差押
机に広げられた書類の山と俺は悪戦苦闘していた。
ここは倉庫街の一角。
晴れて商人の仲間入りを果たした俺に市長があてがった倉庫は、日当たりが悪く事務作業をするのに向いていない立地だった。
営業方面はすべて代官。もとい代理店が担当しているので人通りが少ない点については問題ないのだが、光量不足はバックオフィスを担当する自分にとって大きな悩みの種である。
新参者に対する冷遇はどこの世界でもあるということか。
「暇だね〜。」
向かいの席で手持ち無沙汰に頬杖をついているアリス。
荷役人の仕事が休みの時は、助っ人として店に来てくれているのだが、今のところ彼女でも手伝える仕事はまだここにはない。
「お客さんとかやって来たりしないわけ?
私接客とか自信あるんだけどなー。」
彼女は両腕を伸ばしてばたりと机の上に突っ伏す。
「ここはそういう場所じゃないからね。
やってくるのは書類だけ。ふってくるのは事務作業のみだ。」
確認を終えた紙を未読のものと交換する。
「そういえば最近銀山に足を運んでないみたいだね。」
「あ〜。」
適当な生返事。
「保険が完成する前はあれだけ足繁く通っていたのに、販売が許可されてからはすっかりご無沙汰じゃん。」
「そうだったかな?」
「むぅ。もしかして私との約束を忘れた?
保険がちゃんと売られているかどうか確認するんじゃなかったの?」
「忘れてはいないけどさー。」
俺は紙の束のひとつに手のひらを上からバシッと置く。
「こっちの仕事が片付かないことにはどうにも動けないよ。」
「それはそうだけど代官様がちゃんと仕事をやっているのか、目を光らせるのも山田の大切な仕事でしょ?」
「うまくやれている?
そいつは聞き捨てならないセリフだな。」
俺は紙の束をばんと叩く。
「この契約書類の山を見てくれよ。
クリープ殿は俺の予想なんて遥かに超える成果を挙げている。
おかげでこっちはヘロヘロだ。」
会社にとって営業成績をあげる人間は神様そのものである。
そんな相手に監査まがいのことをして気を悪くさせるわけにはいかない。
そういうことは成績が落ち込んだ人間に対してやるものだ。
「行かないとは勿論言ってないよ。
ただそれはもう少し仕事が落ち着いてからかな。」
依然として不満を露わにしている彼女の機嫌をこれからどうやって取り戻そうか考えていると、
店の入口から差し込んでいた陽の光に陰りが生まれて室内がより一層暗くなる。
そのすぐ後に男の咳払い。
「あ、いらっしゃいませ!」
お客様が来店したと思ったのだろう。アリスが嬉しそうな笑顔で椅子から立ち上がる。
「…。」
黒い法衣を身にまとった三人組の男がそこには立っていた。
そのオーラは首都で銀を竿秤で計っていたあの役人達と通じるものがある。
「あの、今日はいったいどういうご要件で?」
俺も彼女に続いて立ち上がる。どうも客の類ではなさそうだ。
「商人特権なんぞわざわざ取得してからに。」
依然として無表情を貫く三人組の後ろから聞き覚えのある悪態が聞こえた。
「それで?
やはりワシは招かれざる客なのかな?」
入り口を塞いでいる男の間を縫って店の敷居を最初に跨いだ小柄な老人。
この街の全ての倉庫を管理している男。イリアスその人だった。
「いつかここでその顔を見ることになるとは思っていたけれど、
こんなに早く会えるなんて感激だわ。」
冷めた表情でアリスが皮肉っぽく彼を出迎える。
「こんな砂漠で胡蝶蘭を求めるのは流石に酷だけど、せめて何か一つくらい手土産を持って来て欲しかったな。」
調子にのって俺もそれにのっかる。
「ずいぶんと余裕のある態度だな。
ここでやる商売はそれほどまでに有望ということか?」
勝機はもちろんあるよ。と俺は返す。
「しかしワシが来た理由をなにか勘違いしているみたいだな。」
イリアスは不敵な笑みを浮かべながら自分の手を揉んでいる。
なんだろう?この違和感は?
「今日はお前らの店に抜き打ちをやりに来たわけじゃない。
ただ手土産ならこうしてちゃんと用意した。」
イリアスは服の内側に手を突っ込む。
そうだ!彼のトレードマークであるあの分厚い帳簿を今日は持っていないのだ。
「悪いが差し押さえの時間だ。
めぼしい財産は全てこれから押収させてもらう。」
取り出された二つ折りの紙が重力に従ってゆっくりと開く。
そこには細かい文字がいくらか続いた後に大きく赤いハンコのマーク。
それが合図となって男達が倉庫内になだれ込んできた。
「なになになにこれ?こんな横暴が許されるわけ!?
法律、法律はどうなっているの?」
倉庫で物色を始めた暴漢に対してアリスが大声で抗議するが三人組は意にも介さずその手を休めない。
「見たところ倉庫の中にあるものは机に書類と、大きなお金が動いてる様子はまだなさそうですね。」
リーダー格と思わしき法衣の男がイリアスに伝える。
「そのようだな。
いや、これはこれで間に合ったと言うべきか。」
残りの二人は壁をあちこち叩いてみたり、契約書を入れていた箱をひっくり返してありもしないものをしつこく嗅ぎまわっている。
「金をいくらか持っているはずだ。
それを全て出してもらおうか?」
イリアスの目配せを受けてリーダー格がアリスに右手を突き出す。
「一体なんの権限で言っているの?」
アリスが男を睨みつけるとイリアスが肩を揺らして笑う。
「それははじめに説明しただろ?
これは差押だと。」
それからわざとらしく大きなため息。
不利な状況をそれで察したのか、今度は俺に助けを求めるように彼女は視線を送る。
これは…これは一体どうするべきなのだろうか?
「差押というとその根拠は砂糖の代金の不払いということか?」
「それ以外で何がある?」
イリアスはもう一度俺たちに紙をぱたぱたと振ってみせる。
するとこれは差し詰め債務名義という奴か。
そして法衣の男たちは執行官。
「アリス。残念ながらこれは法律に則った正当な行為らしい。」
「残念もなにもワシは常に律法に忠実な人間だよ。」
差押。もしくは強制執行は債務者が債務の返済を遅延した時に、債権者の代理として執行官がその救済を実現する法行為である。
ネガティブなイメージがつきまとう言葉ではあるが、自力救済が禁止されている世界ではこの仕組みがないと、
相手が居直った場合債権者はなんの対抗も出来ずに泣き寝入りすることになってしまう。
「とんちきな商売なぞ勝手に始めて、
ワシに対して支払われるはずの金がどこかに散逸してしまったら堪らないからな。」
彼の主張は至極もっともなものだ。それが理解できるからこそ余計に胸に苦しい。
しかしこれを「はいそうですか」と、素直に受け入れるわけにもいかない。
「イリアス。
考え直してはくれないか?」
俺はひきっつた笑顔を浮かべながら、彼に一歩、また一歩とにじみ寄る。
「俺達はなにも自暴自棄になってこんなことを始めたわけじゃないんだ。」
有能なバンカーと聞くと大きな企業との間に巨額な融資を繋げるシーンを想像しがちだが、
金融機関においてそれはあくまでも仕事の始まりで、貸したお金を利子も付けて全額回収しないと、
仕事をやり遂げたとは言えない。
「見てくれよ。こんなにも沢山の契約を既に取り付けてあるんだ。
明日になればこれがもっと増えるぞ。」
もちろん融資の前にも審査は徹底的にやる。
が、経済も会社も水物で状況は刻一刻と変わるものである。
目論見がその通りに実現するなんてことはまずない。
「キャッシュフローがあがる時期もちゃんと計算してあるんだ。」
だから金融機関にはモニタリングという業務があり、貸し付けた相手が提出する試算表などを見て融資先の信用リスクを常に把握するように努めている。
「あんた会計にはすごく詳しいじゃないか。
資料を確認してくれたら…
いや、説明する機会を与えてくれたら絶対に納得してもらえるはずなんだ!」
特に信用金庫が相手にする企業の多くは資金力に乏しく、
会計に対する意識の低さから粉飾決算を行うケースが残念ながら多い。
「定期金で支払うという方法もあるだろ?
もちろん金利もその分つける。」
もちろんすぐには見放したりはしない。
ただ回収不能に陥る前に防御策は当然とらせてもらう。
そしてその日が来たら誰よりも早く動いて、沈んでいく船から貸し付けた分を回収することができるのか?
負の側面を持つ残酷な能力ではあるが、その人が有能なバンカーであることを示す一つの指標であることは間違いない。
「だいたいあんたが先に言い出したんだぞ!返済期日は一か月後だと!
その約束は守ってもらうぞ。」
何を言っても響いていない様子の彼に、俺は怒気のこもった罵声を浴びせる。
「状況が変わったんだ。」
そんな抗弁に臆することもなく彼は冷たく一言。
「この男も対象だ。」
イリアスが顎でしゃくると、天井を凝視していた顔の丸いチビの執行官が、こちらに向かってとたとたと駆け寄ってくる。
そして服の裾から赤いお札のようなものを取り出すと、俺のおてごにぺたりとそれを貼り付けてしまった。
「ぬわっ!?」
俺はその勢いにのされてそのまま膝から崩れ落ちる。
「アリス。
暴力は使いたくない。」
茫然自失となっている俺を見てアリスもついに観念したのか、銀貨の入った袋をリーダー格の男に差し出してしまった。
「これも持ち帰りますか?」
「いや、置くところがないからごめん被る。
それに、別れの言葉だって二人には必要だろう。」
「それではこれを以って終了いたします。」
執行官が背筋を伸ばしてそう宣言したかと思うと、三人組はそそくさと倉庫から退出していく。
「ワシも約束を破るつもりはなかったが、お前の行動がこの行為に必要性を与えてしまった。」
イリアスは俺のことを指さす。
「悪いが金は一時的に保全させてもらう。
アリス、お前もこれ以上無駄な抵抗をしようとするんじゃない。
この処置はお前を守るためでもあるのだから。」
「守る?」
そこで思考が停止してしまったのだろう。
アリスはそれ以上は何も言えず、文字通りその場で立ち尽くしている。
「なにも希望が完全に絶たれたわけでもない。というのも返済は砂糖の現物でもいいわけだからな。
それが一か月の間に暴落する可能性もゼロではない。
もし預かった銀貨で60キロ分の砂糖が弁済出来るなら、その時はこれで相殺することを約束する。」
イリアスは外の通りに向かって歩き出す。
「砂糖の値段は市場で決まるから、気になるなら毎日ワシのところにやって来い。
帳簿にちゃんと記入してあるから。」
老人は最後まで意地悪を突き通してから倉庫を跡にした。
「山田…
なんか大変なことになったね。」
アリスが俺の近くでしゃがみ込み目線の高さを同じにする。
「そんなことよりもさ、俺に貼ってあるこのお札なんだけど、なんて書いてあるのか代わりに読んでくれないか?
字がチラついてはいるんだけど、ここからだとよく読めなくてさ。」
赤いお札には達筆な字が走っており貼られた場所も含めてさながら俺はキョンシーみたいだ。
「差押(仮)って書いてある。」
「くおえうえーーるえうおおおwww」
「や、山田!?」
アリスがもの凄くテンパりはじめる。
「いや、あの、でもさ、これも考えようによってはポジティブなものになるんじゃないの?」
「いったいぜんたい何処のどれがぁ?」
涙声で俺の声もつい大きくなる。
「私あんな大金持ち歩くの初めてだったから、ちょっと不安になってたんだ。
で、それはイリアスに最終的には渡す予定のものなわけじゃん。
その時期が早まったと考えれば、全然問題なんてないわけじゃん。」
アリスにはまだこの事態の深刻さが理解出来ていない。
だからそれを説明する必要がある。
「俺がつくった保険には破産する確率があると言ったろ?」
「う、うん。」
「将来払う予定のお金と、契約者から集めるお金。
これは最終的にはイーブンになることが期待されているんだけど、やっぱり確率の世界だから経過においては偏りがうまれるんだ。」
コインを投げて裏と表どっちがでるか?
この確率は当然五分五分である。
しかしそれは十分な試行回数を経てから求められるもので、例えば10回しかコインを投げなかった場合。
表が出る確率は80%なんて結果があり得る。
「特に危険なのが充分な積立もないままに高額な補償が連続するシナリオで、
支出が先行して嵩むことになれば保険会社はそれによって支払不能に追い込まれる。」
「それを破産って呼ぶんだね。」
保険は大数の法則に支えられてはいるが、最終地点に至るまでの経路はランダムウォーク。
対して被保険者との保険契約には期日というものがあって、約束した保険金は速やかに給付されなくてはいけない。
どれだけ最後には利益が出るんだと強弁しても、そこで流動性を一時的にでも失えば、保険も企業もヘッジファンドも容赦なく破産と認定される。
「山田はその確率もちゃんと計算したんでしょ?
だから保険を売ることにしたわけで。」
伏し目がちで自分に言い聞かせるみたいに話すアリスを見て、俺は「ハハハッ」と乾いた笑いを上げる。
「破産は準備金が枯渇する確率なんだ。
だから初期に用意できる準備金が多ければ多いほどその確率は低下する。」
自分のおでこに貼られていたお札を剥がす。
「さっきイリアスが持っていったお金。
あれがまさに準備金だったんだよ。」
初期サープラスが絶望のゼロ。
あれほどギャンブルを否定して、人類の英知を発揮してやると意気込んでいたのに、
今では悪いことが起きませんようにと、天に祈らなくてはいけものにまで俺の保険は貶められた。
「具体的に今の確率はいくらぐらいなの?」
アリスの声がひどく遠くから聞こえる。そんな計算怖くてとてもできやしない。
ただ脳裏では鉱山で働く人達の姿が再生されていた。
幾百ものつるはしやたがねが暗闇の中で今も振るわれ岩が削られている。
もしその中の一つが破断して、クレームが実行され、そんな書類が手元に束になって届くようなことがあれば俺の保険は瞬く間に破産する。
「こんなことが起きるなら保険会社も保険に入らないと駄目なのかもしれないね。
それでその保険会社も別の保険に入って…それがどんどん繰り返されて…」
励ますつもりで彼女は冗談を言ったのかもしれないが、そのやさしさに応えられる余裕なんて今の俺にはなかった。




