学生時代、少年の苦悩
書記官の育成学校を卒業してから2年が経過した。
子供の時分に親元を離れて厳しい集団生活を過ごすのは大変な苦労ではあったが、
家督を相続する見込みのない子息にとってそれはごくありふれた話だった。
成績は歴史の暗唱がどうにも苦手で主席を逃し宮廷での職を得ることは出来なかった。
その後見習い書記として派遣されることになったのがこのタフィーである。
都落ちという結果ではあるが地理的に見るとそこまで距離は離れておらず、銀が産出する鉱山があるので経済的には豊か。
食事はまずいが何もない田舎町と比べれば十分当たりの赴任先であった。
書記官の仕事は年に4回、担当する地域の会計報告書を作成して王様に提出するところにある。
が、このタフィーという街は少し特殊で経済活動を記述する経理以外にも、
人々が生活の中で消費する物資を荷役人を通じて発注する業務が存在している。
これは街が砂漠に埋もれてあらゆる生産活動が困難なためで、必要な物は全て外部からの輸入に頼っているところに起因する。
この仕事の進め方はかなり特殊なもので、学校で教わった技術ではさっぱり歯が立たなかった。
そんな右も左も知らない自分を指導する立場にあたったのが師匠であるイリアスその人である。
彼は寡黙な人物でその過去を多くは語らないが、この地で何十年も書記官として働いており、
件の特殊な発注業務も師匠本人が試行錯誤していくなかで編み出したものらしい。
彼曰く、いかに少ない回数で必要な物資を過不足なく街に流通させれるかが腕の見せ所らしい。
それには過去の帳簿を読み解く力が必須で、彼はそれをいつも参考にしている。
そのやり方はどことなく山田さんが言っていた保険の作り方とよく似ている気がする。
とにかく、そんな師匠のもとで自分はこの仕事をマスターするために研鑽を積んできた。
慣例でいくとあと一年ほどこの生活を続ければ宮廷から手紙が届き、
師匠の最後の承認を経てから正式に自分も書記官として任用されることになる。
いわゆる一人前というやつだ。
そして気になる次の赴任先だが、師匠であるイリアスさんの年齢とこの街の仕事の特殊性を鑑みるに、
自分が彼の後任として任用される可能性が高いであろう。
その後も真面目にここで実績を積んで、自分のような見習いを何人か育成すれば、
四十歳くらいになったタイミングで宮廷で仕事をやる機会が与えられる。
そこで大きなことを自分が成し遂げられるかまでは分からないが、客観的に見て自分の人生の見通しはおおむね良好なようだ。
このまま善良な市民として課された責務を果たし続ければの話だが…
右手に握られたかぎ爪のような金属の道具を眺める。
これはキャロルという名前の傭兵に無理やり持たされたものだ。
その用途は施錠されたかぎを解錠するための道具らしいが、彼女はその使い方を説明してくれなかった。
だから自分はこれを使うことが出来ない。なのにこっちに無理やり押し付けてきた。
噂通りめちゃくちゃな人である。
山田さんも含めてそんな人達と交流を持つことは、自分の未来に影をさす行為なのかもしれない。
そしてこれからやろうとしていることは、交流なんて可愛い火遊びでは済まされない。
もちろん最初のきっかけは自分の意志によるものだった。
かねてよりこの街の経済は銀山に強く依存しており、キャラバンの中継地として栄えていた過去は遠いものになっていた。
商業のいいところはそこに流れがある限りお金がこくこくと泉のように湧き出すところにある。
鉱山はそうではない。
いつかはそれを掘り尽くす日が来るだろうし、衰退期に突入すると鉱夫達は採掘で無理をするようになり事故ばかりが増えると聞く。
そんな未来を変える力。
あの人にはそれがあるのでは?と、根拠はないけど思えたのだ。
だから自分の財産を提供したし、それが例え失われたとしても受け入れるつもりでいた。
師匠が書いている手紙の内容を調べて欲しいと言われた時には驚いたが、
たまたま師匠が用事で離れているときに部屋に入り、たまたま書きかけの手紙が目に入り、そこに書いてある文字を無意識に記憶して、
その話を彼に伝えているだけ。という言い訳を自分の心の中で組み立てた。
しかし今回はそうもいかない。
帳簿を盗むという行為は一線を完全に越えている。
露見すれば間違いなく自分は破門されるし、今掴みかけている未来も同時に霧散してしまう。
街の行く末を憂いて自分の将来を駄目にするなんてどうにも本末転倒な話だ。
はぁーと大きなため息が抑えきれずに自分の内側から吐き出される。
サンダルに鉄でも巻いてあるのかと錯覚するくらい足取りが重い。
ウルクには珍しく、今日はいつもより遅い出勤だった。




