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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
思春期編

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24/58

持っているもの、いないもの.参

「大原さん」

「あ、あぁ……分かった」


 何をしていいのか分からなくなっていた正一に、勇は念を押すように名前を呼ぶと、正一は戸惑いながら頷き返した。

 勝三の傍に駆け寄ると、正一は手を出すのを一瞬躊躇った。が、すぐに彼の脇を抱える。


「出来るだけ体を動かさないように乗せた方がいいと思います」

「あぁ、そうだな」


 勇は勝三の体を支える他の男性にそう言うと、男性は頷き返した。


「それじゃ、いきますよ。せーの……!」


 勇の掛け声で、男たちは勝三の体を抱え上げ荷車に載せた。勝三は途中「いたたた!」と声を上げるも、荷車に乗ったことに安堵したのか、勇に声をかけてきた。


「勇。ありがとな」

「いえ。じゃあ、お大事にしてください」


 勇はそうとだけ言うとふっと優しい笑みを浮かべた。

 手を振る勝三を見送った勇は、すぐに散らかった現場を振り返り、何も言わずに片づけ始める。

 大きな重たい土嚢を一つずつ丁寧に積み上げ、傾いた角材を地面に沿うように置く。それを黙々とやっていると、その場にいた他の町民たちもそれを手伝い始めた。


「勇、大健闘だな!」

「別に、そんな大したことしてませんよ。皆さんの手助けがあったから出来ただけです」

「お前みたいな息子がいて、勘助も鼻が高いな」

「お、大袈裟ですよ」


 勇は笑いながらそう言いつつ、片付けの手を止めない。

 照り付ける夏の日差しに流れる汗も気に留めず、着ていた着物の袖を抜き白シャツの袖を捲り上げる。全身砂と埃にまみれながらも、土嚢を運ぶ彼の姿を見ていた正一は、静かに息を呑んだ。


「……っ」


 僅かに顔をしかめ、拳を硬く握りしめる。

 周りの人は彼が何かを言ったわけでもないのに、彼が何かをし始めると自然に周りに集まって、誰からともなく手を貸し始める。それが当たり前のように、日常的に起きている。


 ――彼のような生き方は、真似をしようとしても……できない。


 地域の関係性も、人々との連携や繋がりも、全てを自然にやってのけてしまう勇の本来の姿を見た瞬間、視線を僅かに下げた。


「……」


 正一は下唇を噛み、足を踏み出して作業をする勇の隣に並ぶと、勇が持とうとしていた土嚢を持ち上げる。だが、普段そんな重たいものを持ったことがあまりない彼の体は、微かによろめいた。それでも指に力を込め、足を踏ん張る姿を、勇は驚いたように手を止めて見上げる。


「……」


 勇は、正一はこんなことをする人ではないと心のどこかで思っていた。

 いつもきちんとして、綺麗な格好をして、完璧な紳士。それが勇がいつも見ていた彼だった。だから、こんな汚れ仕事を率先してするような人だとは思ったことがない。


 勇は土嚢を担ぎ上げながら、今度は角材の片づけの手伝いに入っている正一を黙って見つめていた。





 綺麗に片づけられた資材を前に、手伝った人々は満足そうに笑っている。


「いや、一時はどうなるかと思ったよ」

「勇、ありがとうな!」

「この大衆温泉、開店したら一回分俺が出すよ!」


 人々が思い思いにそう口にしながら、「いや~、疲れたなぁ」と帰っていく。

 気付けば日はだいぶ傾き、空は茜色になりかけていた。

 勇は短く息を吐くと、隣に立っている正一を振り返り頭を下げる。


「大原さん、助かりました。ありがとうございます」

「……」


 頭を上げた勇が、黙り込んでいる正一を見て不思議そうな顔を浮かべた。

 少し前に見たような、あの威圧感は今はどこにも感じられない。代わりにあるのは、彼のどこか意気消沈してしまったような静けさだった。

 何があったのだろうと、勇が首を傾げていると、正一は静かに口を開く。


「……君は、凄いな」

「え? 何がですか?」


 目を丸くする勇に、正一は小さく「はは……」と笑った。

 ますます意味が分からず、勇の顔に怪訝さが戻ってくる。だが、ふっと短く息を吐くと、勇も笑いながら正一を見る。


「……迷わないんですね」

「?」

「さっきの片付けですよ。正直、びっくりしました」


 まぁ、他の人たちが手伝ってくれたのにも驚きましたけど、と言葉を付け足す。

 勇は服に付いた砂埃を簡単に払うと、もう一度正一に頭を下げる。


「それじゃ、失礼します。あ……あと、飲み物、すみませんでした。ありがとうございました」


 勇は正一に背を向けて歩き出す。

 正一は一瞬そんな彼の背から視線を外し、すぐに元に戻すとおもむろに口を開く。


「……僕は、小春さんと結婚します」

「……」


 その言葉に、勇は思わず足を止めた。そしてぎこちなく後ろを振り返ると、正一は神妙な顔つきでこちらを見つめている。

 そんな彼の表情を見て、勇は言葉が出て来ずただ視線を僅かに泳がせながら、一瞬息を呑み、そして口を開いた。


「……そうですか」


 ため息交じりにそうとだけ言うと、勇は小さく頭を下げて再び正一に背を向けて歩き出した。


 勇は、頭では理解しているのに、心の中だけが小さく引っ掛かりを覚え、どこか釈然としない気持ちに包まれた。

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