書けない手紙
勇は手紙を前に、頭を抱える。
何度書こうと思っても、鉛筆の先が紙に触れるだけで、それ以上言葉として書くことができない。
書き進めては消すことを繰り返すばかりだ。
「……」
手習い所の先生――合田一郎は、頭を抱えながら何度も頭を掻く勇を黙って見つめていた。
いつも難なくこなす勇が、珍しく頭を悩ませている。それが一郎には意外な一面に見え、ゆっくりとそちらに向かって歩を進めた。
「橋倉」
勇の傍らに立って声をかけると、勇は極端なほど体を跳ね上げ、書きかけの紙をかき集めると、おそるおそる見上げてくる。一郎はそんな勇を見て目を細めた。
「何をそんなに悩んでいるんだ?」
「い、いえ……。すみません」
その瞬間、勇の脇から一枚の書きかけた手紙が床の上に舞い落ちる。それを二人は同時に目撃したが、片や勇の表情は青ざめた。
一郎はそれを拾い上げ、目を細めたまましげしげと見つめる。
――しまった……。
勇の頭にはそんな言葉が過った。
内容に触れられて困るほどのことは書いていないが、見られたという事が気恥ずかしさと焦りを生む。
「……」
一郎は真顔でその手紙を丁寧に二つに折ると、黙って勇の机の上に戻す。そして睨むでもなく勇を見下ろした。
「……授業がよほど退屈なようだな」
「い、いえ、そのようなことは……」
そういうが早いか、一郎は手にしていた教本をくるりと丸め、問答無用で勇の頭を叩いた。
子気味良い音が教室内に響き、ちらほらと笑い声が上がる。
「廊下に立ってろ」
「……はい」
勇は肩を落とし、他の受講生たちに笑われながら廊下へと出る。
やってしまった……。
廊下に置かれていた「防火」と書かれた古バケツを手に立ち、深いため息を吐く。そして目の前の窓から見える空を見上げた。
――なんて書けばいいんだよ……。
授業態度が散漫になったことよりも、手紙が書けないことに情けなさを覚える。
――書けない理由が、分からない。
文字はいくらでも書いてきた。手紙の書き方ぐらい知っている。それなのに、なぜか書けない。
伝えるべき言葉が頭になにも出てこないのも初めてだった。
思い悩む勇の目の前を、二羽の小鳥が仲睦まじく飛んでいく。勇はその姿をぼんやりと見送った。
――今頃、正一ってやつと一緒だったりするのかな……。
そう思うと、胸が痛む。
上げていた視線を廊下の床に落とし、力なく何度吐いたか分からないため息を吐いた。
――手紙一つ書けない、廊下に立たされる……。俺、何やってんだ。
我ながら、情けなさすぎた。
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「あら! 小春さん、ご覧になって」
授業の終わり、帰り支度をしていた小春に、同級生が声をかけてくる。
言われるままに彼女の視線の先を見ると、校門の前に正一が立っている姿が見えた。
「正一さん……」
「はぁ~……いいですわねぇ~」
同級生は頬に手を当てながら深いため息と共に羨望の眼差しを小春に向けてくる。
「毎日あのように送り迎えにいらっしゃって、羨ましいですわ」
その言葉に、小春は困ったように微笑み返す。そこへ、他の女生徒たちも集まり、窓の外へ視線を巡らせ、誰からともなく感嘆の声を上げた。
「小春さん、お幸せですわね」
「こんなに大切にしてくださる方がいらして」
「私の婚約者はここまでしてくださらないわ」
「私もですわ」
女生徒たちは思い思いにそう呟くと、最後にはやはり「羨ましいですわ」の一言にまとまる。だが、この日は少し違った。
女生徒の内の一人が何かを思い出したように口にする。
「そう言えば、正一さんは毎日のようにいらっしゃるのに、幼馴染の方は一度もいらっしゃらないのね」
その言葉に、小春は胸が一度跳ねた。
「そうね。ずっと仲良くお過ごしだったんでしょう? 多度津なんてすぐ近くですのに、私一度も見たことありませんわ」
「幼馴染の方も、少しは見習えばよろしいのに……。ねぇ? 小春さん」
「……」
口元は緩く弧を描いて笑みを浮かべたまま、その瞳が静かに陰る。
下唇を軽く噛み、荷物を手に取って立ち上がった。
「ごきげんよう」
笑みを浮かべ、会釈をしてそう言うのが精いっぱいだった。
教室を後にする小春は、女生徒たちの「何だったんですの?」とにわかにざわめいている声を背に受け、廊下に出た。昇降口を目指し、歩を進めながら手にした風呂敷をぎゅっと握り締める。
「……っ」
気を緩めると涙が出そうだった。
――そんなこと、言われなくても分かってる。
顔をやや俯けて足早に廊下を進みながら、目の端に滲む涙を軽く拭い去った。




