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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
思春期編

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31/58

疑問

 町へ戻ると、すでに多くの大人たちが一郎の捜索をしていた。その中には父、勘助の姿もある。


「勇!」


 本町通りの脇道から戻った勇の姿を見つけた勘助は、大慌てで駆け寄ってくる。すると周りにいた大人たちも集まってきた。

 勇は背中に背負っていた一郎を地面に下ろすと、大人たちの人垣を掻き分けて、彼の母親が涙ながらに駆け付け寄ってくる。


「一郎!!」

「お母さん!! ごめんなさいぃいぃ!」


 母子は再会をし抱きしめ合い、泣いて喜んでいた。

 勇は無事でよかったと、ただ胸を撫で下ろす。そしてずっとついて回る深い罪悪感に、僅かに表情を曇らせた。そんな勇の傍に勘助が近づいてくると、何も言わずに頭を軽く小突く。


「……お前、また無茶したんだろう」

「……」


 怒るわけでもなく、しかしどこか咎めるような言葉に勇は返す言葉がない。勘助から見れば、確かに肝を冷やす行動だった。しかも、嫁入り前の大事な時期の小春を連れていたなど、言語道断だ。

 勘助はすぐ傍に立っていた小春を見て、一度頭を下げる。


「小春お嬢さん、勇がまた無茶をしたようで……」

「い、いえ。違うんです。私が……」

「どんな理由があったとしても、大事な時期のお嬢さんを同行させるべきじゃなかった。一度ならず二度までも……」

「……」


 そう言って頭を下げる勘助に、勇は苦い顔を浮かべたまま同じように頭を下げてくる。

 小春は自分の言い分が通らないことだけじゃなく、勇に頭を下げられたことに言葉を詰まらせた。

 ぎゅっと手を握りしめ、勇を一瞬見て、小春は顔を僅かに伏せる。


「……父には、言いません」


 その言葉に勘助も勇も、ほぼ同時に頭を上げた。 


「だから、勇さんを咎めないでください。私は、ただ、ここを通りかかっただけです……」


 また、嘘を吐いた。

 分かり切った嘘でも、突き通さなければならない。

 現実を見せられたようで、小春は心に重さを感じた。


「……そうですか。お嬢さんは、通りかかっただけ、なんですね」

「……」


 勘助は目を細め、小春の言葉を復唱した。

 小春は軽く下唇を噛み、軽く瞼を伏せる。


「……ありがとうございます」

「……っ」


 勘助の言葉に続いて、勇がそう言うともう一度深く頭を下げる姿を見て、小春の顔が悲しく歪む。


 ――そんな風に距離を取られたら、心が潰れてしまいそう……。


 気を緩めると涙が滲みそうになり、小春は握りしめていた手に力を込める。


「弥七さんもキヨさんも、まだ帰らないお嬢さんを心配しておいででした。無事にあの子供も戻ってこれたようですし、お嬢さんはもうお帰りになってください」

「はい……」

「勇。お嬢さんを家までお送りするんだぞ」

「はい」


 表情が暗い二人を見やり、勘助の表情もどこかやるせない顔を浮かべていた。




 

 いつもなら、この時間は静まり返っているはずの本町通りは、子供の捜索に出ていた人たちで昼間のような雰囲気だった。その中、二人は黙ったまま自宅への道を歩く。


「……」


 時折小春が勇を見上げ、何かを言いたげに口を開く。だが、僅かに視線が下がったまま、暗い表情を見せる勇の横顔を前に、言葉が出てこず呑み込んでしまう。

 勇もまた、通りの向こうを見ながらも、時折小春を見て何かを言いたそうにするが、すぐに前を向いて歩いた。


 米屋の前まで来ると、勇と小春は向かい合って立つ。

 しばしの間、二人は向かい合ったまま顔を上げることもなく立っていた。だが、家の中の明かりが点いたことに気付くと、勇は少しだけ視線を上げ、静かに口を開く。


「……それじゃ」


 そうとだけ言うと、勇はすぐに小春の傍を離れていく。

 小春の胸がズキリと切なく痛むだけで、声をかけることはできないまま、家の中に入っていった。


「小春、どこに行っていたんだ」

 

 帰ってきた小春を見て弥七が声をかけると、彼女は少しだけ振り向き、僅かに視界を泳がせながら静かに口を開く。


「港で、海を見てたの……。夜の海も綺麗だって、正一さんに聞いたから……」


 息を吐くように口を突いて出る言葉が、嘘ばかりになってきた。

 それでも、そうしなければ勇を守れない。


「……それなら、正一くんが帰って来てから一緒に行けば良いだろう」


 すぐに反応しなかった弥七が、どこまで気付いているのか。

 測りかねるものがあったが、彼の言葉に小春は素直に謝った。


「……はい。ごめんなさい」

「嫁入り前だ。無茶はするんじゃないぞ」

「はい。気を付けます」


 小春はそう言うと自分の部屋へと向かい、後ろ手に障子を閉め小さくため息を吐く。そして、窓際に飾っておいた桜の盆栽に目を向け、静かに近づくとその傍に座り込んだ。


『あの盆栽、実は名前があるんですよ。多度津山って言ってね、あの山のどこかに、あの盆栽と同じ花が咲く木があるとかないとか……』


 昼間、植木屋の元を訪ねて盆栽の育て方を聞いたついでに、源次郎がそんな話を聞かせてくれたのを思い出す。


 奇しくも勇と小春にとって、苦くも、どこか楽しかった思い出のある先ほどの場所と同じ名前……。

 

「……」


 小春は盆栽の木に触れる。柔らかな緑の葉にも触れると、一枚、はらりと落ちてしまう。


「……あ」


 時期的なものかもしれない。たまたま、葉の付きが弱くなっていた場所なのかもしれない。

 それでも音もなく落ちたその葉を見て、小春は悲しくなった。


 ――このまま、育てられるのかな……。


 木に触れていた手を、自分の胸に手を当てて目を閉じる。

 育てたい。でも、育ててはいけない。

 二つの感情が小春の中でぶつかっていた。



                 ***


「……」


 勇は自室の窓を開けて、目の前に広がる多度津山の尾根を見つめていた。

 真っ黒い壁のような山に、星明りでほんのりと青味がかった夜空を見つめて物思いにふける。


 ――あれで、良かったんだろうけど……。


 先ほどの小春に対して自らが取った態度。あれは、間違いじゃない。しかし、瞬間的に見えた小春の傷ついた顔が頭を掠め、揺れた。


 ――でも、間違ってたのかもしれない……。


 緩い夜風が吹き、軒先にぶら下げた風鈴がちりりと鳴る。

 勇は僅かに視線を下げ、浅いため息を吐く。ふと、自分の服の袖口が目に入ると、小春に袖を引かれたことを思い出した。


「……」


 何が本当に正しくて、何が間違いなのか分からない。

 勇は自分の胸の中の柔らかな部分にある、言葉にならない感情が何なのか、掴めそうで掴み切れなかった。


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