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歴史家は決して笑わない  作者: 伊武春人
第3章 「主人公」西嶋無二のいたずら──幽霊についてのくだらない話
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第7話 幽霊なんていない

東北最恐の心霊スポット八木山橋で、不思議体験をしたムニ。

 杜都大学の近くには東北地方最恐の心霊スポットがある。

 その名は八木山橋。


 その日,僕は歩いて八木山橋を渡っていた。全長3km,深さ70mを誇る竜の口渓谷にかかる橋で,まさにその最深部にかかっている。高さ70mといえば,大阪万博の「太陽の塔」や西口の「ホテルモントレ仙台」が入る高さだ。

 橋の両サイドには,鉄格子を思わせる高さ2mのフェンスが隙間なくつづく。その上部は内側に傾き,有刺鉄線がはられ,フェンスを超えることを固く拒んでいる。落下すれば,谷底までマンション20階分をフリーフォールするハメになるのだから,この用心は理解できる。

 実のところ,この過剰な用心は相次ぐ自殺を防止するために設置されたものだという。

 その件数は多く,ある年には1年で21人もの方がここで命を絶ったそうだ。橋が自殺者を引き寄せるとも,亡霊が道連れを求めているとも,心の弱った人間が通ると死に魅せられてしまうとも言われている。


 この橋を歩いて渡るのは珍しい。

 青葉城と八木山動物園という2大観光スポットを結ぶ道なので,交通量は多い。しかも橋向こうの八木山には杜都大生が多く住んでいるから,朝晩、学生の群れが橋を行き来する。とはいえ普通はバスか原付で通り過ぎる程度だ。青葉山キャンパスから橋を渡って八木山まで歩くのは,ガソリン代までスロットにつっこんだ親不孝者くらいだ。

 しかも,その日は先客がいた。

 薄桃色のダウンジャケット,スリムのパンツ,ニット帽をかぶった髪の長い女性で,橋の半ばにいた。僕が珍しいなと思いながら橋を渡りはじめると,彼女は鉄格子を握りしめ,フェンスの隙間に顔を押しつけた。まさか目の前で,とは恐れながら,声をかけるのも変な気がしたので,そのまま通り過ぎた。追い越すとき彼女が小さな声で「……ちそう」と呟いているのがかすかに聞こえた。落ちそう……か。

 橋を渡り切ってから,ふとふりかえると──彼女の姿は消えていた。

 

「ってことがあったんだけど,幽霊っていると思う?」

 僕は正面の宇沢に問いかけた。友人は,今,かきあげ丼にトドメを刺そうとしている。


 1978年のギャラップ社の調査(アメリカの世論調査のこと)では,幽霊を信じる人の割合は11%弱,それが2005年には32%になり,2007年のハリス社の調査では41%に上昇した。ここ30年間は,どの調査でも回答者のだいたい30%の人は幽霊を信じる,15%の人は実際に見たことがあると答えているという。ちなみに,アメリカ人の72%が天国を,58%が地獄を,42%は悪魔を信じ,47%は進化論を信じず,45%はエイリアンが地球に飛来していると信じているそうだ。

 こうした数字を挙げて,アメリカ人って愚かだな,と罵る人間がいるが,日本人も,1958年には「あの世を信じる人」が20%だったのが,2008年には38%にほぼ倍増した。その間,「あの世を信じない」と答えた人も59%→33%に減少したから,現在7割弱の日本人があの世の存在を信じているか,あるいは,あるかもしれないと疑っている。アメリカ人をバカにはできない。

 時代が進み,科学が発展するにつれて,幽霊やあの世を信じる人が増えるのは面白い現象だ。

 なおロイター通信の調査によれば,45%のインド人,42%の中国人は「宇宙人は存在するだけでなく,人間に紛れてすでに地球で生活している」と信じているそうだ。


「観測できないものは,実在するとは認められない」

 宇沢は箸を止めて即答した。タレに染まったごはんつぶが飛ぶ。

「僕が目撃してるけど」

「目撃証言など,当てにならないじゃん。人間の目も脳も驚くほど性能が低いんだから,そんなものは信頼できない」

 脳の性能が低い?

 さらっととんでもないことを言っている。

 今日も学食に人はいない。というか,僕と宇沢は人がいない時間を狙って来ている。

「じゃあ,僕が見たのは何?」

「人でしょ」

 振り向くと,司馬朱理が立っていた。彼女も同じだ。人がいない時間を狙っている。トレーには大盛りカレーライスとコロッケ2つ,それに牛乳。ここいい? と聞くこともなく,僕の隣に座る。以前,なぜ宇沢の隣に座らないのかと聞いたら,ムニくんとフギくん,どっちの顔を見たいかによると思わない? と言われた。どちらの隣にいたいかではなかったらしい。確かに,僕の隣に座れば,視界に入るのは主に宇沢の顔だ。

「姿が消えたのに?」

「橋の反対側に渡っただけじゃない?」

 そう言いながらコロッケをスプーンで削りとり,カレーと一緒にほおばる。身もふたもない。

「ムニが見ていないうちに,フェンスをよじ登ったとか?」

 宇沢が怖いことを言い出す。それならまだ幽霊のほうがマシだ。

「どっちにしろ,幽霊ではないってことね」

 司馬の答えもなんか怖い。


「仮に女性が橋の途中で姿を消したとして,幽霊の可能性がいちばん低いだろ」

 宇沢は19世紀の哲学者パースの言葉を引用した。


事実はその事実以上におかしな仮説では説明できない。さまざまな仮説がある場合には,最もおかしくないものを採るべきである。

(T.A.シービオクほか著『シャーロック・ホームズの記号論』 (同時代ライブラリー)


「オッカムの剃刀だ」

 その言葉なら僕も知っていた。別名,思考節約の原理。十分な論拠なしにはいかなる命題も主張してはならないというやつだ。いたずらに仮説を増やしてはいけないとか,より単純な説明が真実であるといった意味で使われている。

「仮に『見たことない飛行物体』が空に浮かんでいたとする。ムニなら,何だと推理する?」

「『見たことない飛行物体』じゃあ推理できないだろ。見たことないんだから。上空何m?」

「ムニくん,意外に頭悪いよね。そこは,UFOって即答する流れでしょ。というか,飛行高度から聞く?」

 司馬はいつでも失礼だ。口の両端が黄色く染まっていることは,絶対に教えない。

 宇沢がつづけた。

「①地球外生命体の宇宙船,②アメリカが極秘で開発した飛行機,③フライング・ヒューマノイド,④タイムトラベラーが乗る未来の飛行船,⑤一反木綿的な妖怪,⑥ドラゴン,⑦天使,⑧スーパーマン,⑨何かの見まちがえ──サーチライト,軍事演習で使われた照明弾,結婚式の演出で多数飛ばされた風船,打ち上げロケット,人工衛星,強風で飛ばされたビニールハウスのビニールとか。どれがいちばん可能性が高いと思う?」

「⑨一択。日本上空で②はないし。それ以外は悪ふざけだろ」

「いや,②も悪ふざけだ。⑨だけがありえるけど,あとはありえない。存在するかどうか定かでないUFOの可能性なんて,最初から持ち出しちゃダメでしょ」

 確かに,夜空に浮かぶ飛行物体の正体がUFOである可能性なんて,ドラゴンや天使の可能性と変わらない。それなのに,人はなぜかUFO,UFOと騒ぐ。インド人や中国人の4割以上(なんと11.8億人)は,UFOの存在どころか,宇宙人がすでに地球人に紛れて生活していると信じているのだ。確たる証拠もないのに。

 宇沢がつづける。

「橋の女性も同じだ。彼女はなぜ姿を消したのか。①幽霊だった,②飛び降りた,③見まちがい,④記憶ちがい,⑤つくり話,⑥橋をムニと反対側に渡っただけ。どの可能性が高い?」

「⑤に悪意を感じる……」

「可能性は⑤がいちばん高いじゃん」

「……」

「ぐうの音も出ないな。ま,幽霊もUFOも同じ悪ふざけレベルでしょ。女性の姿が気づいたら見えなくなかったからといって,なんでムニが幽霊の可能性を持ち出したのか理解不能だ」

「ほんとだもん! 本当に幽霊いたんだもん! ウソじゃないもん!」

「うん。お父さんもサツキも,ムニがウソつきだなんて思っていないよ……というか,全然メイちゃんに似てないし。それじゃあ,やしろ優の芦田愛菜ちゃんじゃん」

 僕のトトロネタに即座に合わせてくれた。さすが宇沢だ。でも司馬に反応はない。真顔で牛乳を吸っている。まさか,トトロを見たことないのか……。あれだけ再放送に再放送を重ねているというのに。

 そのうち「私,トトロ1回も見たことがない」と自慢される日が来るかもしれない。

「とにかく,見たことない飛行物体でも,いきなり姿を消す人影でも,まずは何かの見まちがえや勘ちがいの可能性を考えるのが正しい発想だ。幽霊の可能性を持ち出したいなら……」

 宇沢はどこまでも真顔だ。

「まずは幽霊の実在を証明しなければならない」

  

 たまに宇沢がバカに見えるのは,こういうときだ。


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