第27話 見習い魔法使い
逃げた魔獣が踏み折った枝を追い、木々の間を走る。
シャロウは低い枝を潜りながら、後ろへ声を飛ばした。
「さっきの魔法、暴発したのか?」
「ううん」
有紗はローブの裾を押さえ、懸命にシャロウのあとを追っていた。
「逸らせって言われたから、弱くしたんだけど……思ったより抉れちゃった」
「……あれで弱くした?」
「うん。もっと強くしたら、気を逸らすだけじゃ済まないでしょう?」
シャロウの足が僅かに鈍る。
「……お前の弱いは、弱くねえ」
「でも、もっと弱くしたら気づかないかもしれないよ?」
「普通の魔獣は、地面が少し爆ぜりゃ十分気づくんだよ!」
「少しって、どのくらい?」
「……次は俺が決める」
「何を?」
「範囲と威力だ。お前は言われた分だけ出せ」
「分かった」
答えだけは素直だった。
やがて足跡が二つに分かれた。
シャロウは片手を上げて有紗を止めると、湿った土の上へ屈み込んだ。潰れた草と、木の幹に残る新しい擦り傷を見比べる。
「右だな」
「分かるの?」
「走り方が変わってる。さっきので相当怯えたらしい」
「……やっぱり強すぎたのかな」
「今さら不安になるな。次から抑えりゃいい」
シャロウは立ち上がり、再び足跡を追い始めた。
「風以外は何が使える」
「火と水と土と氷と雷と、結界と封印と治癒と――」
「待て、多い」
「聞いたの、シャロウでしょう?」
「全部並べろとは言ってねえ。得意な魔法を聞いてんだよ」
「得意って……どういうこと?」
「どういうって、火が得意だとか、水は苦手だとかあるだろ」
有紗は僅かに眉を寄せた。
何を言っているのか分からない、とでもいうような顔だった。
「魔法に得意も不得意もないよ」
シャロウは眉を寄せた。
普通、魔法使いには扱いやすい系統と不得手な系統がある。すべてを同じように扱える者など、聞いたこともない。
「火でも水でも、出そうと思えば出るでしょう?」
「出ねえよ」
「……出ないの?」
「普通は術式を組んで、詠唱して、それでようやく魔法になるんだよ」
有紗はますます怪訝そうな顔をした。
「詠唱は、魔法を出すためじゃないよ」
「何?」
「唱えている間に落ち着いて、何を、どのくらい、どこに出すか考えるためでしょう?」
シャロウは足を止めかけた。
「よーーーく考えろ? 俺が詠唱しても、魔法は出ねえだろ?」
「……」
有紗は走りながら、シャロウの横顔をじっと見つめた。
「……出ないね」
「だろうが! 唱えりゃ誰でも出せるなら、俺だって魔法使いだ!」
有紗は納得できないように眉を寄せた。
「じゃあ、みんなは詠唱しないと、火を出そうと思っても出ないの?」
「出ねえ」
「水も?」
「出ねえ」
「風も?」
「出ねえよ!」
「……不便だね」
「お前を基準に哀れむな!」
シャロウはひとつ息を吐き、前方の足跡へ目を戻した。
「じゃあ、お前は学校でどうしてたんだよ」
「みんなと同じように唱えてたよ」
「唱えなくても出せるのに?」
「ゆっくり唱えた方が、先生に言われた威力へ合わせやすいでしょう?」
「……お前、魔法を出すためじゃなく、弱くするために詠唱してたのか」
「弱くするだけじゃないよ。形とか、飛ばす場所とかも、落ち着いて考えられるよ」
「普通の奴は、その詠唱が終わって、ようやく魔法が出るんだよ」
「でも、授業ではみんな同じようにできてたよ?」
「同じに見えてただけだ」
同じ詠唱で、同じ標的を狙う。
結果だけなら、有紗もほかの生徒と変わらなかったのだろう。
「さっきの風は、何で唱えなかった」
「急いでたから、そのまま出したの」
「そのままで森が……」
「わざとじゃないよ!」
「分かってる。だから余計怖えんだよ」
「そういやおまえ、杖は?」
「研究棟にあるよ!」
「何で持ってきてねえんだよ」
有紗は少し考えた。
「カッコつけたい時とか、歩き疲れた時には使うけど……」
「……魔法、関係ねえじゃん」
前方から、枝の折れる音が響いた。
シャロウの表情が変わる。
即座に片手を上げ、有紗を止めた。
「いたぞ」
木々の向こうに、先ほどの魔獣が立っていた。
その隣には、太い角を持つ猪型の魔獣がいる。
本来なら争うはずの二体が、互いを警戒する様子もなく、同じ方向へ顔を向けていた。
「……いた」
有紗が小声で言い、右手を上げる。
「風はやめろ」
シャロウが即座に止めた。
「じゃあ、何を使うの?」
「逃げ道を塞ぐ。土だ」
シャロウは魔獣たちの進行方向を指した。
「高さは俺の腰まで。幅は三歩。ぶつけるな、前に出すだけだ」
「分かった」
有紗の指先が僅かに動く。
次の瞬間、二体の前方で土が持ち上がった。
音もなく隆起した土は、滑らかな壁を作る。
高さはシャロウの腰と寸分違わず、幅もきっちり三歩分。
左右の木にも触れず、魔獣の鼻先から僅かに離れた位置へ現れていた。
二体が揃って足を止める。
「……本当に言ったとおりに作りやがった」
「そう言ったでしょう?」
灰色の魔獣が壁を避け、右へ回り込もうとした。
「右を塞げ。水。足元だけ」
「うん」
地面を薄い水が走った。
魔獣の前脚のすぐ前だけが濡れ、足を踏み出しかけた獣が驚いて身を引く。
水は広がらない。
必要な場所だけを正確に塞いでいた。
シャロウは二体との距離を詰めながら、横目で有紗を見る。
力を抑えられないわけではない。
おかしいのは魔力制御ではなく、どこまでやれば十分なのか、その基準なのだ。
「お前、見習いってどこの部分だ」
「え?」
「いや、今はいい」




