お風呂
「あれから彼はここに来なくなってしまったが、今はいったい何をしているんだ?」
もはや定例になっている早朝の作戦会議。
最初の議題は最近欠席を続けているメンバーの近況であった。
「一日中横になってまばたきもせずに、部屋の天井をずっと見ている。」
家の主の質問に応じたのはアリス。
太ももの上に両手を置いて顔は俯き元気がない様子。
「そいつはかなり重症だな。
なにか処置を行う必要があるかもしれない。」
「もういいよ。知らないよあんなやつ。」
くちびるを尖らせて声こそ怒ってはみせるが、その表情は依然として暗い。
「おや?ずいぶん冷たいことを言うんだな。
彼のことは気に入っていたんじゃなかったのか?」
「それはそうだけど…
でも、きっとまだ問題を解決する方法があるはずなのに、全然なにもしようとしないだもん。」
「やはり精神的にくるものがあったんでしょうね。
僕も一度それを見たことがありますが、あれはなかなかにキツイ。」
二人の会話を黙って聞いていたウルクも参加する。
「だからといってこのまま放置するわけにもいかないだろー。
あの老人がさらなる一手を仕掛けてくるかもしれないしな。」
師匠の名前がまた出てきてウルクの目が泳ぐ。
「なによりも清算日が近い。
そうなれば私達にはもう何もやれることがなくなるぞ。」
「んんっーーー。それはそうなんだけどさぁー。」
頭を抱えてアリスが唸りだす。
「すみません。
ボクが事前にそれを察知していたらこんなことには。」
「仕方ないさ。
ああいうのは秘密裏に実行されるものだ。」
仮に分かっていたとしてもこの小さな街でイリアスからずっと逃げ回ることは不可能である。
「そういえば彼ならこれを解決出来るかもしれないと言っていたな。
アリスはそれについて何か聞いているのか?」
「私もちゃんと聞いていたわけじゃないんだけど、
金利は時間の壁を乗り越えるとかなんとか言っていた気がする。」
この中で一番経済に詳しいウルクさえも釈然としていない様子。
「なんだか再現性の悪い魔術書の文言みたいだな。」
得られるものがないなと分かるとキャロルはため息をつく。
「やはり彼を復活させるしか打開策はなさそうだな。」
「復活?そんなのどうやってやるの?
水を飲ませるのだって一苦労なんだよ。」
「古典的だが力を取り戻すイニシエーションを執り行おうと思う。」
「い、いにしえーしょんですか…」
そういった非科学的ものとは縁がなさそうな少年がキャロルの言葉に困惑する。
「材料と場所は私が準備するからアリスは彼を外に連れ出してくれ。」
あれから何日経過したのだろう?
イリアスの差押を受けたその夜、帰宅して横になった俺はそのまま体が動かなくなってしまった。
とりあえず代官の所に行って新規の保険募集を停止するように要請すべきであるし、現在の破産確率をすぐにでも確認する必要があった。
他にもやるべき仕事が山積しているのは分かっていたが、
頭の中で俺の保険はすでに爆発四散してしまったのではないかと想像するとその恐怖から力が抜けてまた動けなくなるのだ。
「山田〜生きてる?」
ここは彼女の家なのに遠慮がちに扉が開く。
三人の、いや本来は四人でやらなくてはいけない秘密の作戦会議から帰宅したのだろう。
今日の議題はいったいなんだったのだろう?
彼女は俺にそのことについて何も話さないが、もしかしたら致命的なクレームが既に発生していて、
会社を清算するための仕事に三人は今追われているのかもしれない。
そもそもこの世界に破産宣告という選択肢はあるのだろうか?
この際俺がどうにかなるのは自己責任だが、あの三人に迷惑がかかることだけはなんとしてでも避けたい。
「今日はさ山田と一緒に出かけたいところがあるんだよね。」
枕元に両膝をついてアリスが俺の顔をのぞきこむ。
「キャロルやウルクも待たせてあるんだ。だから早く服を着てよ。」
返事をしようとするが口の中がしわがれて上手く声が出せない。
トイレに行くことすらも億劫なので飲食を絶っているせいだ。
「いいんだ。俺はこのまま土にかえるから。」
「馬鹿なこと言ってないではやく立ってよ。」
少し怒った様子で彼女は俺の右腕を両手で掴むと、そのまま無理矢理俺を上に引っ張り上げる。
「すぐそこだから自分の足で歩いてね。」
頭の上にジャケットを被せられ、半ば引きづられるような形で連行された場所は大量にパンを焼いていた街の食堂の炊事場だった。
その入口の近くではキャロルとウルクの二人がすでに到着していてなにやらもくもくと白い煙が昇っている。
「山田さん!おめでとうございます。」
俺の姿に気づいたウルクがこちらに駆け寄ってきて、開口一番に祝福をこちらに寄越す。
「え?
あ、うん。」
状況が飲み込めず曖昧な返事をするとアリスが補足してくれる。
「まだハッピーエンドな状況じゃないけれど、
それでも山田が商人特権を取ったなんて本当にスゴいことだから、一度皆でお祝いをすることにしたんだ。
驚いた?」
なにかを期待しているまぶしい二つの瞳が俺をとらえる。
「今後の激励も兼ねての食事会といったところだな。」
キャロルが串刺しになっている肉を俺に示す。
煙の発生源は三脚のコンロで、そいつを使って他にも料理を準備してくれたらしい。
「そうだったのか…
こんな俺みたいな奴のためにみんな気を遣ってくれたんだな。」
思っていた以上に声のボリュームが全然出ていない。
それがどうにもおかしくて俺は独りで苦笑してしまう。
「よし!それじゃあ主役が到着したので、
さっそくだけど山田に贈る言葉のコーナーにいきましょう!」
どうやらアリスは進行役を担当しているらしく場を盛り上げようとしてくれる。
「それじゃあ最初はウルク。一言ずつお願いします。」
促されて少し恥ずかしそうな様子で少年が俺の前に立つ。思えば彼はまだ思春期で無理をしているところがあるのかも。
「山田さん。ボクが貴方にお金を出した理由、まだちゃんと覚えていますよね?
この街にはあなたが持っている能力が必要なんです。
最近その夢で自分でも挫けそうになる事がありましたが、今でもその信念は折れていません。
だからあなたもすぐに元気になって一緒にここを豊かにしていきましょう。
商人になったからにはこの街とあなたはもう一蓮托生なんですよ?」
「はい、ありがとうございます。なんだか意味深な部分があるスピーチでしたね。
じゃあ次はキャロルです。」
私の言葉なんて別にいらないだろと言いつつも、彼女は作業の手を止めてウルクと入れ替わる形で俺の前に歩み出た。
「あー、なんというか、ここはすごく退屈な所で毎日に張り合いなんて全くなかったが、
君が来てからは面白く感じる時間が増えた気がする。」
「それはつまり?」
アリスが言葉を引き出す。
それを受けてキャロルは腕組みしながら目を細くして
「だからまだまだ私達とここで過ごせばいい。砂漠で君が披露していた話もすごく面白かった。
他にも色々そういう話題を持っているんだろ?
それを全て吐き出してからじゃないと私もすごく困る。」
「ん~遠回しだったけど心温まる素晴らしい言葉でしたね。
はい、じゃあ次のプログラムは」
「おい!!」
「ちょっと!!」
キャロルとウルクが二人で同時にツッコむ。
「アリスさんもちゃんと山田さんに言葉を贈って下さいよ。」
「え??わたし!?
いや、私は司会だからそういうのは遠慮させて貰おうかなって。」
「一人だけ何も言わないでいるつもりか?
何のための催しだと思っている。」
二人に詰められて彼女も観念したのか今度はいそいそとアリスが俺の前に立つ。
「えー、こほん。」
アリスは前髪を手で撫でつけるように梳かしてからわざとらしく咳払いをする。
「まずは晴れて山田が商人になれたこと誠におめでとうございます。」
最初の言葉がまさかの丁寧口調だったので俺もつい「どうも」と軽く頭を下げる。
「私はいまやっている仕事があまり好きじゃなくて、そのことに不満を抱えていつも過ごしていました。
そんな私とは対照的に山田はひどい逆境を背負った状態からスタートしたのにも関わらず、
自分には何ができるか常に考え遂には自分の店を持つまでに到りました。」
アリスの言い方だと俺が一人でそれを成し遂げたかのように聞こえるがそれは断じて違う。
本当に、もう本当に全てが綱渡りの連続で、目の前にいる三人が今までとってきた行動や発した言葉が少しでも違えば、
保険が完成することはなかったし未来は全く別の道を辿っていたことだろう。
「そんな凄い力を持っている山田が今すごく追い詰められています。
水に入れたら溶けてなくなる甘いだけの食べ物の為に。」
二人の視線が交差する。
「個人的にはもう一度立ち上がってもらって、その力を発揮するかっこいい姿を見てみたいなとは思いますが、
それよりも今はまた山田と取り留めのない会話を交わしたいのが正直な今の私の一番の望みです。」
えへへ。とアリスが笑う。
花笑みなんて言葉があるが、彼女がはにかんだその様はまさに花のつぼみが目の前で開いたみたいで、
俺は時がとまったみたくそれに釘付けになってしまった。
「えっと終わりです。」
黙って人の顔をずっと見ているもんだから彼女は恥ずかしそうに目線をそらす。
俺もそのことに今更気づいて何か言わねばと慌てる。
「皆その…こんな素敵なパーティーを俺なんかのために準備してくれて本当にすまない。」
三人に対して深く頭を下げる。
「たぶんもっと色々と言葉を続けるべきなんだとは思うけど、
真正面からこんなふうに言葉を贈ってもらったことなんて無かったもんだから、なんて言葉を返せばいいのか正直分からないや。」
皆の顔を順番に見渡していくが、彼らもこんな経験は初めてだったらしく、それぞれが頬を紅くして方方を見ており俺は誰とも目線が合わない。
「よし!みんなのおかげで俺、完全に復活したよ!!!」
気まずくなってしまった今のムードを吹き飛ばしたくて俺は声を張った。
「ついでに保険についた爆弾を解除する秘策もひらめいたぞ。」
「本当に?」
アリスは嬉しそうに目を大きくする。
「あ、でも無茶だけはもうしなくていいからね。
さっきは頑張ってみたいなことを言ったけど、山田の頑張りだけが問題を解決する唯一の方法じゃないと思うんです。
砂糖のお金なんていざとなったらお父さんに頼んで、ラクダの一頭でも二頭でも売っちゃえばいいわけで。」
「いや、そういうわけにはいかないよ。
ラクダは両親の大切な財産なんだろ?君もそれには反対していたじゃないか。」
有り難い申し出ではあるがこれ以上アリスやその周りの人達に頼るわけにはいかない。
「それはそうなんだけど、
今は生きてくれているだけで充分というか、この状態が続くことが一番というか…」
意味が判然としない言葉をいくつか並べてアリスはそのまま俯いてしまった。
「にぶい奴だなー
アリスにとって君はラクダよりも大切な存在だと言っているんだ。」
そんなやりとりを傍で見ていたキャロルが同情めいた瞳でおおげさに呆れてみせる。
ウルクにいたっては己の顔を手でおおい空を無言で仰いでいた。
「ラクダよりも上だと言われてもねー。」
頭の中でラクダ<俺をイメージしてみるが素直にそれを喜んでいいのか正直リアクションに困る。
「とりあえずお礼だけは言っておくよ
って、耳が真っ赤になっているじゃないか!
熱でもあるんじゃ?」
彼女の顔に手を伸ばそうとしたら、「あーあっー!あー!!」と、
でたらめな身振りをしながらウルクが俺の前に躍り出てきてその手を制する。
「サプライズ、サプライズがまだ残っているんです。
山田さんが喜んでくれるメインディッシュが!!」
少年は変なテンションのまま俺の手をがっしりとつかむ。
「ほらこっちです。ついて来て下さい。」
背後に回り込んだキャロルも俺の背中を押すもんだから俺はつんのめりながらも少年に続く。
こちらからその表情は確認出来ないがアリスも最後尾にちゃんといるようだ。
「常日頃からお風呂に入りたい。お風呂に入りたいと嘆いていただろ?」
俺を追い越してキャロルが自信ありげに口角をあげる。
彼女の背には白い湯気をモワモワと吐き出している巨大なパン焼きかまどがありこいつになにかタネがあるようだ。
「そのリクエストを受けてこの私が直々にこいつを準備してやった。」
彼女のポーズを見てジャジャーン♫と脳内で効果音が鳴るがいまいちピンとこない。
「お風呂ってこいつはパンを焼くために使っているものだろ?
まさかその中をお湯で全部満たしたのか?」
かまどは五右衛門風呂に見えないこともないが、風呂桶の代わりならもっといい候補が別にありそうである。
「残念ながらこれは湯船ではない。
代わりにいい塩梅に調整した蒸気がこの中を満たしている。」
なるほどスチームバスだったか。
「そっか、すげー俺嬉しいよ。でもこれって衛生的に大丈夫なの?
言ってしまえば調理器具なわけで。」
知らぬが仏とは言うけれど、俺の気化した汗やらなんやらが付着したかまどで、
このあと皆が食べるパンが焼かれると思うとゾッとする。
「これは大勢の客人が街に来たときに使う予備のかまどなので、ながらくもう使われていないんです。
だから山田さんは心配しなくていいですよ。」
そういう問題なのか?
こういう時にウルクくんの腹黒い部分が顔をのぞかせる。
「御託はもういいから早く入れ。そうしないと熱が外に逃げてしまう。」
キャロルにせつかれて俺はシャツとトランクスだけになる。靴も足元が不安なのでそのままだ。
「それじゃあ皆のご厚意に甘えさせてもらうよ。」
おっかなびっくり俺はかまどの上に登り、蒸気が渦巻くその世界に片足をつっこむ。
蒸し焼きになることはない。これなら全身いれても大丈夫そうだ。
「火元がまだくすぶっているかもしれないから、中であまり動いたら駄目だぞ。」
しばらくそこに突っ立っていたら、湯気と混じり合って頭頂部からは滝のように汗が垂れてくる。
目を開けているとそれが沁みて辛くなるほどだ。
「水風呂にとびこんで汗を落としたいな。
整うだっけ?今ならそれにも達せる気がするな。」
体が無意識にゆらゆらと揺れる。
「あまり長湯はしないでね。身体も万全じゃないんだから。」
アリスもいつの間にか調子を取り戻したらしくそんな気遣いをしてくれる。
「分かった。
あともう少ししたらあがるよ。」
「水風呂は無理だが、桶で水を被るくらいは出来る。」
「サイズが合うか分かりませんが、着替えここに置いときますね。」
そんなやりとりを久方ぶりに交わす。
嬉しそうにニコニコしながら俺を見守ってくれる三人。
幸せだ。
我慢することにはなるがこの至福をもう少し味わっていたい。
「何というか、凄い…ですね。」
「うん。
汗で下着は張り付いているし、髪なんてもうベタベタ。」
「さきほどから白目をむいてボクたちのことを見つめていますが、
あれはなにかのサインなんでしょうか?」
「見る角度によっては何処かの妖怪みたい。
かまどから首だけを出して湯気が昇ってるんだもん。」
「こらこら悪く言うもんじゃないぞ。
あれは一種の儀式なんだ。
見てみろ、今まで見てきた中で彼は一番いい顔をしている。あれは不屈の象徴だ。」
「不屈?本当にぃ?
あれは…ちょっと…きもちわりゅい。」
「よし!今日だけは特別だ。
この私が給仕をしてやろう。私も彼のことが気に入ったよ。」
あれ?キャロルが串肉を持ってこちらに近づいてくる。
その横ではアリスが「も?もってどういう意味!?」となにやらわめいている。
「そろそろお腹が減ってきたんじゃないのか?
ほら、食事だぞ。」
どうやらここで食べろということらしい。
口元にそれが押しつけられる。
いい匂いだ。彼女に指摘されて自分がひどく空腹であることに気付かされる。
「はははは。
まるで雛鳥みたいだな。こいつは面白い。」
牛肉よりもそれは黒い肉だった。
いや、種類なんてどうでもいいや。とにかく美味しい。
「水を飲みたいと言っている。
悪いが誰か持って来てくれないか?」
「ウルク!」
「は、はい!」
アリスが叫んで少年が慌てた様子で駆け出す。
「うみゃい。うまいうまい。うみゃい。」
ごくりと喉が鳴りかまどの中で料理を食べすすめていく。
ところで先程とは打って変わって、アリスが俺のことを犬歯もむき出しに睨みつけてくるのだが、
何か地雷でも踏み抜いてしまったのだろうか?
「とてもうまいです。おいしい!」
皆のやさしさが骨身にまで染みる一日だった。




