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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
思春期編

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28/58

僅かな温もり

「ほら。重いから、気をつけろよ」


 源次郎から受け取った盆栽を軽く持ち直し、小春へと差し出す。

 小春はおずおずと手を伸ばし、その盆栽を受け取る。が、思った以上にずっしりと腕にかかる重みで、僅かに鉢が傾いた。


「あ」


 短く声を上げるが早いか、素早く勇が鉢に手を添えた。

 ほんの一瞬、指が重なる。


「……!」

「落とすと危ないぞ。大丈夫か?」


 何事もなかったようにそう言う勇に、小春は一拍置いてようやく頷き返す。


「……だ、大丈夫」


 声が微かに震える。

 小さい盆栽を両手で抱えながら、小春は重なった手をそっと握り込んだ。


 たった一瞬。あの一瞬で、心臓が止まりそうだった。

 触れた部分だけが、熱を持ったように熱くなっている。


「じゃあ源次郎さん。ありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうよ!」


 勇は源次郎に頭を下げると、小春もつられて小さく頭を下げた。

 先を歩く勇の半歩後ろを、追いかけるようについて歩く小春の姿を見て、源次郎は笑いながらぽつりと呟いた。


「最近の若者は、マセてるねぇ……」




 米屋の前に来ると、勇は足を止めて灯りの点いた部屋を見た。その表情はどこか固い。


「……怒られないかな」

「え?」

「あ、いや……。じゃ、俺も帰るから」


 勇はそう言うと、そそくさと逃げるように米屋の前から立ち去った。

 呼び止める間もなく行ってしまった勇を見て、名残惜しい気持ちを抱えながらも、小春は手の内に残った盆栽を見つめて小さく笑みをこぼした。


「……大事に、するね」


 直接言えなかった言葉を小さく呟き、小春も部屋に戻る。

 抱えていた盆栽を窓際に置いた小春は、その前に座り込みじっと見つめ続ける。そして、先ほど勇の手と重なった手を見つめ、大切に握りしめて瞳を閉じため息を一つ吐く。


 ――今日は、とても楽しかった。


 まだ、鼓動が速い。触れた指には、勇の手の感触が残っている。思い出しただけで胸がいっぱいになるほど、喜びに満たされた瞬間だった。




 同じ頃、自宅に戻った勇も自室に入り、ごろりと畳に大の字になった。


 ――こんな時間まで出歩いたの、あの時以来だ。


 ふっと目を閉じ、大きく息を吐く。

 今回は大きな問題が起こらなかったことに、心から安堵していた。


 昔と違って、大人になっている。

 その分重くなってくる責任に、勇は十分に気を払っていた。また同じようなことが起これば、勘助もろとも勇の仕事にも影響が強く出る。


 ――一家離散、なんてことにでもなれば……。


 勇は薄く目を開き、ぼんやりと天井の一点を見つめた。


 ――もう、誰にも迷惑はかけられない。


 勇は左手の手首を目元に乗せる。


 ――小春だって……。


『あれ……欲しいって言ったら、困る?』


 そう言いながら袖を引かれたことを思い出す。


 出先で小春に会うとは少しも考えていなかった。

 出歩いて、確かに多少の気は晴れたが、今こうしてみれば、胸の奥にあるモヤは全く晴れていない。それどころか、更に深みにはまったような複雑な気持ちになっていた。


 勇は大きく息を吸い、深いため息を吐く。

 

「……どうしろってんだよ」


 誰に言うでもない呟きがこぼれた。

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