第25話 手を離したあと
研究棟の玄関が開く。
「ただいま!」
有紗の明るい声が、静かな廊下へ響いた。
記録紙へ向かっていた紫音が顔を上げる。
先に入ってきたリネットに続き、有紗とシャロウが並んで入ってきた。
二人の手は、しっかりと繋がれている。
有紗は上機嫌だったが、シャロウはひどく居心地が悪そうな顔をしていた。
それでも、手を振りほどこうとはしない。
「お帰りなさい」
紫音はそれだけ言った。
一度、二人の手元を見る。
次に、リネットへ視線を移す。
リネットは何事もなかったように外套を脱ぎ、穏やかに微笑んでいた。
紫音は何も聞かなかった。
「お帰りなさい、有紗さん」
椅子に座っていたリュシアンも、柔らかく微笑む。
胸元には試作石が下げられていた。まだ少し顔色は悪いものの、有紗に触れずとも落ち着いている。
「リュシアンさん。痛みはどう?」
「残っていますが、随分と軽くなりました」
「よかった!」
有紗が嬉しそうに笑う。
リュシアンの視線が、その顔から、繋がれた二人の手へゆっくりと落ちた。
有紗はそれに気づくと、シャロウの手をきゅっと握り直す。
「今日は、シャロウの番ね!」
「……番?」
シャロウが眉を寄せた。
リュシアンも、一瞬だけ目を瞬く。
だが、すぐに有紗の意図を察したらしい。
「はい」
にこりと微笑む。
「私は、有紗さんを独り占めしたいわけではありませんので……」
そう言って、ちらりとシャロウへ視線を向けた。
「何で俺を見るんだよ」
「念のためです」
有紗は不思議そうに首を傾げた。
「嫌なの?」
「……嫌とは言ってねえ」
「では、問題ありませんね」
リュシアンが穏やかに結論づける。
「お前は黙ってろ」
◇
「じゃあ、私、お風呂に入ってくるね」
有紗は繋いでいた手を見下ろした。
研究棟の奥には、魔力石で湯を沸かす湯浴み室がある。浴槽の湯もすでに用意されているはずだった。
有紗は少しだけ気まずそうに、シャロウを見る。
「お風呂の時は……ごめんね」
「……何のごめんだよ」
「さすがに、離さないと」
「当たり前だろ」
有紗はようやく手を離した。
そのまま湯浴み室へ向かいかけ、途中で振り返る。
「待っててね!」
「待たねえよ!」
有紗は安心したように笑い、急ぎ足で廊下の奥へ消えていった。
しばし、静寂が落ちる。
「ふ……っ」
リネットが口元へ手を添える。
隣では、リュシアンも顔を伏せていた。
「……お前ら、笑うな」
「申し訳ございません」
リネットはすぐに続けた。
「それで、シャロウさん。有紗様をお待ちになるのですか?」
「待つわけねえだろ!」
◇
自室へ戻ると、シャロウはそのまま寝台へ仰向けに倒れ込んだ。
天井を見上げ、深く息を吐く。
店の中で浴びた歓声も、リネットたちの笑いを堪える顔も、まだ頭から離れなかった。
「……最悪だ」
片腕を持ち上げる。
有紗と繋いでいた方の手には、まだ僅かに温もりが残っている気がした。
まさか自分が、女と手を繋いで街を歩く日が来るとは思わなかった。
それも、酒場中の客に冷やかされながら。
思い出すだけで、顔が熱くなる。
シャロウは手の甲で目元を覆った。
「二度と行かねえ、あの店……」
低く呟き、寝返りを打とうとする。
けれど、持ち上げた手はなかなか下ろせなかった。
先ほどまで、そこには有紗の小さな手があった。
何の照れもなく差し出され、強く握り返された手。
離れてしまった今は、なぜか少しだけ物寂しい。
シャロウは自分の掌を見つめた。
痛みがなくても。
ただ温かいというだけで、離したくなくなることもあるらしい。
「……面倒くせえな」
誰に向けるでもなく呟き、目を閉じた。




