第十回 お林
今まで見えていた緑や家々は途切れ、海が見えてきた。電車の中から見た海とは色が違うように見える。いい色だ。
窓を開けてみた。心地よい風が潮の香りを纏って吹き込む。髪が風で揺れた。慌てて左ほほを隠す。荒井さんに見られただろうか。ごまかすように咳をした。
顔を手で隠しながら海を眺め入る。波音も大きく聞こえる。寄せては返す音はまるで呼吸しているようだ。海が生きていて、わたしに呼びかけている。海に近づいていると思うだけで心がざわつく。
ゴシック調の白亜の御殿が見えてきた。四階建てだろうか。人の気配はないが、大きな建物だ。きっとホテルに違いない。
ホテルの隣にはガラス張りの、有名建築家デザイン風レストランがあった。車が止めてあり人の出入りがあるようだ。
「ホテルやお洒落なレストランもあるけど、自家用車じゃないと行きづらくて。景色は最高だけど、街灯も少ないから夜は真っ暗になる。この後、海はしばらくお預けだ」
荒井さんの言葉通り、海は姿を消し、うっそうとした森が続く。
「この辺ではお林って言って、原生林なんだ」
原生林と聞いて思い浮かんだのは樹海だ。昼でも暗く、地上には光を嫌う生き物たちがうごめく。生きていないものも混じっているかもしれないとも思う。
「真鶴の全ての生き物の源かな。このお林があるからこそ、皆生きている、というのかな。大事な存在でね。真鶴の命そのもの」
お林。
林におが付いているくらいだから、本当に大事にされているのだろう。木立の奥に、見えない生き物たちの息づかいが、聞こえる気がした。
樹海のようなものだろうか、というわたしの問いに荒井さんは笑った。
「そんなたいそうな物じゃなくて、迷子も死者もいないから。だいたいここまで来る人は海が目当て。昔はサボテンランドがあったそうだ。俺が来た時にはもう展望公園だったけど」
真鶴には一点の曇りもないらしい。
荒井さんの言葉に合わせたかのように、広い芝生と建物が見えてきた。展望台だろうか。
「展望台じゃなくて博物館。カフェテリアもあるけれど、俺のおすすめはこの先。ランチを一緒に食べないか」
急に空腹を感じる。朝から何も食べていなかった。心は揺れたが知らない人と食事する程社交的ではない。一人でゆっくりしたい。
断ろうとするも、既に荒井さんは博物館の奥へと消えかけていた。急いで後を追う。





