第39話 研究棟の剣士【中編】
紫音は記録紙をまとめ、席を立った。
「シャロウ。研究室へ来てください」
「あ?」
「王宮提出用の書類を作るには、あなた本人から確認する必要があります」
「ここでいいだろ」
「食堂でする話ではありません」
「……はいはい」
シャロウが椅子を引いて立ち上がると、有紗も思わず腰を浮かせた。
「私も」
「あなたはまだ食事中でしょう」
紫音に即座に止められる。
「でも」
「提出前に確認させると言いました。今は事実確認です」
有紗は唇を結んだ。
シャロウは紫音の後について、食堂を出ていった。
◇
研究室へ入ると、紫音は後ろ手に扉を閉めた。
机の上には、昨夜から広げられたままの記録紙と測定石が並んでいる。回収された黒い首輪は封印箱へ収められ、薄い結界の中で沈黙していた。
「それで?」
シャロウは壁へ背を預けた。
「先ほどの件について、確認します」
紫音は机の前へ立ち、記録紙を一枚引き寄せた。
「管理局が問題にしたのは、黒い首輪だけではありません」
「俺だろ」
「正確には、王宮の登録上、説明のできない人物が有紗の近くにいることです」
「説明する必要あんのかよ」
「私たちにとってはなくても、向こうにはあります」
「面倒だな」
「面倒です」
紫音は素直に認めた。
「ですが、曖昧にしておけば、向こうが都合のよい名前をつけます」
危険人物。
異物。
不確定因子。
管理対象。
今朝、文官が自分へ向けた目を思い出す。
帳簿にない品を見るような目だった。
「ですから、次に詰められた時のために、先に穴を塞ぎます」
紫音は筆を取った。
「年齢」
「二十一」
「出生地」
「不詳」
「現在の居所」
「ここだろ」
「研究棟、と記載します」
紫音は手元の記録へ目を落とした。
「狩猟組合への登録は確認済み。登録番号もこちらで控えています」
「なら聞くな」
「聞いていません」
筆先が紙の上を滑る。
「王宮からの連絡先として指定できる方は」
「いねぇ。書くな」
「承知しました」
紫音は短く記し、次の欄へ移った。
「王宮提出用には、研究棟の臨時協力者と記載します。魔獣対応、外部護衛、不審術式の調査補助。いずれも事実です」
「それで済むと思うか」
「済まないでしょう」
「だろうな」
「ですが、何もないよりはましです」
シャロウは黙った。
紫音の言葉は正しい。
正しいから、余計に腹が立つ。
紙の上には、自分を説明するための言葉が並んでいく。
シャロウ。
家名なし。
出生地不詳。
王宮登録なし。
紫音研究棟、臨時協力者。
最悪の並びだった。
「……有紗が言ってたな」
シャロウはぽつりと言った。
「何をですか」
「変なものじゃありません、って」
紫音はしばらく黙った。
「はい」
「変なものではあるだろ」
「ええ」
「否定しろよ」
「変ではあります」
「お前ら本当に」
「ですが、ものではありません」
紫音は顔を上げた。
その声は、いつも通り冷静だった。
「そこは、有紗が正しい」
シャロウは何も言わなかった。
窓の外では、朝の光が少しずつ強くなっている。
食堂の方から、リネットが食器を置く音が微かに聞こえた。
「なあ」
シャロウは低く言った。
「俺がここを出れば、その書類はいらねぇだろ」
紫音の筆が止まった。
「あなたがいなくなっても、黒い首輪の問題は消えません」
「それでも、俺を理由にはできなくなる」
「そのために出ていくのですか」
「十分だろ」
「有紗はそれを望みません」
「有紗を理由にするなよ」
紫音は口を閉じた。
「俺がここにいる理由を、お前が作る必要はない」
机の上には、書きかけの記録紙がある。
紫音研究棟臨時協力者。
その文字は、四角い欄の中にきっちりと収まっていた。
「……もういい」
シャロウは研究室を出た。
食堂の扉を開けると、有紗が顔を上げた。
「シャロウ」
「何だよ」
「紫音くんと、話、終わった?」
「ああ」
有紗は何かを聞きたそうな顔をしたが、すぐには聞かなかった。
「……提出前に、ちゃんと見るから」
「好きにしろ」
「シャロウも見てね」
「気が向いたらな」
「見て」
「はいはい」
いつも通りの返事に、有紗は少しだけ笑った。
シャロウは思わず視線を逸らした。




