余話2
女帝司馬、人生最大のピンチ! ムニとフギは司馬のアパートに駆けつけるものの、フギが足を止めて聞く、「なあ、アパートとマンションのちがいって何だ」
川内北キャンパスを通り抜け,暗い坂を下り切ったところで川を渡る。
また坂を上ると,狭い路地が入り組んだ場所に出た。このあたりは杜都大生用の安アパートが立ち並ぶ一角で,2階建てのアパートと月極駐車場がひしめきあっている。司馬のアパートもここにある。
浅田教授から教えられた住所には,明らかに新築の4階建てのアパートがあった。
印象から言えば,低層マンションである。いや低層マンションなのかもしれない。
「アパートとマンションってさあ,何がちがうの?」
宇沢が聞く。
宇沢は興味がないものには徹底的に興味がないから,たまにとんでもない常識が抜け落ちていたりする。米は稲から得るものだと知らないかもしれない。柿や蜜柑のように木になるものと思いこんでいるかも。そして,僕は米も知っているし,稲も知っている,ただ稲から米を得るとは知らなかっただけだと夏目漱石みたいな言い訳をするのだろう。
「共同住宅のうち低層で小規模なものがアパート,中・高層で大規模なものがマンション」
「何それ,単に規模のちがい?」
「まあ,イルカとクジラみたいなものだな。クジラ目のハクジラ類のうち,おおむね体調4メートル以下のものをイルカ,4メートル以上のものをクジラと分類してる。だからハンドウイルカとゴンドウクジラはけっこうギリギリだ」
「体長4メートル以下のヒゲクジラは?」
「いないから安心しろ」
「小柄なオキゴンドウなんて,イルカと呼ばれかねないんだ」
「大柄なハンドウイルカは逆にクジラと呼んでもらえるかも」
「じゃあ,『オレもっと大きくなって,きっとクジラになってみせる!』とか言う向上心旺盛なハンドウイルカとか,小柄なせいでクラスメイトから『ちーび,ちーび,おまえの父ちゃん,本当はイルカじゃないのか』『オレはいいけど,父ちゃんのことはやめろ!』とイジメられるオキゴンドウとかいるんだろうな」
「いないと思う」
「なんか,どうでもいい尺度で他人を分類して差別するのって人間だけだと思ってたけど,クジラも大変なんだな」
「クジラだけじゃないぞ。鷹と鷲も同じだ。タカ目タカ科の鳥のうち,小さいほうが鷹,大きいほうが鷲」
「ワシって実はタカなの?」
「そう。ワシは実はタカだ」
「みんなタカでいいじゃん」
「別物だと思ってタカ・ワシと呼び分けてたら,実は一緒でしたと後から生物学者に言われたんだろ。それまでワシと呼んでた鳥を急にタカと呼んだら,それはそれで混乱するにちがいない。『うちの会社を買収するつもりか。このハゲワシファ……,いやハゲタカファンドめ』とか」
「ハゲタカファンドははじめからハゲタカだったと思う」
「なんかめんどくさいなあ。それからパンダも似た感じだ。小さいほうをレッサー(小さい)パンダ,大きいほうをジャイアント(大きい)パンダと呼んでる」
「レッサーパンダって,小さいパンダって意味なの? 全然ちがうじゃん。大きさもフォルムもカラーも何もかもちがうじゃん。レッサーパンダとジャイアントパンダが同じと見抜いた生物学者ってすごいな。そのうち,オカピとキリンも実は同じでしたとか言いそう」
「オカピは正しくキリン科だ。知ってて言ってるだろ」
「バレたか」
「驚くのが,レッサーパンダはアライグマ科,ジャイアントパンダはクマ科に分類されてるってこと。もうパンダくくりやめればいいのに。あのさ,パンダは中国語で『熊猫』と書くんだけど,『熊猫っておかしいじゃん,むしろ猫熊じゃん』とか思わない?」
「思わない」
「実は発見されたのはレッサーパンダのほうが先で,熊っぽい猫=『熊猫』と名づけられた。ところが,あとから大きなパンダが発見されたから,小さいパンダを『小熊猫=レッサーパンダ』,大きいパンダを『大熊猫=ジャイアントパンダ』と呼び分けることになった。最初,熊猫といえば,あのアライグマ的なほうだったんだ。なら,普通だろ? 猫っぽさはほぼほぼないクマ的なほうも大熊猫と呼んだから,変な感じになったんだ。古い文献では『白熊』と呼ばれてるから,そのままでよかったのに。中国にはホッキョクグマはいないから,混乱もないし。で,驚くことに,いまはかつての『パンダ=熊猫』を『レッサーパンダ=小熊猫』,あとから現れた『ジャイアントパンダ=大熊猫』をジャイアント抜きで『パンダ=熊猫』と呼んでる。主役交代。パンダの名前を新参者が奪ったと言ってもいい。かくして,あのすげークマクマしてるパンダを『熊猫』と呼ぶ不思議な事態に至ったってわけだ」
「なんか,広島風お好み焼きの悲劇を思い出すね」
「だろ。お好み焼きといえば,大阪風しか思い出せない。『お好み焼き食べようぜ』と誘われて,行ってみたら鉄板でいきなりソバ焼かれてたら混乱するもの。『あれ? 今日,お好み焼き。だよな?』という感じ。広島風お好み焼きは,どちらかといえば,東京のもんじゃ焼きみたいな地方種。あるいは,焼きそばとお好み焼きが交配してできた新種」
「ねえ,そこ,いつまで喋ってんの? 私に用?」
声のほうを見上げると,アパートの3階ベランダに司馬がいた。何か白っぽいもので体を包み,手すりから顔だけ出している。
「先輩! 無事でしたか?」僕が大声でたずねる。
「ある意味,無事じゃない! ここで話してもいいけど,とりあえず上がって来て!」
僕たちはこうして「女帝」のアジトに侵入することになった。
(余話3につづく)
余話1のつづき。




