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✩ 星編みの魔法使い ✩  作者: 七瀬朔
第一章

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第9話 新しい波形

朝食を終えると、シンシアは器具箱を抱えて立ち上がった。


「有紗。測定」


「あ、そうだった」


 有紗も席を立つ。


「もう一か月経ったんだね」


「正確には二十九日と二十一時間」


「ほとんど一か月でしょう」


 紫音が言う。


「違う時間は、違う」


「毎月測る必要があるのか?」


 シャロウが尋ねる。


「有紗の治癒魔法は、一般的な術式とは性質が異なります」


 紫音が答えた。


「体調や感情による変化を見落とさないため、定期的な記録が必要なのです」


「主に測定しているのは私」


 シンシアが付け加える。


「紫音は記録と口出し」


「管理と検証です」


「同じ」


「違います」


 シンシアは器具箱を持ち上げ、シャロウを見る。


「シャロウも来て」


「なんで俺が」


「有紗の直近の変化に関係している可能性がある」


「俺は何もしてねえぞ」


「何もしていないかどうかを確認するためにも、観察対象は近くにいた方がいい」


「俺まで測る気じゃねえだろうな」


「今のところ、その予定はない」


「今のところ?」


「測定の邪魔はしないでください」


 紫音が先に立ち、測定室の扉を開けた。


 シャロウは露骨に嫌そうな顔をしたが、有紗が当然のように振り返って待っているのを見て、諦めたように席を立った。


 シンシアが測定室へ向かおうとすると、リネットが呼び止めた。


「シンシア様」


「何?」


「焼き菓子は、測定が終わってからお出しいたしますね」


 シンシアの視線が、厨房の方へ動く。


「先に一つ食べても、測定値には影響しない」


「朝食を召し上がったばかりでございます」


「糖分は脳の活動に必要」


「測定後でございます」


「……分かった」


 シンシアは器具箱を抱え直し、素直に測定室へ向かった。


 シャロウはその背中を見送る。


「随分素直に従うんだな」


「リネットの焼き菓子は、とってもおいしいんだよ」


 有紗が当然のように答えた。


     ◇


 測定室の中央には椅子が一脚置かれ、その周囲を囲むように透明な結晶が並んでいた。


 有紗が椅子へ座ると、シンシアは透明石のついた細い腕輪を右手首へ巻く。


「普段どおりに呼吸して」


「うん」


 紫音が記録器を動かす。


 腕輪に白金色の光が灯り、周囲の結晶へ細い光が流れた。壁際の記録紙に、複数の波線が刻まれていく。


「平常時は前回とほぼ同じ。出力は少し上昇」


「じゃあ、元気ってこと?」


「それは別」


「そうなの?」


「そう」


 シンシアは記録を確認し、次の欄を開いた。


「最近、自分で決めたことを一つ思い出して」


「自分で決めたこと?」


「誰かに言われたからではなく、自分がそうしたいと思って選んだこと」


 有紗は少し考え、目を閉じた。


 最初に浮かんだのは、薄暗い路地だった。


 傷だらけのまま、壁へ寄りかかっていたシャロウ。


 近づくなと拒まれても、足を止められなかった。


「……思い出した」


「何を?」


「シャロウを見つけた時のこと。怪我してて、今にも倒れそうだった」


「……そんなに重要じゃねえだろ」


 シャロウは少し早口で遮り、顔を背けた。


「でも、すごく心配だった」


 有紗は目を閉じたまま、少し笑った。


「ちゃんと治せた時、すごく安心したの」


 結晶を満たす白金色の光が、呼吸に合わせて大きく脈打った。


「その前は?」


 シンシアが記録器を見つめたまま尋ねる。


「初めてシャロウを見た時?」


「うん。そこから順番に思い出して」


「知らない人だったから、少し怖かった。でも、怪我してたから声をかけたの」


「拒否された?」


「近づくなって言われたよ」


 その瞬間、記録器の針が僅かに揺れた。


「それでも、近づいた?」


「うん。放っておけなかったから」


 白金色の波の下に、これまでとは異なる細い波形が重なった。


挿絵(By みてみん)


 シンシアの目が、記録紙へ留まる。


「続けて」


「治したあと、シャロウは帰ろうとしたの。でも、まだ心配だったから追いかけたよ」


 細い波が、少しずつ大きくなる。


「放っておけって言われたけど、私が気になってたから」


 シャロウの肩が僅かに強張った。


 有紗は気づかず、記憶をたどっていく。


「それで、研究棟まで一緒に来てくれて……嬉しかった」


 波形が、もう一度大きく揺れた。


 シンシアは記録器を止めた。


「前回までにはない波」


「治癒魔法の出力変化ですか?」


 紫音が記録紙を覗き込む。


「違う」


 シンシアは波形を指でたどった。


「変化したのは、治した時じゃない。近づくと決めたところから」


「自己判断に伴う情動変化の可能性がありますね」


「可能性。断定はできない」


 シンシアは有紗とシャロウを交互に見る。


「条件が多い。身元不明。危険性あり。拒絶あり。これまで接したことのない種類の相手。年齢の近い異性」


「悪口かよ」


「分類」


「ほとんど悪口だろ」


「事実」


「異性だと、魔力が変わるの?」


 有紗が首を傾げる。


「人による。有紗では、これまで記録がない」


「王宮内で接してきた人々とは、状況が大きく異なりますからね」


 紫音は淡々と答え、記録紙へ筆を走らせた。


「新規波形。自己判断を伴う対人記憶において確認。原因未確定。次回、比較測定を実施」


「それが正確」


 シンシアが短く頷く。


「危ないものなの?」


 有紗が尋ねた。


「分からない」


「分からないものを、危険だとは決められません」


 今度は紫音が答えた。


「現時点では、体調にも魔力出力にも異常はありません。普段どおりで構いません」


「そっか」


 有紗は安心したように笑った。


 シャロウは、記録紙に残った大きな波を一瞥した。


『ずっと、あなたのことが気になっちゃうもん……』


 あの時の声が、不意に蘇る。


 自分が測られれば、あの一言だけで針が大きく跳ねる。そんなものを人前で記録されてたまるか。


 シャロウは記録器から目を逸らした。


「……俺は測るなよ」


「研究対象外。無意味な測定は、時間と研究費の無駄」


「そこまで言うかよ」


「事実」

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