持っているもの、いないもの.弐
喫茶店の中は比較的涼しい。
早朝の打ち水が功を奏しているのだろう。大きく開け放たれた窓には簾が下げられ、良い日陰を作り出し、その隙間から入り込む風が逆に心地いい。
特に日に当たらない場所の席へ案内された勇は、先に腰を下ろす正一に対してその場に立ち、一瞬屋内を見回した。
「どうぞ、座ってください」
慣れた手つきで勇に席を薦める正一に、不慣れな勇は硬い動きで椅子を引き、どこか落ち着かない様子で腰を下ろす。
正一に嫌悪感を抱いたままついて来たが、勇自身は喫茶店に入るのは初めてだった。
――さすが、慣れてるな。
傍に来た給仕に、何の抵抗もなくアイスコーヒーを頼む正一をじっと見据えていた。
こうして紳士的にそつなくこなす正一を見ていると、心の中にもやもやとしたものが生まれる。だが同時に、彼に対する羨望に似た感情を持った。
――やっぱり、凄いなこの人。俺とは全然違う。
勇は正一とは生きてきた環境が違い過ぎて、格の違いというものを見せつけられているかのようで、複雑な気持ちになった。
「お好きなものをどうぞ」
黙り込んで固まってる勇に、正一は飲み物を薦めてくる。だが、何を頼んでいいか分からない。
勇はメニューを見せられて、一番最初に目についたものを指さした。
「じゃあ、これを……」
「はい。オレンジジュースですね」
給仕はにこりと微笑み、奥の厨房へと帰っていく。
「……あの」
奇妙な沈黙が落ち、勇が先に口を開くと正一と目が合った。
膝の上に置いていた手を硬く握りしめる。
「俺に話って、何ですか?」
固い表情でそう訊ねれば、正一はにこりと微笑んだ。
「いえ。少し、あなたに興味が湧いたので」
「俺に興味? よく、分かりません。興味を持たれるようなことは、何もないと思いますけど……」
「僕にはあるんです」
笑っているのに、どこか笑っていないように見える正一の表情に、勇は無意識に喉を鳴らした。
どうにもさっきから、喉の奥が張り付いているかのような違和感が拭えない。
「意味が分かりません」
「……本当に?」
それは、どういう意味なのだろうか。
勇は眉間に深い皺を刻み、先ほどよりも強い嫌悪感を出して正一を見た。
正一は何かを勘ぐるようにじっと勇を見つめてくる。この、何とも言えない圧迫感と威圧感に勇の手にじわりと汗が滲んだ。
「お待たせいたしました」
その空気を破るように、給仕が飲み物を持ってやってくる。二人の前にそれぞれ置くと、彼女はそそくさとその場から離れていく。
「……小春さん」
ふと呟いた正一の言葉に、一瞬勇の体が小さく動いた。
「彼女は度々、僕と一緒にいるのにそこにいないような素振りを見せるんです」
「……それが、俺と何の関係が?」
そう切り返した勇の言葉に、正一は少し驚いたような顔を浮かべた。正一のその表情に、勇は心底理解ができないと怪訝に見つめる。
「……君」
正一が何かを言おうと口を開いた瞬間、店のすぐ傍で何かが崩れるような大きな音が響き渡る。
勇と正一も驚いたようにそちらを振り返ると、外から「大丈夫か?!」と切羽詰まったような男性の声が聞こえてきた。その瞬間、弾かれたように勇は椅子から立ち上がり店の外へと飛び出して行く。
正一は突然のことに気後れしながらも、テーブルにお金を置いて勇の後を追いかけた。
「勝三さん!」
正一が勇を捜すと、先ほど彼と出会った場所で角材が散乱した様子が見えた。孤輪車に積んであったのだろうたくさんの土嚢がばらけ、勝三の体の上にもいくつか乗っている。
「……いてて」
小さく呻き蹲っている勝三が顔を顰めていた。
勇は勝三の上に載っていた土嚢を急いで退かし、近くにいた男性と一緒に担ぎ出す。
勝三が引いていた孤輪車が、地面の溝に車輪を取られ派手にひっくり返り、建造物の前に立てかけてあった角材にぶつかってしまったらしい。
「いやぁ、悪い悪い。車輪が溝に取られちまってさ」
担ぎ出された勝三は苦笑いを浮かべながら、ひらひらと手を振る。彼は一見すると大事がないように見えた。
「どっかぶつけてないですか?」
「あ~、ちょっと、肩をやっちまったかなぁ」
勝三はそう言いながら肩を動かそうとして「いたた」と声を上げる。
勇は勝三の背中に手を当て、他に外傷がないかどうかを確認する。よく見れば、勝三の手に少し深めの切り傷が出来ているのを確認できた。
「血、出てますよ」
「え? ありゃ、ほんとだ」
勇は自分の身の回りを確認したが、手当てできそうなものは何も持っていない。どうしたものか、と逡巡していると、通りがかりの女性が驚いたように近づいて来る。
「あらやだ大西さん!? どうしたの?」
「いやぁ、ちょっと転んじまった」
「いやだ、怪我をしてるじゃないの! うちに消毒液あるから、すぐ取ってくるわね!」
女性は大急ぎで自宅への道を駆けていく。
その間にも次々と通りがかった近隣住民が勇たちの周りに集まり出した。
「誰か、勝三さんの家知ってるか?」
「何か手伝うことある?」
「なんだじいさん、転んじまったのか。大きい怪我は? 頭打ってねぇか?」
皆口々にそう声を上げる中、勇は勝三の背中を摩りながら声をかける。
「勝三さん、このあと念のため医者にちゃんと診てもらってください」
「大丈夫だって。これでも伊達に大工なんざやってねぇよ」
「その大工の仕事が出来なくなったらどうするんですか。もしもの為に、一回診てもらった方がいいです」
事も無げに勇がそう言うと、勝三は「……そうかぁ?」と言葉を濁し頷き返した。
「勝三さん、これ、これに乗って!」
一人の男性が人一人なら乗せられる大きさの荷車を押してやってくる。
「大袈裟だなぁ。俺ぁ大丈夫だって……い、てて……」
呆れたように呟く勝三が、荷車を振り返ろうとして足を押さえて顔を顰めた。
「大丈夫ではないじゃないですか。荷車に載せてもらいましょう?」
「あ、あぁ……」
勇は、周りの大人たち数人と勝三の体を持ち上げようとしたが、あと一人人手が足らない。周りを見回し、その視線は正一に向けられた。
「すみません。乗せるんで、手、貸してください」
真っすぐ見てくる勇の表情に、正一は何も言えず面食らってしまっていた。
先ほどまでの勇とは、まるで違う。一体、自分はさっきまで何を見ていたのだろうと困惑した。




