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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
思春期編

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25/58

恋文

 数日後。

 お盆の時期が近づき、町は先祖をお迎えするための準備を始めていた。

 ナスやキュウリに苧殻おがらを刺して飾り出す家々が多く増える中、郵便局の配達員が米屋の前に来た。


「小春さん、お手紙が届きましたよ」


 米屋で働く使用人の女性――千代が、手紙を片手に小春の部屋を訪ねてくる。小春は部屋で正一から貰った衣服や鞄、帽子などの整理をしている最中だった。

 手に持っていた帽子をその場に置いて立ち上がり、千代の傍に近づく。


「ありがとう」


 小春は手紙を受け取ると、部屋にある文机の前に座り手紙の封を切る。


『拝啓、小春様』


 綺麗な文字で書かれた手紙。こうして、正一が手紙を寄越してきたのは今回が初めてだった。少し堅苦しい書き方をするのは、彼らしいと思い小さな笑みがこぼれる。


「……」


 小春は静かに、手紙の文字を一つ一つ、丁寧に追った。

 正一は、家の事業に関わることでしばらくの間日本を離れ、外国へ仕事に出ることになる、と書かれている。本来なら小春も連れて行きたいところだが、それは叶わず心を痛めているようだった。


『戻れるのは、早くて一年後になるかもしれません』

「……一年後」


 正一の言葉をなぞるように小春は呟き、ふと視線を外すと窓の外へ向けた。

 風に揺れる軒先の風鈴の音が静かな空間に響き、時の長さを感じさせる。小春は手紙に視線を戻すと、その後の「なるべく早く戻れるよう尽力いたします」という文字の羅列を目で追う。そして、その次に書かれていた言葉に僅かに目が開いた。


『先日、勇さんとお会いしました』


 その言葉に、胸が跳ねる。

 何か諍いが起きるようなことが起きたのではと焦ったが、読んでみれば思いがけない言葉で綴られていた。


『彼は、素晴らしい人です。あの人のように、自由で、言葉でなく行動で人々を繋ぐ力は、僕には持ち合わせていない。……正直申し上げて、僕は、そんな勇さんに羨望を抱きました』


 その言葉に、小春は小さく頷く。


 ――そう、勇さんはそういう人……。


 心の中で静かに同調し、正一が勇の良さを認めてくれたことを嬉しく思った。

 小春は二枚目の手紙に目を通そうとして、瞬間的に動きを止めてしまう。

 真っ先に飛び込んできた手紙の末尾、たった一言書かれたその言葉に胸が大きく跳ねる。


わたくしは、あなた様を一生お守りする決意をいたしました』


 小春はそれが二度目のプロポーズだと知り、指先が震える。

 短い文章ながら真っすぐで情熱的な言葉は、小春の胸にそのまま落ちた。


『ずるいと思われるかもしれません。それでも、私はあなたと添い遂げたいのです』


 小さく息を吐き、一度手紙を文机に置きそっと目を閉じた。


 ――良かった……そう思わなきゃいけないのに。


 嬉しくないわけじゃない。ただ、それでも小春の脳裏に真っ先に浮かぶのは、やはり勇の姿だった。

 もし、今、彼が手を引いてくれたなら……。そんな想いが、願いが捨てきれない。 


 ――まだ、お返事はできない。私、まだ……。


 小春は切なく表情を歪め、落とした視線の先に見た自分の手を握りしめた。



               ***


「なんだ。あいつ今日も寝てるのか」

「数日前からどうしたんでしょうね……」


 仕事を終えて帰ってきた勘助が手拭いを片手にそう言うと、一葉も心配そうに勇のいる部屋へ視線を巡らせる。


 勇は正一と直接話をしてからこちら、自宅にいる間は部屋で仰向けになったままぼんやりと考え事をしている時間が増えていた。

 その勇の頭から離れないのは、数日前正一がが最後に言った言葉だ。


『僕は、小春さんと結婚します』


 もうすでに、弥七やキヨが嬉しそうに周りに吹聴していることもあって、この町で知らない者はいない。それをあえて、今になって自分に伝えてきた意図が分からない。何より、なぜあのタイミングで言ったのだろう。


 勇はごろりと寝返りを打ち、目を閉じる。


 ――言われなくても、分かってる。


 今更、そんなこと……。

 そう思いはするものの、そこにこだわっていつまでも引っかかり続ける自分もどうかしている。

 

 無意識に吐いたため息が、苛立ちを含んでいた。

 なぜこんなにも落ち着きが無くなってしまうのだろう。心がささくれ立っているのが自分でもわかる。


「……」


 勇はそのままじっと家にいられず、目を開いて起き上がると、何も言わずに部屋を出た。


「あら、勇。こんな時間に何処かへ行くの?」


 水場でお盆の支度をしていた一葉が声をかけたが、勇は返事を返すことなく草履を履き家を出た。

 玄関を出ると、あの時と同じ夕日が街を染めている。遠くではひぐらしの鳴く声も聞こえてきている中、どこへ行こうとしているのか、自分でもよくわかっていない。それでも、足が勝手に向かうのは、港方面だった。

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