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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
思春期編

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19/58

それぞれの未来

「勇、そっちは順調か?」


 あちらこちらから蝉の鳴き声が響き渡る真夏。

 汗を拭きながら機関車整備に長年携わってきた勇の師匠――塩田甚右衛門しおたじんえもんが声をかけてきた。


「はい。問題ありません」


 機関車の下に潜り込んでいた勇が顔覗かせると、甚右衛門は満足そうに微笑んだ。


 あれから二年の時が経ち、勇は十七歳に成長していた。顔つきも体つきも、まだ多少の幼さは残るが大人の男性らしくなった。力仕事を任される内に、ほどよく筋肉もついた。

 手習い所を卒業してから、勇は毎日のように鉄道の仕事に携わっている。


「ちょっと休憩しよう。今日は特に暑いからなぁ」


 甚右衛門はそう言うと水筒を手に、機関車の影に座った。

 勇もそれに習い、彼の隣に腰を下ろす。


 空は真っ青で、遠くにはとても立派な入道雲が見える。

 ジリジリと照り付ける暑さの中に、忙しなく響く蝉の鳴き声を聞きながら、勇は水筒の水を無言で煽った。

 そんな勇に、甚右衛門は小さな容器に入った梅干を差し出してくる。


「勇。どうだ、この仕事は。だいぶ慣れたか?」


 勇は甚右衛門から梅干を一粒もらいながら、大きく頷き返した。


「はい。でも、まだ知らないこともたくさんあって、勉強になります」

「そうか。お前は本当に勉強熱心だな」


 貰った梅干を丸ごと口に含むと、耳の下がきゅっと閉まるように痛み、勇は思わず顔を顰める。

 その顔を見た甚右衛門は笑いながら「もう一つ喰っとけ」と容器を差し出した。

 勇が梅干をもう一つ貰い受ける姿を見ながら、甚右衛門はまるで呟くように話し出す。


「……なぁ、勇。俺は思うよ。お前のこの仕事の選択、間違えてないって」

「え?」


 不思議そうな視線を向けると、甚右衛門は容器に蓋をして地面の上に置き、背後にあるハチロクを見上げる。


「これから先、鉄道はもっともっと発展する。我々の暮らしに欠かせない、重大なものになるんだ。きっと、こいつは、世界を大きく変える懸け橋になるかもしれない」


 甚右衛門はハチロクをまるで我が子のように愛おしく撫でた。

 勇はその彼の横顔を見つめ、頷き返す。


「父さんも、同じことを言ってました」

「そうだろう? ま、今は少なくとも、この多度津鉄道は間違いなく、この四国では一番だ」


 その言葉を聞き、勇は甚右衛門と同じように機関車を見上げながら、心の中で確信に近い思いを抱いた。


 ――俺はこの町で、これから先もこの仕事を続けていく。


 勇そう心に決め、また一歩、自分の夢への確かな道筋を見つめた。

 それはむず痒くて胸が高鳴るような、気持ち。興奮していると言っても過言じゃない。

 その重みを噛みしめながら、勇は二つ目の梅干を口に放り込む。僅かに身を震わせて種を出した後、水筒に口を付けた。


「そう言えば……」


 甚右衛門は視線を向けてくる。


「お前、そろそろ好いた女でも出来たんじゃないか?」

「……ごほっ」


 突然の話の転換に、呑み込みかけた水を思わず吹き出してしまった。

 目の前でむせこむ勇を見て、甚右衛門は豪快に笑いながら背中を強めに叩いて来る。


「そうか、いるのか!」

「ち、ちが……、そ、そういうわけじゃ……」

「何だ、いないのか?」

「……」


 改めて聞き返されると、言葉にならない。

 二年前から、小春とはほとんど話ができていない。と、言うのもまめに正一が小春の元を訪ねては外に連れ出すことが多く、あまり関われない状態が多かった。

 甚右衛門は黙り込んだ勇を見て、腕を組み小さく唸る。


「お前、小春お嬢さんと仲が良かっただろう?」

「あ……いや、小春はそういうんじゃないんで……」

「……あぁ、まぁ、あの子にはすでにいい人がいるもんなぁ」


 その言葉に、ズキリと勇の胸が痛む。

 これももうとっくに慣れたものだと思っていたが、どうもその話題を振られると痛まない時がない。

 もしかしたら、何かそういう病気でも持っているのかと思ってしまう。


「まぁ、お前ももうそろそろそういう相手を見つけておかないとな」


 甚右衛門の言葉に勇は顔を顰め、視線を僅かに下げる。

 そう言えば清たちは三人とも、予てから想っていた同じ学校の女子と恋仲になり、近頃は彼らともあまり会っていない。

 時に会うこともあったが、頻度は以前に増して少なくなっている。


「……それって、そんなに大事な事なんでしょうか?」

「そりゃあそうさ。今のご時世、男の方が多いのは確かだが、うかうかしてるとあっという間にあぶれちまう。ま、その内勘助たちから、縁談の話が来るだろうよ」

「……」


 縁談……。

 その言葉は、どうにも嫌なものを感じさせた。


 ――いずれどこかの女性と、俺が?


 そう考えると、胸の奥がもやもやとしてしまう。

 

 ――知らない女性は、嫌だな……。


 無意識にもそう思い、勇は、はたと動きを止めて首を傾げた。


「さ。そろそろ仕事に戻ろう。あんまり油売ってると日が暮れっちまう」


 甚右衛門はそう言うと「よっこいしょ」と立ち上がり、勇もそれに合わせて立ち上がった。

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