営業哲学
「将来あるかもしれない事故に対して相手と賭けをするのか。
それで商売をやろうだなんて別世界の発想だな。」
保険とは一体どういうものなのか?
一辺倒の説明を終えて代官は開口一番そう言った。
「繰り返しになりますが、その保険を作るには信頼できるデータが必要がなのです。
それが欲しくてここには来た次第で。」
主力になるのはイリアスが保有する帳簿になるが、参考として使えるデータはいくらでもあった方がいい。
「それで具体的にはどういうものが欲しいのだ?」
机の上で手を組んでクリープは俺のことをジッと見る。
「例えばですがこの鉱山で働いている人の数とか、鉱夫の勤続年数や性格。
とにかく此処で働いている人たちにまつわる情報ならなんでも欲しいです。」
「そんなものを集めてお前に本当にメリットがあるのか?」
代官は目を丸くする。
確かに保険の作り方を知らない人からするとそんな個人情報なんて、
知らない学校の卒業アルバムを眺めるくらい虚しく価値のないものかもしれない。
「んー、私ならそれを収集する目処が立たないこともないが、
さてどうしたものか。」
含みのある言葉運び。
彼が望んでいるであろうものを俺達の方から提案させたいのだ。
「協力していただけるのならばとても有り難い話です。
もちろんタダでそれを求めるほど私も恥知らずではありません。」
代官は黙って右手であごをなでている。
「その情報収集に関連して、
いや、むしろそれは方便で実はこれからする話をやりたくて私は此処にお邪魔したのです。」
「これからする話?」
「はい。
というのもその保険が開発された暁には、クリープ殿にそれを売ってほしいのです。」
話の流れに身を任せて練っていた考えを俺は思い切って提案する。
彼の性格次第ではその心証は最悪のものになるかもしれないが、なるようになれだ。
「私がお前の代わりに売るのか?
売り子の恰好に着替えて?いやはや、まさに青天の霹靂だな。」
クリープは面白そうに笑顔を浮かべながら頭を前後に動かす。
その動きは頭でかっちの首振り人形によく似ていた。
「ちょっと。
そんな話私聞いてないんだけど?」
終始黙っていたアリスが俺の袖を引っ張って耳打ち声で協議を求めてくる。
「困るよアリス。
いいからここは任せてくれ。」
相手のこともあるので俺は彼女の手をふり払って代官との会話を続ける。
「私も公職の立場にあるが、その責任に対して俸給が釣り合っていなくてな。」
わかるだろ?と、合わせていた手をパッと広げて内側をこちらに見せる。
「それでちょっとした小遣い稼ぎのつもりで揺すってみたのだがこんな話になるとは。」
机がトントントンと叩かれ目つきが鋭いものに変化する。
交渉が始まった合図だ。
「面白い。
詳しく聞かせてみてくれ。」
交渉術を巡っては様々なジャンルの専門家がその知見に基づき本を執筆している。
最近読んで面白かったやつはカルトのマーケッティング術を営業に応用するというものだった。
必勝法が存在しない世界においてそんな妖しげな神頼みに頼る人が出てくるのも、仕方のないことなのかもしれない。
なにせ金融業界の叡智が集まる兜町の東京証券取引所ですら、近くに兜神社なるものを造って神様を祀っているくらいなのだ。
それだけ世間には迷える子羊、ビジネスパーソンが多いのだろう。
そういうわけでせっかくのいい機会なので俺からもこの界隈に一言もの申してみる。
まず最初に飛び込み営業をしている人間に言いたいのだが、お前に対する評価は詐欺師のそれとまったく同じであることを肝に銘じておいて欲しい。
肩書なんて関係ない。
だからまずは信頼関係を構築しろ。
言っておくが筆ペンで書いたお手紙は読まないし、小粋なジョークも聞きたくない。
友達づくりがしたいなら週末にやってるカルチャー・クラブにでも参加してくれ。
それで具体的にどうすれば相手との信頼関係が築けるかだが、まずはやってはいけないことから挙げていこう。
頼むから売り込む商品に関するメリットをくどくどと芝居かかった調子でプレゼンするのだけはやめてくれ。
昼間に流れている通販番組を観せられてるみたいで最悪なんだ。
あの手法で騙されるのは老人だけだと思う。
繰り返しになるけど君の立場は犯罪者のそれと同じであることを再度自覚して欲しい。
仮にいいプレゼンだったとしても魅力的なペテン師という評価になるだけだ。
誠実であることをアピールしてもやはりそれは空回りするだろう。
そうやって無理していい人になろうとしなくていい。
立場を逆転してみよう。
お客様が最初に知りたい情報は目の前にある商品のハイパースペックなんかよりも、こいつは自分からいったい何を得ようとしているかなんだ。
そんな状態を放置して交渉なんかやっても上手くはいかない。
こっちを追い返す方法を相手は常に意識しているからだ。
これは典型的な減点方式で営業する立場からすると大変苦しい。
だから最初に禁じ手に思われるかもしれないが、駆け引きなんて考えずに自分が欲しいものを相手に先に伝えることをおすすめする。
私があなたから奪う予定のものはこれです。と、さっさと宣言してしまうのだ。
注意しておくけどこれは欲しいですアピールをしろと言っている訳ではない。
そうじゃなくて、こいつと契約すると何を提供することになるのか相手にイメージしてもらう事が大切なんだ。
もしそれが当人とって許容出来ないものならばすぐに追い返されるだろう。
おめでとう。
お互い時間が節約できた。
そこから挽回なんて考えるな。
営業なんて回数勝負で成功率を求めても疲れるだけだ。
で、もしその関門を通過出来たのならば、メリット次第では相手はそれを提供してもいいと考えていることになる。
これはとてつもなく革命的なことで、危険度未知数の詐欺師から会話してもいい相手に評価が上がったことを意味している。
ここからは減点方式でなく加点方式だ。
自分がいかに有用であるか相手にぶつけてやれ。
「山田くんと言ったな。
分かった。
その保険の代理店とやら、私が引き受けてやってもいい。」
たまたまうまくいっただけ?お前のやり方は間違いだらけ?
よろしい。それなら次は君が熱く語る番だ。
どうぞ自分の営業哲学を雄弁に展開してみてくれ。
ちなみに俺は今すごく忙しいので、お前にやる時間は一秒もない。




