第28話 獣を追う女
二体の魔獣は、土壁と水を前に立ち尽くしていた。
唸り声を上げるでもない。
逃げ道を探すように首を動かしているが、どこか様子がおかしい。
有紗が胸元へ手を当てた。
「……変」
「何がだ」
「何か、繋がってる感じがする」
「二体がか?」
「分からない」
有紗は目を閉じた。
「私の糸とは違うの。どこに繋がってるのかも、よく分からない」
「なら、無理に探るな」
「……うん」
その時、灰色の魔獣が苦しそうに頭を振った。
首を木の幹へ擦りつけ、低く鳴く。
厚い毛の下から、黒いものが覗いた。
「首に何かある」
有紗が一歩近づく。
「待て」
シャロウが腕を伸ばした。
魔獣の首には、黒い革と金属を組み合わせた輪が食い込んでいた。
表面には、紫がかった黒い光が脈打っている。
輪の縁で皮膚が裂け、血が毛を濡らしていた。
「痛そう……」
有紗の手に淡い光が集まる。
「治せるか?」
「傷だけなら」
白金色の光が、魔獣の首へ伸びる。
傷へ触れる直前、黒い首輪が強く明滅した。
弾ける音とともに、治癒の光が掻き消される。
「弾かれた……?」
次の瞬間、魔獣が絶叫した。
黄色い目が一瞬で黒く染まり、土壁へ身体を叩きつける。
壁が崩れた。
「下がれ!」
シャロウが有紗を後ろへ押しやり、剣を構える。
魔獣が飛びかかった。
剣の腹で牙を受け流した、その瞬間。
銀色の光が木々の間を走った。
湾曲した短剣が魔獣の首元を掠め、黒い首輪の留め具だけを正確に断ち切る。
外れた首輪が宙を舞う。
続けて飛んできた二本目の短剣が、それを地面へ縫い留めた。
首輪は黒い煙を上げながら震え、やがて光を失った。
灰色の魔獣が地面へ倒れ込む。
荒い息を繰り返しているものの、目には元の黄色が戻っていた。
「間に合ったわね」
女の声がした。
木の枝から、しなやかな影が降り立つ。
長い黒髪が背中で揺れ、日に焼けた肌へ木漏れ日が落ちた。
黒と深紅を基調にした軽装の腰には、左右一対の湾刀が下がっている。
シャロウが目を細めた。
「……ディアナ」
「あら。久しぶり」
女――ディアナは口元を緩めた。
「相変わらず、危ないところへ首を突っ込んでるのね」
「お前にだけは言われたくねえ」
地面へ縫い留めた首輪を確かめてから、ディアナはシャロウの左腕へ目を向けた。
「今の受け方、まだ左を庇ってるでしょう?」
「庇ってねえ」
「ならいいけど」
言いながらも、その視線はしばらく左腕に残っていた。
有紗は二人を見比べる。
「知り合い?」
「ああ」
「昔からね」
「余計なこと言うなよ」
「まだ何も言ってないでしょう?」
ディアナは小さく笑い、今度は有紗へ目を向けた。
「あなたは?」
「あ、有紗」
「有紗ね。私はディアナ」
「ディアナ……さん」
「ディアナでいいわ」
「うん。ディアナ」
有紗は確かめるように、その名を繰り返した。
シャロウは地面の首輪を指した。
「これ、知ってるのか」
ディアナの表情から笑みが消える。
「同じものかは分からない。でも、南側の森でも似た首輪を見つけたわ」
「他にもいるのか」
「ええ。最近、普段とは違う動きをする魔獣が増えてる。それを追ってたところ」
有紗は地面の首輪を見る。
「これのせい?」
「そこまではまだ分からないわ」
ディアナは短剣を引き抜き、首輪を拾い上げた。
「でも、調べる価値はありそうね」
「誰がやってるかは?」
「分かってたら、とっくに捕まえてる」
「だろうな」
シャロウは短く息を吐いた。
「これは持ち帰る。研究棟で調べてもらう」
「その方がいいわね」
ディアナは首輪をシャロウへ渡すと、森の奥へ目を向けた。
「私はもう少し、この辺りを見ていくわ」
「一人でか」
「いつものことでしょう?」
「無茶すんなよ」
「それ、今の自分に言ったら?」
腰の鞘へ短剣を戻し、有紗へ軽く手を振る。
「じゃあ、またね」
「また会える?」
「ええ。しばらくは、この辺りを調べてるから」
「じゃあ、またね。ディアナ」
「またね、有紗」
ディアナは軽く手を振ると、木々の奥へ駆けていった。
足音はすぐに森のざわめきへ紛れ、見えなくなる。
有紗はしばらく、その背中が消えた場所を見つめていた。
「格好いいね」
「あ?」
「一人で森の奥まで行けて、魔獣を追えて、知らない場所から自分で帰れるんでしょう?」
「ハンターなら普通だ」
「背も高いし」
「関係ねえ」
「もう少し背が高かったら、遠くまで見えるのかな……」
「お前、違う方向へ憧れ始めてるぞ」
有紗は自分の頭の高さと、シャロウの肩の位置を見比べた。
「シャロウは十分高いもんね」
「だから背の話じゃねえ」
「やっぱり、糸を繋がない女は違うな……」
シャロウの足が止まった。
「……待て。今、何て言った?」
「糸を繋がない女?」
「その糸って何だ」
「帰る場所の糸だよ」
「帰る場所?」
「うん。研究棟と繋いであるから、帰る方向が分かるの」
有紗は当然のように森の一方を指した。
「こっち」
シャロウはその先を見る。
確かに、研究棟のある方角だった。
「……お前、道を覚えてるんじゃねえのか」
「繋いであるから、覚えなくても帰れるよ?」
しばらく沈黙が落ちた。
森の奥では、獣を追う女が一人で進んでいる。
その隣では、道を覚えずに帰る少女が首を傾げていた。
シャロウは額を押さえた。
「……帰ったら、詳しく聞く」
「何を?」
「全部だよ」
有紗には理由が分からないまま、二人は研究棟へ向かって歩き出した。




