第37話 白の器計画
翌朝。
食堂には、いつもの朝食が並んでいた。
けれど、有紗だけは少し落ち着かなかった。
パンをちぎりながら、向かいで香草茶を飲む紫音の様子を何度も窺う。
その隣ではリュシアンがゆっくりとスープを口へ運び、シャロウはすでに半分ほど食べ終えていた。
昨日、広場で買った果実飴は、まだ有紗の部屋に置いてある。
紫音とリネットへのお土産だ。
賄賂ではない。
「有紗」
「なあに?」
紫音が茶器を置いた。
「朝食後、研究室へ来てください」
有紗の手が止まる。
「検査?」
「いいえ」
紫音は首を横に振った。
「森から回収した黒い首輪についてです。昨夜までに、いくつか解析結果が出ました」
「あ……」
有紗は小さく声を漏らした。
「シャロウも来てください。実際に魔獣と接触した時の様子について、確認したいことがあります」
「分かった」
「リュシアンもお願いします」
「はい」
◇
朝食を終えると、四人は研究室へ移った。
長机の上には、洗浄された黒い首輪が並べられていた。
森で見た時とは違い、太さや留め具の位置にも僅かな違いがある。
リュシアンが椅子へ腰を下ろし、シャロウは長机の端に立つ。
紫音は記録紙を手に取った。
「それで、何が分かったんだ」
シャロウが尋ねる。
「まず、確認できたことからお話しします」
紫音は記録紙を一枚めくった。
「リュシアンの見立てどおり、これは黒焔ではありません」
「……じゃあ、何なの?」
「制御術式です。表面だけ、黒焔に似せてあります」
有紗はリュシアンを見た。
「森で言ってたの、合ってたんだね」
「……そのようです」
「どうして分かったの?」
「分かったわけではありません。ただ、黒焔に似た色と気配を持っているのに、私の身体は何も受け取りませんでした」
「受け取る?」
「本物の黒焔であれば、身体の奥が先に反応します。痛みが完全に消えるわけではありません。それでも、知っているものだと分かるのです」
「首輪には、それがなかった?」
「はい」
「そっか」
紫音が続ける。
「内部の術式は、対象へ命令を送り、従わせるためのものです」
「従わなかったら?」
「痛みが返ります。命令に逆らうほど、強い負荷がかかるようです」
有紗の表情が曇った。
「あの子たち……暴れたかったわけじゃなかったの?」
「それは分かりません」
紫音は静かに答えた。
「ただ、この術式が使われていたのであれば、命令に逆らうたびに痛みを受けていたはずです」
「レア様の力を騙り、恐怖で生き物を従わせるなど……許されることではありません」
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがて紫音が記録紙を机へ置く。
「一度、休憩にしましょう」
「そうだ」
有紗が顔を上げた。
「果実飴、持ってくる」
「果実飴?」
「昨日買ったの。紫音くんとリネットに、お土産」
「賄賂だろ」
シャロウが言った。
「違うよ! お土産なの!」
有紗はそう言い残し、果実飴を取りに研究室を出ていった。
◇
中庭では、リネットが茶を用意してくれた。
有紗は部屋から持ってきた果実飴を皆に配り、自分も一つ口に入れた。
「そういえば、リネット」
「はい」
「昨日、輪投げをしたの」
「輪投げでございますか?」
「うん。一回も入らなかったけど」
「それで帰りが遅くなったんですね」
紫音が静かに言った。
「……」
「魔法では入れただろ」
「それは数えないの」
リネットが僅かに首を傾げる。
「魔法で?」
「ちょっとだけ使ったの」
「全部の輪を瓶に入れたのを、ちょっととは言わねぇよ」
向かいで、リュシアンが小さく笑った。
有紗がそちらを見る。
「リュシアンさんも、輪投げしたことある?」
「ありません」
「じゃあ、今度一緒にやろう」
「私もですか?」
「うん。難しいよ」
しばらくして、紫音が茶器を置いた。
「そろそろ戻りましょうか」
「もう?」
「続きがありますから」
◇
研究室へ戻ると、長机には先ほどと変わらず黒い首輪が並んでいた。
「先ほど、表面だけ黒焔に似せてあると話しましたね」
紫音が首輪の一つを示す。
「うん」
「制御術式を使うだけなら、その必要はありません。術式を隠すことだけが目的なら、他にも方法はあります」
「黒焔に見せたかった?」
「その可能性はあります」
「誰に?」
「それも分かりません」
リュシアンが並んだ首輪へ目を向ける。
「形が少しずつ違うのも、何か意味があるのでしょうか」
「その点も調べています」
紫音は太さの異なる二つを示した。
「使われている術式の基本構造は同じです。ただ、細部には違いがあります。留め具の形状や魔力を通す経路、制御の強さも完全には一致していません」
「同じ物じゃないの?」
「同じ目的で作られた、別の物と考えた方が近いでしょう」
有紗は二つの首輪を見比べた。
「同じ魔獣につけるなら、全部同じでいいんじゃねぇのか」
シャロウが口を開く。
「通常なら、その方が効率的でしょう」
「なら、わざと変えてるってことか?」
「まだ断定はできません」
紫音は一度言葉を切った。
「ですが、複数の型を試していた可能性はあります」
「試してた?」
「どの形が適しているのか。どの程度の制御が必要なのか。そうした条件を試していたと考えれば、違いがあることにも説明はつきます」
有紗は黙って、二つの首輪を見比べた。
「もう一つ、気になることがあります」
紫音の声に、有紗は顔を上げた。
「首輪に使われている術式そのものではありません。その組み上げ方の一部に、以前見たものと似た考え方があります」
「以前?」
「王宮の古い研究です」
「何の研究?」
紫音はすぐには答えなかった。
その僅かな間に、シャロウが目を細める。
「言えねぇのか」
「いいえ」
紫音は静かに答えた。
「確認できていない部分が多いため、今の段階で詳しく話すべきではないと考えています」
「名前くらいはあるんだろ」
紫音の視線が、長机へ落ちた。
少しの沈黙のあと、口を開く。
「白の器計画」
有紗は首を傾げた。
「白の器?」
「王宮で、かつて行われていた研究です」
「何の?」
「それを含めて、これから確認します」
有紗は紫音の顔を見た。
「紫音くんは、知ってるの?」
紫音は少し間を置いた。
「……知っていることはあります」
「じゃあ、教えて」
「今は、まだ話せません」
「どうして?」
「首輪との関係が、まだはっきりしていないからです」
「関係があったら?」
「その時は、お話しします」
有紗は少し考えてから、頷いた。
「……分かった」
「王宮へ照会を出します」
紫音は記録紙を揃えた。
「同じ系統の研究なのか、それとも一部に似た考え方が使われているだけなのか。まずはそこからです」
有紗は小さく頷いた。
白の器計画。
聞いたことのない名前だった。
「……器って、何を入れるのかな」
紫音の手が止まった。
けれど、答えは返ってこなかった。




