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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
思春期編

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過去の記憶.弐

「一郎くーん!」


 小春は声を掛けながら、勇と共に一郎を探し回る。

 母親も含め、一通り町の中は探したが見つからない。空の色は少しずつ夜が忍び寄って来ているのを見れば、焦りの方が勝ってしまう。

 母親は混乱して泣き出してしまい、このままでは収拾がつきそうにない。


「勇さん」

「え?」


 小春が声をかけ、そちらを振り返るとじっとこちらを見つめる視線があった。そして、小春は黙ったまま視線を多度津山へと巡らせる。その視線の先に、勇はゾッとしてしまう。

 彼女自身にも残る、同じ記憶がある。だからこそ、小春が思いつく場所の一つでもあった。


「……行ってないかな」

「……」


 自分たちもそうだったように、子供だけで行こうと思えば行ける場所……。

 母親は二人の様子にますます顔を青ざめさせる。


「ひ、一人で山には行かないように言ってあるんです。だから……」

「……おばさん」


 勇は母親を見て、どこか寂しそうにも見える顔を浮かべた。


「……自分もそうだったんですけど……なんて言うか、子供って、自分の力量が分かってないくせに、急に何でも出来るって、思ってしまう時があるんです」

「……」


 その言葉は、異常な重さを含んでいた。

 視線を下げながら、呟くようにそういう勇は硬く拳を握りしめる。

 

「俺も、まだ子供ですけど……」


 苦い思い出ばかりが思い出されて、胸が押し潰されそうな気分だった。

 勇はすっと息を吸って顔を上げ、母親を見る。


「おばさん。もう夜も近いですし、他の人の助けも借りましょう。町役場の方へも……」

「は、はい」


 母親が頷き返したのを見て、勇は小春を見た。


「俺、多度津山に今から行ってくるから、小春はおばさんと一緒に……」

「私も行く」

「駄目だって……」

「勇さん一人で行かせたくない」


 驚くほど引き下がらない小春に、勇は眉間に深い皺を刻んだ。

 

 ――あ、また……。


 小春は勇の怒ったような、強張った表情に気付く。

 どうしてそんな顔をするのか理由が分からず、引っかかる。


「早く、行こう。夜になっちゃう」

「……っ」


 勇はまた小春を止めきれず、苦い表情を浮かべたまま深いため息を吐いた。


 ――変な噂が立ったら……。


 そんな思いも頭を過る。それでも小春を完全に止めることができないことに、歯痒い思いを抱いた。

 もう一度空を見上げれば、夜はすぐ傍まで迫ってきている。


 ――前みたいなことには、頼むから……ならないでくれよ。


 勇は祈る思いで多度津山に向かった。




 山の麓に辿り着くと、勇は息が詰まりそうだった。

 自然と浅くなる息遣いに、隣にいた小春が心配そうにのぞき込んでくる。


「勇さん……?」

「……」


 辺りは静まり返り、聞こえてくるのは木の葉の擦れる音と鈴虫の鳴く声だけ。まだ日の光がギリギリ届いている状態でも、完全に夜になれば足元さえ見えなくなる。


 ――こんな気分になるなんて……。


 今更ながら、当時のことを思い出すだけで居たたまれない。

 思わず顔を俯ける勇に、小春はただ困惑していた。


「!」


 その時ふと、鈴虫の鳴き声の中に子供の泣き声が聞こえた気がして、勇は顔を上げた。


「こっちだ」


 勇は自分の耳を信じ、声のした方へ歩を進める。

 急な坂道を登る。この道は誰もが良く通る正規の道。その道を登っていくと鳴き声はより鮮明に聞こえていた。


「あ、いた」


 小春は道の先に蹲り泣き崩れている小さな一郎を見つけた。

 二人が駆けつけると、一郎はぐちゃぐちゃになった顔を上げる。


「兄ちゃあぁああぁぁあん!」


 一郎は勇に抱きつき、号泣し始めた。  

 勇は彼が変な道に深入りせず、真っすぐに正規の道を登っていたことに安堵を覚え、深いため息と共に眉間に皺が寄った。


「何やってんだ!」

「!」


 突然声を上げた勇に、小春も一郎もビクッと肩を震わせ同時に顔を上げる。

 勇の表情はこれまで見たことがないほど怖い表情を見せ、握りしめている腕が微かに震えていた。


「一人で山に入るなって言われてただろっ! 周りがどれだけ心配したと思ってんだ!」


 容赦ない怒りの声が、静かな山に響き渡る。

 突然怒られた一郎は、驚きのあまり涙が止まっていたものの、再びボロボロと涙をこぼし始める。


「うわぁああぁあぁぁん! ごめんなさいぃ!」

「下手をしたら見つけられなかったかもしれないんだぞ! どれだけ迷惑かけたと……」

「い、勇さん」


 小春が声をかけた瞬間、勇はハッと我に返り荒い呼吸を吐く。

 一郎は小春に抱きしめられ、激しくしゃくりあげていた。


「……っ」


 その姿を見た瞬間、昔の自分と重なってしまう。

 

 ――俺が、怒れるような立場じゃ、ないのに……。


 そう思うと、固く目を閉じて息を吐きながら顔を俯けた。

 苦しそうに顔を歪める勇の姿を見つめ、小春はただ「どうして」という思いに駆られてしまう。


 勇はやがて深く息を吸いこむと、ゆっくり顔を上げ一郎の前にしゃがみ込み、彼の頭に手を置く


「ごめんな……急に怒鳴ったりして」

「うう……ひっく……」

「もう夜になるから、帰ろう。お母さんも心配してたぞ」


 そう言って手を出すと、一郎は泣きじゃくりながらも勇の手を握り返した。

 勇は一郎を背中に背負い、ゆっくりと歩き出す。


「……」


 小春はそんな二人の後を追うようについて歩きながら、勇の姿を見つめ続けていた。

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