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✩ 星編みの魔法使い ✩  作者: 七瀬朔
第一章

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26/40

第26話 初めての現場にて

 翌朝、リュシアンは自分の足で食堂まで下りてきた。


 歩みは遅く、片手は胸元の黒い石を握っている。それでも、昨日のように息を詰まらせて蹲ることはなかった。


「おはようございます」


 有紗が椅子から立ち上がる。


「歩いて大丈夫なの?」

「痛みはありますが……この程度なら」


 リュシアンは微かに笑い、空いている椅子へ腰を下ろした。


 顔色はまだ白く、動くたびに眉が僅かに歪む。


「試作品としては、最低限の役目を果たしています」


 紫音がリュシアンの胸元へ目を向ける。


「ただし、強い発作を完全に防げるわけではありません。今日は経過を確認します。勝手に外さないでください」

「承知しました」

「痛みが増した場合も、我慢せず報告を」

「はい」


 リュシアンが素直に頷いた時、玄関の扉を叩く音が響いた。


 リネットが席を立ち、しばらくして一通の封書を手に戻ってくる。


「狩猟組合からです」


 紫音は封を切り、内容へ目を通した。


「……街の北東にある森で、魔獣の異常行動が確認されたそうです」


 シャロウが顔を上げた。


「異常行動?」


「本来なら縄張りを共有しない複数種が、同じ範囲を行き来しています。今のところ人への襲撃はありません。ハンターや兵士が近づくと、争わずに森の奥へ退くそうです」


「群れじゃねえのか」


「種類が違います。互いに捕食関係にある魔獣も含まれています」


 シャロウの目つきが変わった。


 野生の獣は、理由もなく習性を捨てない。

 まして、敵同士が揃って同じ行動を取るなら、偶然では済まされない。


「狩猟組合は何て言ってる」

「生態の変化、魔力溜まりの発生、外部からの干渉。そのいずれも否定できないため、調査を依頼したいと」

「で、俺に行けって?」

「ええ。有紗も同行させます」

「待て」


 シャロウが即座に顔を上げた。


「こいつを連れていく気か?」

「魔力による干渉であれば、有紗にしか分からないことがあります」

「……現場で使ったことは?」

「ありません」

「それを今から俺に預けんのかよ」

「現場経験はいずれ必要です」

「俺を訓練用に使うな」

「適任でしょう?」

「どこがだ!」


 紫音は答えず、紅茶を一口飲んだ。


 有紗は二人を見比べたあと、そっと手を上げる。


「私、行ってみたい!」


 シャロウが訝しげに有紗を見た。


「……お前、外に出たいだけじゃねえだろうな」

「違うよ」

「本当か?」

「少しは外にも出たいけど……」

「やっぱりじゃねえか」

「でも、それだけじゃないよ」


 有紗は紫音の持つ書面へ目を向けた。


「魔力が関わってるなら、私にしか分からないことがあるかもしれないでしょう?」


 シャロウはなおも疑わしそうに有紗を見ている。


「ピクニックじゃねえぞ?」

「分かってるよ」

「魔獣の出る森だ。何が起きるか分からねえし──」

「勝手に動かないし、シャロウの言うことも聞く!」

「……本当だな?」

「本当」


 シャロウはしばらく有紗の顔を見つめ、やがて諦めたように息を吐いた。


「俺から離れるな。何か見つけても、勝手に近づくなよ」

「分かった!!」

「あと、知らねえ奴を拾ってくるな」


 有紗は何も言わず、じっとシャロウの顔を見つめた。


「……俺を見るな!」

「でも、シャロウも知らない人だったよ?」

「俺は怪我して倒れてただろうが!」

「じゃあ、怪我してる人なら拾ってもいいの?」

「そういう意味じゃねえ! 見つけたら、まず俺を呼べ!」

「シャロウがいなかったら?」

「その時点で俺から離れてんじゃねえか!!」

「……たしかに」

「納得してんじゃねえ! 最初から離れるな!」


 有紗は素直に頷いた。


 リネットが困ったように笑いながら、二人のために携帯食を包み始めた。


 ◇


 街の門を出ると、石畳の道はすぐに細くなった。


 広い畑の向こうには、背の低い丘が重なっている。さらにその先に、深い緑の森が広がっていた。


 有紗は歩きながら何度も辺りを見回していた。


「麦畑って、近くで見るとこんなに揺れるんだね」

「前見て歩け」

「あっちの白い花は?」

「知らねえ」

「ハンターなのに?」

「草花の名前まで全部覚えてると思うな」


 有紗は少し残念そうに白い花を振り返った。


「帰りに少し見てもいい?」

「魔獣の調査が終わって、暗くなる前ならな」

「約束だよ」

「約束まではしてねえ」


 森へ入ると、空気が変わった。


 街道沿いの明るさは消え、頭上を覆う枝葉の隙間から細い光が落ちている。


 シャロウは足を止め、地面へ視線を向けた。


 湿った土に、大きな足跡が残っている。

 四本指の獣型。爪は深く、歩幅も広い。

 その横には、二股に割れた蹄の跡が並んでいた。


「……やっぱり一緒に動いてやがる」

「違う魔獣なの?」

「ああ。片方は獣型、もう片方は角猪に近い。この距離で歩けば、普通ならどっちかが襲う」


 有紗は足跡の前へ屈み込んだ。


「同じ方向に行ってるね」

「見りゃ分かる」

「そうじゃなくて……」


 有紗が指先を土へ近づける。


「何か、引っ張られてるみたい」

「何に?」

「まだ分からない」


 シャロウは森の奥を見た。


「先へ行くぞ。足跡から離れるな」


 しばらく進むと、前方の茂みが揺れた。


 低い唸り声が木々の間を這う。


 灰色の毛に覆われた魔獣が姿を現した。

 狼に似ているが、体格は馬に近い。肩から伸びた黒い棘が逆立ち、黄色い目がシャロウたちを捉えている。


 シャロウは剣を抜き、有紗の前へ出た。


 魔獣は逃げない。

 こちらを窺いながら、少しずつ横へ回り込もうとしている。


 殺意は薄い。

 だが、近づかせる気もないらしい。


 シャロウは魔獣から視線を外さず、低く告げた。


「有紗。あいつの気を逸らせるか?」

「やってみる!」


 有紗は返事と同時に右手を上げた。


 詠唱はなかった。


 指先を小さく振っただけで、周囲の空気が一瞬にして張り詰める。


 シャロウが異変に気づいた時には、すでに魔法は完成していた。


 魔獣のすぐ脇へ、圧縮された風が叩き落とされる。


 轟音が森を貫いた。


 地面が内側から弾けたように爆ぜ、黒い土と枯れ葉が高く噴き上がる。周囲の木々が大きくしなり、鳥たちが一斉に飛び立った。


 魔獣そのものには当たっていない。

 風はその身体すれすれを外し、すぐ横の地面だけを深く抉っていた。


 魔獣は飛び上がり、怯えた鳴き声を上げて森の奥へ逃げていった。


 あとには、森を引き裂いたような長い溝だけが残った。


 苔も草も根こそぎ吹き飛び、剥き出しになった土が深く沈んでいる。


挿絵(By みてみん)


 シャロウは剣を構えたまま、動かなかった。


「……は?」


 抉れた地面を見る。

 大きく揺れる木々を見る。

 それから、右手を下ろした有紗を見た。


「何だ、今の威力……」


「……あ、れ?」


「気は逸れたと……思うんだけど……」


 その言葉で、シャロウもようやく逃げていく魔獣へ目を向けた。


「――逃がしたじゃねえか!!」

「追いかけよう!」


 シャロウは有紗を見た。

 有紗も、どこか納得のいかない顔でシャロウを見返した。


「…………森が、割れた」

「…………割るつもりはなかったよ」


 互いに何か言いたげな沈黙が落ちる。


「……お前は次、森を割るな!」

「……分かった」


 二人はなおも釈然としない顔のまま、同時に駆け出した。

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