第6話 番犬の条件
研究棟へ戻ると、食堂には牛肉と根菜の煮込みが用意されていた。
深い皿から立ち上る湯気に、シャロウの視線が吸い寄せられる。
「お帰りなさいませ。外壁の様子はいかがでしたか?」
リネットが尋ねた。
「旧排水路が開いていました」
紫音が外套を脱ぎながら答える。
「すぐに封鎖できる状態ではありません。内部の調査も必要です」
「さようでございますか」
リネットは僅かに心配そうな顔をしたが、すぐにシャロウの前へ煮込み料理を置いた。
「シャロウ様も、お疲れさまでした」
「ああ」
シャロウは席に着くなり、匙を手にした。
柔らかく煮込まれた肉を一口食べ、間を置かずに次をすくう。
その横へ、リネットが皮を香ばしく焼いた、厚切りのカンパーニュを置いた。
シャロウは当然のように一枚取り、煮込みの汁へ浸す。硬めの皮が汁を含んで柔らかくなり、湯気と一緒に麦の香りが立った。
「食事中ですが、今後について確認します」
紫音は食卓の端へ旧排水路の図面を広げた。
「飯くらい静かに食わせろ」
「その前に、狩猟組合の登録札を確認させてください」
「今さらかよ」
「昨夜は治療を優先しました。今朝は現場の確認を優先しただけです」
「後回しにしてただけじゃねえか」
「そうとも言います」
シャロウは面倒そうに外套の内側へ手を入れ、黒ずんだ金属札を卓上へ放った。
紫音はそれを手に取り、刻まれた名と登録印を確認する。
「現役の組合員であることは確認できました」
「偽物だと思ってたのか」
「素性の分からない人間を、無条件で信用するほど不用心ではありません」
「そのわりに、現場まで連れていっただろ」
「有紗を連れていくと言い出したのは、あなたです」
「許したのはお前だろ」
「その件については、今後の検討事項です」
紫音は登録札をシャロウの前へ戻した。
「では、封鎖が終わるまでは、あなたにも協力していただきます」
「なんで俺が」
「正確に魔獣の痕跡を追えるのは、あなたです」
「見つけたのは俺だ。そこまでで十分だろ」
「それでは、食事と部屋の提供も本日までということになります」
シャロウの匙が止まった。
有紗が不安そうに紫音を見る。
「今日で出ていかなきゃ駄目なの?」
「本人が協力しないのであれば、滞在させる理由がありません」
「紫音くん……」
「脅してんのか」
シャロウが低く尋ねる。
「条件を提示しているだけです」
紫音は気にした様子もなく、指を一本立てた。
「旧排水路の調査と封鎖に協力すること」
「……」
「魔獣の気配を感知した場合は、必ず報告すること」
「内容による」
「必ずです」
「面倒だな」
「許可なく研究区画へ立ち入らないこと」
「興味ねえよ」
紫音は指をもう一本立てた。
「滞在している間、有紗が今回の調査に関係する場所へ出る場合は、あなたにも同行していただきます」
「待て」
シャロウが眉を寄せる。
「俺をこいつの番犬にする気か?」
「今朝、自分が見ていると仰ったのはあなたでしょう」
「あれは、あの場だけの話だ」
「有紗は危険を見つけると、自分から近づいていきます」
「近づかないよ」
有紗が小さく抗議した。
紫音とシャロウが同時に彼女を見る。
「……怪我をしている人がいたら、声はかけるけど」
「同じことです」
「同じだろ」
二人の声が重なった。
有紗は困ったように眉を下げる。
「ほら」
シャロウが紫音へ顎を向けた。
「お前が見てろ」
「私が常に同行できるとは限りません」
「だからって、なんで俺なんだよ」
「魔獣の気配を感知でき、戦闘能力があり、有紗の制止に成功した実績があります」
「一回だけだろ」
「十分です」
「どこがだ」
「比喩としての番犬です。気にしないでください」
「気にするだろ」
有紗が二人を見比べる。
「シャロウは、嫌?」
問われて、シャロウは口を閉じた。
有紗は引き留めるでもなく、ただ返事を待っている。
シャロウは小さく舌打ちすると、煮込みへ視線を戻した。
「……封鎖が終わるまでだ」
「構いません」
「毎回ついていくとは言ってねえぞ」
「必要な場合だけです」
「こいつが勝手なことをしても、俺の責任にすんなよ」
「善処してください」
「責任にする気じゃねえか」
紫音は図面を畳んだ。
「対価として、現在使用している客室と、一日三回の食事を提供します」
シャロウの視線が、煮込み料理へ一度だけ落ちる。
「何日だ」
「調査結果によりますが、数日から一週間ほどでしょう」
「仕事が終わるまでだ」
「はい」
「終わったら出ていく」
「分かった」
有紗があまりにも素直に頷いたため、シャロウは僅かに眉を寄せた。
「何で嬉しそうなんだよ」
「だって、明日も一緒に朝ごはんを食べられるでしょう?」
「それだけか」
「それだけじゃ駄目?」
有紗が首を傾げる。
シャロウは答えず、残っていた煮込みを口へ運んだ。




