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✩ 星編みの魔法使い ✩  作者: 七瀬朔
第一章

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第36話 二つの硝子玉

 結局、輪は最後まで入らなかった。


「……入らなかった」

「だな」

「でも、さっきより惜しかったよね?」

「まあな」

「もう少しだったのに……」


 有紗は悔しそうに、地面へ落ちた輪を見つめていた。


 屋台の男が笑いながら、台の下から小さな包みを取り出す。


「嬢ちゃん、惜しかったな。ほら、これは参加賞だ」

「参加賞?」

「最後の方はなかなか良かったからな」


 包みの中には、小さな硝子玉の飾りが入っていた。


 透明な硝子の中に、白い星のような粒がひとつ浮かんでいる。

 光にかざすと、淡くきらりと瞬いた。


「……綺麗」


 有紗は両手でそれを受け取った。


「でも、私、入らなかったよ?」

「だから参加賞だ」


 有紗は困ったようにシャロウを見る。


「もらっていいのかな」

「反則して取った景品じゃねぇんだろ」

「うん」

「じゃあ、もらっとけ」


 有紗は硝子玉をもう一度見つめた。


 魔法では入った。

 手で投げた輪は、最後まで入らなかった。


 けれど、あと少しだった。

 その、あと少しが、なぜか胸の奥に残っている。


「……大事にする」

「ただの参加賞だろ」

「でも、今日の記念だよ」

「何の記念だよ」

「魔法なしで、惜しかった記念」

「締まらねぇ記念だな」


 シャロウが呆れたように言った時、屋台の男がもう一つ、別の包みを差し出した。


「兄ちゃんにも、ほら」

「俺はやってねぇだろ」

「売上貢献賞だ」

「何だそれは」


 有紗がぱっと顔を上げた。


「シャロウも記念品?」

「違う」

「売上貢献賞だって」

「復唱すんな」


 屋台の男は笑いながら、シャロウの手へ小さな包みを押しつけた。


 中に入っていたのは、有紗のものより少しだけ色の濃い硝子玉だった。

 黒みを帯びた透明な硝子の中へ、銀色の粒がひとつ沈んでいる。


「……なんで俺のは黒いんだよ」

「兄ちゃん、黒っぽいからな」

「適当すぎるだろ」

「似合ってるよ、シャロウ」

「お前は黙ってろ」


 有紗は自分の白い硝子玉と、シャロウの黒い硝子玉を見比べた。


「おそろいみたいだね」


挿絵(By みてみん)


 シャロウの手が止まった。


「……違うだろ」

「でも、同じ屋台でもらったでしょう?」

「だからって」

「今日の記念だね」


 有紗は嬉しそうに笑った。


 シャロウは硝子玉を返そうとしたが、屋台の男はすでに次の客へ声をかけている。


「……ただのおまけだ」

「うん」

「おそろいでもねぇからな」

「うん」

「分かってねぇだろ」


 有紗は白い硝子玉を胸元に抱えたまま、少しだけ笑った。


     ◇


「有紗」

「なあに?」

「俺を見失うなよ」


 いつもの「離れるな」ではなかった。


「見失う?」

「今日は糸なしだろ。俺を見て歩け」


 有紗は、はっと胸元に手を当てた。


「魔法も使うな。研究棟も探すな」

「……うん」


 そう答えたものの、有紗の指先が、ほんの少しだけ動いた。

 白金色の星を置く時の、癖のような動き。


 シャロウはまだ背を向けたまま、低く言った。


「置くなよ」


 有紗の手が止まる。


「……何を?」

「星だか糸だか知らねぇけど、今、俺に何か繋ごうとしただろ」


 有紗は目を丸くした。


「見えてないのに?」

「見えてねぇよ」

「じゃあ、どうして分かったの?」

「分かるんだよ。お前、そういう時だけ変に静かになる」

「……そうかな」

「そうだ」


 シャロウは振り返り、有紗の手元を見た。


「俺を目印にするのはいい。勝手に繋ぐな」

「でも、見失ったら」

「見失うな」

「……意地悪」

「今日は目で追え」


 有紗は少し不安そうに、シャロウの顔を見上げた。


「魔法なしで?」

「魔法なしで」

「糸もなしで?」

「糸もなしで」

「シャロウだけ?」

「不満か」

「……不安」

「正直だな」


 シャロウは小さく息を吐き、広場の奥へ向き直った。


「なら、ちゃんと見てろ。黒い髪で、でかくて、態度が悪い奴だ」

「自分で言うの?」

「見失いにくいだろ」


 有紗は少しだけ笑った。


「うん。見失わないと思う」

「思うじゃなくて、見失うな」

「分かった」


 有紗は指先を下ろした。


 星は置かない。

 糸も繋がない。


 ただ、前を歩くシャロウの背中を見る。


 黒い髪。

 広い肩。

 人混みの中でも、少しだけ歩幅を緩めてくれる足取り。


 今日は、帰る場所ではなく、その背中を目印に歩く。


 それからの時間は、有紗が思っていたよりも早く過ぎていった。


 果実飴を買い、布飾りを眺め、子どもたちの遊びに足を止める。


 気を取られて、ほんの一瞬シャロウから目を離した。


 視線を戻した時、黒い背中が見えない。


「……あ」


 胸の奥が、すっと冷えた。


「何してんだ。こっちだ」


 少し離れたところで、シャロウが足を止めていた。


 有紗は小走りで追いつく。


「シャロウ」

「あ?」

「見えなくなると、ちょっと怖い」


 シャロウは何か言いかけて、やめた。


「だったら、ちゃんと見てろ」

「うん」


 また歩き出した足取りは、さっきより少しだけ遅かった。


 気づけば、広場に落ちる光が傾いていた。


 屋台の影が長く伸びている。

 店先の布飾りが、夕方の風に揺れている。

 昼間は賑やかだった声も、少しずつ片づけの音へ変わっていた。


 有紗はふと足を止めた。


「……シャロウ」

「何だよ」

「今、何時くらい?」


 シャロウは空を見上げた。


「夕方だな」

「夕方」


 有紗の顔から、すっと血の気が引いた。


「午後の検査……」

「とっくに過ぎてるな」

「リネットのお昼ごはんも……」

「とっくにだ」

「紫音くん……」

「怒ってるだろうな」


 有紗は果実飴の包みを、ぎゅっと抱え直した。


「……帰らなきゃ」

「やっとか」

「どうしよう。すごく怒ってるかも」

「だから賄賂買ったんだろ」

「違うよ!」


 有紗は反射的に否定した。

 けれど手元の果実飴を見ると、少しだけ声が小さくなる。


「……お土産だよ」

「はいはい」


 シャロウは小さく笑って、広場の出口へ向かった。


「行くぞ。今度こそ見失うなよ」

「うん」


 有紗は頷き、シャロウの背中を追った。


 研究棟の場所は、まだ分からない。

 けれど、帰り道はシャロウが持っている。


 二つの硝子玉は、歩くたび、それぞれのポケットの中で小さく音を鳴らしていた。


     ◇


 研究棟へ戻る頃には、空はすっかり夕暮れの色に変わっていた。


 玄関を開けると、奥から食器の触れ合う音が聞こえた。


「おかえりなさいませ」


 リネットは二人を見て、それから窓の外へ目を向けた。


「少し遅かったですね」

「……ごめんなさい」

「夕食が冷める前で何よりです」


 それ以上は何も言われなかった。


 有紗は外套を脱ぎながら、ポケットへ手を入れた。


 指先に触れた白い硝子玉は、まだ昼の光を閉じ込めているように、淡く輝いていた。


「シャロウ」

「なんだ」

「ちゃんと帰れたね」


 シャロウは一瞬だけ黙り、有紗の手の中を見た。


「……そうだな」


夏が終わる前に、かき氷有紗

※本編とは関係ありません


挿絵(By みてみん)

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