しかし、それ以外の理由も、ある。


 勇は瞳を閉じて長いため息を吐く。

 仲が良い友人たちの中には、仕事や進学のために東京や大阪へ出た者たちもいる。早い人では来年結婚する者もいたりと、皆それぞれに身固めをし始めていた。

 

 勇は閉じていた瞳を開き、天井の一点を見つめる。


「……あれから、二年か」


 勇が宿舎を断った理由も、生まれ育ったこの地を離れずに、多度津駅の駅員になる道を選んだ理由も、当然父の影響が強いが、心の奥に小春の事が引っかかり続けているからだ。


「……」


 なんとなく、おぼろげに自分が抱えているものの輪郭は見えはじめている。しかし、明確に言い切れるものが、まだ勇の中にはなかった。

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